前略、公式スタッフと売れっ子タレントです
約束はできるだけ守りたい男、灯織漣。
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水曜日になった。藍原さんには予定が入ってしまいレッスンを見に行けそうにないことを伝えているが、文面からも機嫌が悪くなっていることがわかった。
金曜日は何が何でもレッスンを見に行こう。そう心に刻んで俺は研修室に足を運んだ。
「失礼します。灯織です」
「どうぞ」
「どうぞー」
扉を開けると、眼鏡をかけた長い髪の女性となぜか飛び跳ねている青い髪の女性がいた。
「はじめまして。公式スタッフの
「あ、はじめまして。初期から見てます。いつも見事な尺の調整で、見てて面白かったです」
惚れ惚れするような話のぶった斬り方で進行するその姿から、リスナーから冷水さんと異名を付けられて畏れられていた。
「あ、ありがとうございます…?」
俺は視線を飛び跳ねている女性に向けた。
「氷見さん、あの飛び跳ねている人は…?」
「…あぁ、
「…ん? あっ! ごめんね、はしたないところをお見せしました!」
とても元気な声でその青髪の女性が振り向く。
「ホラゲー大好きVTuber、
「あ、あのチャンネル登録者100万人超え、ホロエコ1期生としてホラーゲームが好きだけど苦手で元気な性格が放つ叫び声のギャップで多くの人を虜にしている海原水さんですか!?」
「そうだよ! 詳しいね君、もしかして私のファンだったりする?」
「いえ、自分はコダマさん最推しです」
「あらら〜、振られちゃったか」
「いえ、私は基本箱推しなので。海原さんも素晴らしい方だと思ってますよ」
「本当? 嬉しいなぁ〜」
「ほら、喜んでないで研修しますよ。では灯織さん、席についてください」
「はい。よろしくお願いします」
俺が席につくと、砂原さんも向かいの氷見さんの隣に座って講習が始まった。
「はい。では早速ナレーションの研修を始めたいと思いまーす。じゃあ灯織くん。ナレーションに一番必要なことってなんだと思う?」
「一番必要なこと? 内容を伝えるための発音ですかね」
「うん。そうだね。じゃあこれを読んでみよう」
そう言ってどこから取り出したのか砂原さんが早口言葉が書かれた紙を出してきた。
「3回続けて読んでね」
「巣鴨駒込駒込巣鴨親鴨子鴨大鴨小鴨、巣鴨駒込駒込巣鴨親鴨子鴨大鴨小鴨、巣鴨駒込駒込巣鴨親鴨子鴨大鴨小鴨。はい、読みましたよ」
「…え?」
「いや、なんというか……すごいですね。普通初見でそれは読めないでしょう」
「巣鴨、駒込、駒込、巣鴨って感じで目で見た文をそのまま区切っていけば案外いけますよ」
「じ、じゃあ次はこれね。1回でいいよ」
「海軍機関学校機械課今学期学科科目各教官協議の結果下記のごとく確定、科学幾何学機械学国語語学外国語絵画国家学」
「……もう私から教えることはなにもないよ」
遠い目をして砂原さんが呟いた。
「早すぎません!? もうちょい何かやるのかと思ったんですけど」
「いやあ、正直言ってナレーションなんて滑舌が良くて声が聞きやすければまずOKだから。ほんとは発音の仕方とか教えようと思ったんだけど、大丈夫そうだから良いかなって」
「んな適当な…」
「まあ私に出来ることはそのくらいしかないんだけど、あとは玲ちゃんがナレーションの心構えとか教えてくれると思うから」
「はい。みっちり教えて差し上げましょう」
氷見さんが眼鏡をクイッ、と上げて、スッと数枚の紙を渡してきた。
そこには、『MCをする上で留意すべき注意事項』とある。
「本当はナレーション用のものを作るべきなんですが、いかんせんこの研修を伝えられたのがつい先日だったので。今回はその中からナレーションでも気をつけるべきところを押さえていきます」
「おお、研修っぽいですね」
というわけで、俺は氷見さんから約半日、ナレーションのなんたるかを叩き込まれた。
「――というわけで研修は以上です。あとは経験を積んでいくだけですね」
「ありがとうございました。これからも至らぬ点が多々あると思いますが、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
