前略、もうひとりの先輩と会いました……が
やあ皆! 私の名前は灯織漣! しがないマネージャーさ!
「よお…灯織、元気そうじゃねぇか」
今、何をしているかというとですね! なんと! 大学時代に苦手だった先輩にメンチを切られています!
「は、はい……先輩も元気そうですね…」
うぅ……大野先輩。たすけて…
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そもそもなんでこんな事になってしまったのかというと、今日の鞍馬さんの収録が、なんと複数人のタレントが出演するものだったのだ。
お相手は橙瞳さんと同じホロエコ2期生の
中の人、
「藍原葵です。天色空音として活動中、よろしく」
口数が少なく透き通った声をしており、クール系のメンバーとして活動してるんだったなと思っていると、声をかけてきた男が1人。
「おっ、大野から聞いてたが、本当にこの会社に入ってきたんだな」
「げっ……まさか…五味先輩…」
俺は思わず数歩後退りする。
大野さんが言っていたもう一人の大学時代の先輩。それがこの五味先輩だ。
正直俺はこの人がかなり苦手だ。典型的なDQNで、血の気が多くサークルの大会でも他の参加者に突っかかっていた。女癖も悪く、彼女をとっかえひっかえしていたし。
「まさかとは何だとまさかとは……よお、灯織、元気そうじゃねぇか」
「は、はい……先輩も元気そうですね」
「ここはガワに限らずタレントまで美人揃いだからな、元気じゃねぇほうがおかしいってんだ」
下品な笑い声を上げながら撮影の準備に入っている鞍馬さんと藍原さんに目線を向ける。
心なしか他のスタッフも先輩を避けているような気もするし……やっぱり昔と変わってないみたいだ。
「……女が苦手だったお前が、まさかアイドルのマネージャーをやるとはな」
「意外ですか?」
「いんや? 自分の決めたことはどんなことがあろうと必ず達成する。そういうとこは大学の頃から変わってないと思ってな」
通り過ぎる際に、俺の肩に手を置いて、低い声で先輩が呟いた。
「もう、俺の邪魔をすんじゃねぇぞ」
通り過ぎる五味先輩と入れ違いで、大野先輩が話しかけてきた。
「大丈夫だったか?」
「ええはい。特には」
「アイツも就職してからは特に問題も起こしてないし、少しはマトモになってんだ」
「そうなんですね」
俺はとてもそうは思えなかったが。
「灯織くん。今日の企画なんだけどね?」
続いて鞍馬さんがなぜか俺に寄ってきて台本を見せてくる。
さすがに近いと思ったので一歩離れながら台本を見る。
「はい、何かありましたか?」
「台本のここの部分なんだけど、なんて読むの?」
「はい?」
「いやー、私漢字読むの苦手でさ。ここの歌の歌詞の部分。なんて読むの?」
『宇宙』
「これってなんの歌ですか?」
「
「あー『そら』です」
「…え?」
「『そら』です」
鞍馬さんが沈黙しつつ歌詞をまじまじと見る。
「…これは?」
『暗海』
「『そら』です」
「……これは?」
『世界』
「『そら』です」
「…」
『天空』
「『そ――
「『そら』ね? うん、もうわかったよ大丈夫。何なのこの歌詞…普通の『空』もあるのに…」
「あ、それは『ブルー』です」
「なんで!?」
あ、鞍馬さんがキレた。まああの人の歌詞って読みにくいしな。
「ま、まあまあ。そろそろ収録じゃないですか。行ったほうがいいんじゃないですか?」
「うぬぬ……許さない。いつかあったらなんでこんなことしてるのか絶対問いただしてやるんだからー! おぼえてろー!」
三下の捨て台詞みたいな事を言って鞍馬さんは戻っていった。
「…ふう」
鞍馬さんの方に目を向けると、ちょうど藍原さんに俺が話したことを伝えているようだった。
特に動じた様子もなく、前のめりになって話す鞍馬さんに相槌を打っていた。
「……」
藍原さんは、自分の感情があまり表に出ないタイプなのかもしれない。鞍馬さんに話しかけられて迷惑そうな様子も感じないし。
そういえば鞍馬さんとは『そらこは』のカップリングで親しまれていて、元気系ではつらつとした鞍馬さんと対照的なキャラになっていると思ったが、素だったのか。
「漣、これから収録だから俺たちはしばらくすること無いぞ」
「あ、じゃあ俺スタッフさんの飲み物買ってきます。経費で落ちますよね?」
たしかタレントさんの飲み物は楽屋に置いてあったが、スタッフさん用というのはなかった。
「スタッフ用? 相変わらず世話焼きというかなんというか。利他主義だな」
彼らはこの事務所の中核を担う存在だし、新人の俺の存在を早めに知ってほしいというのもある。
「今この場においては彼らがいないと成り立ちませんし、結構重労働だったりもするんですよね? ちなみに俺が買い物に行ってる間先輩は機材運び手伝っててください」
「え゛っ、いや、仕事し始めてからあんまり筋トレやってないんだけど」
「じゃあ飲み物買いに行ってもらってもいいですか?」
「おう。麦茶とかでいいよな?」
「それでいいと思いますよ」
「了解」
そう言って大野先輩がスタジオから出ていった。
「さーて、―――すみません、何か手伝えることってないですか?」
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その様子を天色空音こと藍原葵はじっと観察していた。
「ねえ葵? 聞いてる?」
「聞いてるよ。家の卵からひよこが生まれたんでしょ」
「違う!」
明らかに話を聞いていなかった葵に、こはくが非難の視線を向ける。
「さっきからそっち向いてなにかあるの?」
「ん…こはくの新しいマネージャーさん見てた」
「あー、灯織くんか。なんかあった?」
「……今、めっちゃ重そうな機材運んでる」
「え?」
葵が指を指した方向にこはくも視線を向けると、どうやら機材の設置ミスをしてしまったらしい、アンプのような大きな箱を漣が涼しい顔で持ち上げていた。
横では女性スタッフ2名が申し訳無さそうに頭を下げて誘導をしている。
「うわ、力持ちなんだね灯織くん」
「結構細いのに、意外」
VTuberとしてデビューする以前からの付き合いであるこはくには葵の無表情の内側には関心と驚きが混じっているのが分かった。
「……あの人は、どんな人?」
「珍しいね、男の人が苦手な葵がそんなこと聞くなんて」
「…なんとなく。私にもそういうときくらいあるよ」
こはくの記憶に残っている中では、葵は男性の人と極力関わらないように努めている印象しかないのだが、その言葉をぐっとこらえて、自分が漣に感じていることを素直に話した。
「うーん、優しい、かな? よく差し入れとか持ってきてくれたりするし、気が利く人だよ。あと探偵みたい」
「探偵?」
「細かいところに気づきやすいっていうか……あ、このまえの歌みたのやつも、あの歌い方のほうがいいって気づいたのは灯織くんなんだよ」
「ふーん」
「興味なさそうっ!?」
「ううん、あの人のお陰でこはくがあのクオリティを叩き出せたのなら、それは手放しで称賛すべき」
そう言って葵は控室に踵を返した。
「なんなんだ…?」
結局なにが言いたかったのか、長年の付き合いといえどもわからないままこはくも後を追った。
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