前略、やっぱりVはすごいです
「すみません! 時間ギリギリになっちゃいました〜!」
スタジオに鞍馬さんの元気な声が響く。
「おっしい、あと1分で俺の勝ちだったのに」
「いやー、まさかちゃんと収録時間に間に合うとはね」
「ちょっと! どういう意味ですかそれ!」
「え、だって方向音痴の橙瞳さんと超方向音痴の大野さんが来るってなったらそりゃ遅れると思うでしょ」
「ふっふーん。今日から新人研修の子が来てくれたので。もう遅れませんから」
「よかったねー」
「反応うっす!」
鞍馬さんがスタッフの人達と仲良く話しているのを尻目に、俺は初めて入るレコーディングスタジオの施設を眺め回していた。
「君が新人の子? スタジオに来るのは始めてかな?」
メガネをかけた優しそうな人がそう聞いてくる。
「はい。すごいですね、思ってたよりも広い。ラジオのスタジオみたいですね」
「はは、そうだね」
「そういえば、鞍馬さんはなんの歌を歌うんですか?」
「最近話題になってる『茜』って歌だよ。彼女のイメージにも合っているし、本人が歌いたいって希望があったからね」
「そうなんですね…」
俺はスマホにイヤホンを挿して目を閉じ、その歌を聞いてみることにした。
社畜時代は時事以外外界からの情報を収集する暇はなかったからな…流行り廃りは入念に知っておかないと。
『茜』は有名なボカロPさんが作詞作曲した恋愛の歌のようだ。
『あかねさす君の顔、僕には見えないけれど、振り向き走り去る君は余所行きの笑み浮かべてた』
サビ部分のこの歌詞が若者の心に響くらしい。
「いい曲ですね」
「でしょ!?」
「えっ」
まさか鞍馬さんが答えるとは思わず、一歩後ずさる。
「驚かせちゃったかな? 集中して聞いてるみたいだったし」
「い、いえ、大丈夫です」
まだ女性に近づくのは慣れない…女性Vグループに働くから早く慣れないとな…
「この歌、男女の恋模様を歌ってるんだけどね? 私恋とかしたことないからさー。うまく歌えるか不安なんだー」
「へえ…そうなんですか」
この人柄なら引く手あまただろうに…。
「あ、意外って思ったでしょ」
「まあ…付き合うのはまだしも、誰かしらを好きになるってことはあるんじゃないですか」
「それがないんだよねー。中学の時は男子って子供っぽいじゃん? 高校は女子高だったから出会いもないし」
「そういうものですか」
「灯織君は? 女性と付き合ったことないの?」
その瞬間、俺の中にある記憶がフラッシュバックする。
――ねえ、これならやってもいいんじゃない?
――あはは、泣いてるし
――なっさけないなぁ。しっかりしてよ、もう。
「――いえ、そう言った経験は、ありません」
なるべく意識しないように、半ば独り言のように呟いた。
「そっかー、じゃ、私レコーディングしてくる!」
「はい。頑張ってください」
そう言って鞍馬さんが録音ブースに入っていく。
「大丈夫だったか? 結構距離近かっただろ」
入れ違いで先輩が俺に話しかけてくる。
「ええ、ドキドキしました」
半分本音、半分冗談でそう答えた。
「それより、これから鞍馬さんのレコーディングですね。こっちが緊張してきました」
「そういえばまだ鞍馬さんの歌声は聞いたこと無いんだっけ?」
「はい」
「彼女の声はホロエコで1位2位を争う人気の高さだからな。しっかりと聞けよ」
そう言ってヘッドホンを渡される。
「これから聞けるんですね」
「さ、始まるぞ」
若干の緊張した空気の中で、曲のイントロが始まる。
「あかねさす君の頬、僕には見えないけれど――」
その1フレーズで彼女の才能が伝わった。
表現力、歌唱技術、どれを取ってもプロ顔負けの歌声。
素人ながらその声に圧倒されてしまった。
「これは……すごいな」
「ハハ……だろ?」
先輩とともにレコーディングを見守る。
「『いつだって君は太陽に見えた』そう言って話を切り出した。背中に浮かぶ夕焼けが僕の心臓に焼き付く」
聞いていくうちにどんどんと歌詞の情景が細かになっていって――
「帰り道の河川敷が沈黙に包まれる、あかねさす君の顔、僕には見えないけれど、走りさる君は笑み浮かべてた」
――不意にぐにゃりと捻じ曲がった。
「え…?」
鞍馬さんの歌声に変化があったわけじゃない。何も変わってはいない。