先人の叡智を授かった俺は深々と頭を下げた。主に氷見さんに対して。
「私には? 私には何かない?」
「配信楽しみにしてます。炎上に気をつけて健やかにお過ごしください」
「なんかそっけなくない? 一応先生だよ? 講師だよ?」
「最後あたりは一緒になって聞いてたじゃないですか。生徒です、受講生ですよ」
「こちらこそ、灯織さんがすぐに覚えていくので教えがいがありました」
「ねえ! わーたーしーはー!?」
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研修が終わった俺はすぐさまレッスンが行われている部屋に向かった。
しかしレッスンが行われていることはなく、すでにコーチの人が片付けをしていた。
「はあ、やっぱり間に合わないよな」
携帯で時刻を見ると、ちょうどダンスレッスンの時間が終わったところであり、まあ予想通り。
約束は果たせず、任務失敗である。
「あっ、灯織くん! 見つけた!」
残念に思っていると、トレーニングウェアを着た鞍馬さんが後ろから声をかけてきた。
レッスンが終わったばかりだからか頬が上気していてタオルで汗を拭いていた。
「鞍馬さん…すみません、藍原さんは?」
「キミに会えないからってちょっと落ち込んでたよ。ダンスもキレがなかったし」
「う…すみません」
「まあ君の予定も確認しなかった葵も葵だけどさ…ちょっと待ってて、呼んでくるから」
そう言って鞍馬さんが更衣室に入っていく。
少し待っていると、勢いよく扉が開いて藍原さんが飛び出してきた。
「灯織さんっ!」
そしてそのまま俺にダーイブ! うーん100点満点の飛び込み姿勢です。俺の鳩尾にクリーンヒット。
「うごふっ…!」
しかし藍原さんが小柄で結構軽いので吹き飛ぶことなくその場に踏みとどまる。
しかし抱きつくのは止めてほしいなぁ…タレントがこんな事したのがバレたら速攻炎上案件だし、何より俺の精神衛生に悪い。
「藍原さん、離れてください」
「来てくれたんだね…」
俺の腰にしがみついたまま藍原さんが呟くように言った。
「もうちょっと早く着ければよかったんですけどね。すみません」
「ううん。私が勝手に舞い上がって無理な約束しちゃっただけだから、灯織さんは悪くないよ。それより、ナレーションの研修はどうだった?」
「結構勉強になることが多かったです。氷見さんと砂原さんに教えてもらいました」
「そっか。……?」
不意に藍原さんが俺から離れる。
「…ッ!? ご、ごめん。ちょっと着替えてくるね…!」
慌ただしくまた更衣室に戻っていった。どうしたんだ?
もしかしたら体が冷えたのかもしれないな。後で何か温かい飲み物を差し入れよう。
今はそれより――
「おう漣、今丁度終わったところだぞ…って、大丈夫か? 顔色悪いけど」
その時、片付けを手伝っていたらしい大野先輩がレッスン室から出てきた。
「ええはい、ちょっとトイレ行ってきます」
「おうそうか。そこの角曲がったところにあるぞ」
「ありがとうございます」
俺は少し早足でトイレに向かったのだった。
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「あれ? 大野さん、灯織さんは?」
「ん? 漣ならトイレ行きましたよ」
「そっか…」
「あれ? 藍原さんって香水つけてましたっけ?」
「っ…きょ、今日はそういう気分だったから」
「へー、いい香りですね」
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作者の梢です。
突然ですが、カクヨムコンに合わせて新作を投稿し始めました。
『サンクスト・ローエスト〜俺が最下位なのには理由がある〜』(仮題)
↓
https://kakuyomu.jp/works/16817330664196342843
異能力、そして近未来的な世界を舞台とした現代ファンタジーです!
興味のある方はぜひ読んでみてください!(ついでに評価も付けてくれると嬉しいな)
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