はじめのご挨拶 ー 泥にまみれて ー

 初めは予期しなかったのですが、この「二宮金次郎さん」という人物と物語を走っていくにつれ、日本のかつての「封建社会」というものにぶち当たらざるをえなくなりました。


 この物語には、困難への闘いや、身分を超えた知恵や、反感との対決や、妬みとその克服や、憎しみと救済や、憤りと赦しが眠っているのかもしれません。


 一人の人間が、時に「愚民」、「惰農」、「貧民」として物語に現れます。一方で、金次郎さんはそれと対決をされていきます。


 人々は決してかっこよくないのでしょうか?金次郎さん自身も、周りの無理解や偏見に苦しみ、他人から訴えられたこともあられたようです。


 しかし金次郎さんは闘い、挑戦し、努力し、涙を流し、知恵を搾られます。そしておっしゃっています。


『二宮翁夜話』巻五、全体の第二百三十「道は卑近にあり國家の富源も亦卑近にある論」からです。意訳します。


 翁(二宮尊徳翁、金次郎さん)がおっしゃった。



「老子や仏教の道は高尚である、たとえていうならば、日光・箱根などの山岳の峨々ががたるがようなものである、雲・水は愛でることができ、風景を楽しむことができるといっても、生民のために功用は少ない。


 我が道は平地や村落の野鄙なようなものである。風景の愛でるものはなく、雲・水の楽しむことができるものはないといっても、百穀がわきいでれば国家の富源はここにあるのである。


 仏家の知識の清浄であるのはたとえば浜の眞砂まさごのようなものである。我が党は泥沼のようなものである。そうであるといっても、蓮の花は浜の砂には生じないで汚泥に生じるのだ。


 大名の城が立派であるのも、市中が繁華であるのも、財源は村落にある。このことをもって至道は卑近にあって高遠にはあらず、実德は卑近にあって高遠にあらず、卑近というものは決して卑近でないという道理を悟るべきである」


 そうおっしゃっています。


 ここでは老子などが批判され、実学に勤めない人を攻撃されており、考えさせられます(全てを肯定しませんが)。そして金次郎さんは私の道は野鄙なものだ、村のものだ、卑近なものだ、とおっしゃいます。


 これはお弟子さんたちが金次郎さん(二宮尊徳先生)が述べられたものを聞き書きされたものではあるのですが、そのようにおっしゃっています。


 野鄙で卑近なもの…


 金次郎さんの歩いた道はつまらないものだったのでしょうか?


 そして、現在の私たちを考えさせるものはないのでしょうか…


 違うと思います。


 前述の通りこの物語には困難との戦いや、決めつけられた運命とそれを越えようとする人々の挑戦があります、それは偉大です。それらの事績の原文を訳するのには、できるだけ意訳において言葉を選びました。江戸時代の社会は、良くも、悪くも、武士からみた世界であって、時に違和感を覚えられることもあるかもしれなかったからです。


 しかしこの物語を、私は自由に書きました。


 この物語がどのように読者の皆さんに取っていただけるかは分かりません。私はぐらぐら生きているものなので、「金次郎さんにならいたい」、そういうことを思いつつ、ただ空や太陽を仰ぐきもちで書きました(あのような偉人になれるわけがないのですから)。


 ただ調べたと、そして記したと、わずかだが努力だけはできたかと、ある程度この物語の形が見えたいま感じています。


 この物語を読者の手に委ねます、少しでも触れて読んでくださったのなら、ありがとうございます。



 ※この章、引用文章を変更しました。以前は『二宮翁夜話』巻一、全体の第一を引いて意訳していましたが、適さないと考え差しかえました。

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