ただ……違和感がそこにある。
「……はい! 一旦チェックしまーす」
違和感を抱えたままレコーディングがひとまず終わる。
「ふいー、やっぱり難しいねー」
「お疲れ様。はいこれ水ね」
「ありがとう大野さん」
鞍馬さんが水を飲んでる間も、俺はさっきの違和感について考えていた。
なんでだろう。さっきまで完璧だったはずの歌の世界が少し歪んだ。
何がおかしいんだろう。この歌と鞍馬さんの歌声はマッチしていてイメージの乖離を引き起こしているわけでもない。
なのになぜ歪んで聞こえるのか。
「……灯織くん、私の顔に何か付いてる?」
「えっ、あ、な、なんでもないです」
じっと鞍馬さんの方を見て考えているとふいに声がかけられて驚いてしまう。
「…もしかして私の歌ダメだった?」
「いや! 全然そんなことはないですよ!」
思わず大きな声を出して周囲の人を驚かせてしまう。
「あっ…す、すみません」
謝りつつ、声を小さくして鞍馬さんに伝える。
「鞍馬さんの持ち味は、聴いてる限り発声の細やかさと真っ直ぐなロングトーンですよね。もちろんそれは歌に合ってるんですけど、俺が思ったのは……」
鞍馬さんが歌っているときのイメージを言葉にまとめて伝える。
「なんていうか…サビの部分だけ、急に情景が歪むっていうか…まるで別の人の視点で歌ってる…みたい、な……?」
「別の人の視点?」
「…『背中に太陽がある』のに、なんで、『向き合ってる人の顔が見えない』んだ?」
「え…ああ、確かに。河川敷だから遮るものが何もないし…俯いてたんじゃないかな?」
「確かにそれだと表情は見えないですね……でもたしか」
俺はこの歌の歌詞をもう一度調べる。
「うわ……これ結構気づかないかもしれん…」
「何が?」
「これ、短編小説を原作にして書いてるんですよ。作者が小説投稿サイトで書いてるやつです」
「ホントだ。へー…それで?」
「はい。これなんですけど、ヒロインの髪の長さは結構短めなんで、表情が見えなくなることはあんまりないと思うんですよ」
「ん、たしかにそうだね……え? じゃあ誰視点でこの歌は歌われてるの?」
「……小説には、ヒロインにしつこくつきまとう男子生徒がいます」
「オウ……思ってたより重たい歌だったんだ、これ」
「まさか純愛じゃなくてストーカーのドロドロとしたラブソングだったとは…」
「なるほどね〜。これならしっくり歌えそうかも。エンジニアさーん」
言うが早いか、鞍馬さんはこの収録の心臓であるエンジニアさんにイメージを伝えてに言ってしまった。
「あー…」
正直、あんまりこういったことはおすすめしない。
すでにこの歌は何人もの歌い手やVTuberにカバーされており、「純愛」というメージが定着しきっているからだ。
今までの歌詞のイメージをぶち壊し、真逆の印象を植え付けるこの解釈は鞍馬さんを炎上させてしまう火種になるかもしれない。
「いやでも……」
エンジニアさんも急な変更の要請に戸惑いの表情を浮かべている。
「お願いします。私、もうこのイメージしか歌えません」
しかし鞍馬さんは一切譲ることなく頭を下げ続ける。
「……じゃあ一回録ってみましょう。それで行けそうだったら、行きましょうか」
「! はい! ありがとうございます!」
「大野さん。大丈夫なんですか?」
「ん? あー、基本ウチはタレントが企画を考えたりプロデュースしたりするから、そのへんは大丈夫」
「そういったことはアスチューバーと同じなんですね」
アワチューバーとは世界最大の動画プラットフォーム、「UsTube」二動画を投稿している人のことだ。
ちなみに最近、子どもたちのなりたい職業1位とかにランクインしているが、厳密には職業ではなく、趣味の範囲らしいぞ(豆知識)
「…よし! じゃあこの感じでお願いします!」
「わかりました……こりゃとんでもない賭けに乗っちまったもんだ」
あ、話し終えたエンジニアさんが頭抱えてる。そして鞍馬さんは対照的に意気揚々とブースに入っていった。
「まあ、自分のやりたいようにやれるっていう環境が、
そしてブースに居る橙瞳さんがヘッドホンを装着し、マイクに向かって第一声を放った。
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