悪い河童は即、懲罰だよ
エロ同人みたいに――私は思わず叫びそうになった。
目の前のゴブリンはファンタジーもののエロ同人に唐突に出てくる竿役でおなじみの、と顔に書いてある。
というのも、私はつい先日R‐指定の軛から解放され、同人販売サイトに登録、貪るようにエロ同人を買いあさっていた。
大学入学前に作っておいたクレジットカードの請求がいきなり恐ろしいことになる――と危惧していたところまでは覚えているのだが、その前後の記憶がかなり曖昧だ。
とにかく、女を犯してあれやこれやをすることが本懐であるエロ同人のスター、ゴブリンが現実に私に襲いかからんとしているのである。
耳に温かい息がかかる。
私の耳元で、囁く者があった。
「トールキン」
その人名を聞いた途端、私の汚辱に塗れたゴブリン像が大きくうねるのを感じた。
そもそものファンタジー小説でゴブリンがもともとどのような存在であったか。J・R・R・トールキンの名前を出されれば、いやでも翻意せざるをえない。
目の前のゴブリンが急にうずくまり、苦しみだす。
「オゲエエエエエ」
最後に叫んだかと思えば、風船が割れるかのように肉片と血しぶきになって弾け飛ぶ。
「転生は成功したようだな。気分はどうだい?
私の耳元で囁いていた魔女。その存在に気づき、私はびくりと身を竦める。
純白だったローブには、新しく先ほどのゴブリンの返り血が増えている。
「ここは――」
「君たちの言うところの、『ファンタジー世界』……いや、今は『異世界』と言ったほうが通りがいいかな」
ごくり、と生唾を飲み込む。
「異世界転生――ってコト?」
「話が早くて助かるよ。話がてら、少し歩こうか。王都まではもう少しかかりそうだな」
魔女は滑るように街道に向かって歩き出す。
置いていかれては大変だと、私も慌ててあとに続く。
大きな川にかかる石橋の上で、魔女は立ち止まった。
「たとえばだが、水怪と言ったら君は何を想像する?」
水怪――水辺のモンスターということか。
「か、河童とか」
「なるほど。ではあちらをご覧ください」
魔女が川の中ほどを指さす。
穏やかな流れの川面が太陽の光を反射している。
だがそこに、水底から何かが浮かび上がってきた。
「皿……?」
皿だ。
それは頭頂部にある水を溜めておく器官のようなもの。
皿を頂く水怪。すなわち。
「サラーッ!」
「河童だー!」
河童は豪快なクロールで橋までぐんぐんと迫ってくる。
逃げだすべきかと迷うが、魔女は欄干にもたれかかって悠然とたたずんでいる。
「あの、逃げなくても大丈夫なの……?」
「河童は具体的にどんな悪さをする?」
ええ……逆に質問された。
河童といえば、人間の肛門の中にある尻子玉を抜いて腑抜けにしてしまうらしい。
私が読んだエロ同人だと、これが何に活用されるかといえば――。
「人格排泄はイヤーッ!」
河童の勢いが増す。なんだか生臭さとぬめりまで増したような気がする。
顔つきまでなんだか好色そうな、エロ同人の竿役感が冴え渡ってきている。
水を巻き上げて飛び上がった河童は、明らかに私を狙って水かきのついた手を構える。
あっ、これ尻子玉抜くムーブだ。
尻子玉と一緒に私の人格まで抜き取られて、残った私の肉体は意識のないまま河童の慰み者にされるやつ。
と、最悪の想像が巡っているところに、魔女がまた囁く。
「河童懲罰」
ぐらり、と視界が揺れる。私の中の河童のイメージが大きくうねる。
エロ同人の竿役から、昔話や説話で伝わる、悪さをしたら人間にこっぴどく懲らしめられ、命乞いをして助けてもらう三下に。
「サ、サラアアアアア!?」
空中で河童が爆散した。
「簡単に言うと、これが君に与えられたチートだよ」
意味がわからない。
魔女はまた歩き出す。
……少し整理しよう。
私、五百井サイは異世界転生? 転移? を果たした。
で、どうやらそれを企てたのが、少し前を歩いている魔女らしい。
魔女は異世界の人間でありながら、私のいた世界のことを知っている。
加えて、私に当然のように与えられているチート能力のことも、私当人よりも詳しく知っているらしい。
「あなたは、どこまで知ってるの?」
思い切って声をかけたが、魔女は足を止めない。
「漠然とした質問だ。君のプロフィールやバックボーンは知らない」
「あ、五百井サイと申します」
「ご丁寧にどうも。私はテラー。マナ・テラー。魔女だ」
よしよし。ひとまずずっと「魔女」と呼んでいた相手の名前と職業を知ることができた。コミュニケーションとしては大きな前進だ。
「えっと、マナが、私を転生させたの?」
「町ひとつ使ってね」
「えっ」
「規定世界に干渉するために、町をひとつ分更地にする必要があった。住人含めて」
「お、大がかりだね……」
私を転生させるために、大量殺戮を平気でやったのか。
「気にする必要はない。お前たちは思いつきでいくらでも人死にを書いてきた。何人死のうが重要なのはその先のストーリーなんだろう」
「創作論の話?」
「いや。この世界の話だよ。さっきのゴブリンを見て、君はなにを思った?」
「え、エロ同人……」
「そんなところだと思った。お前たちがゴブリンに対して思い描く想像力は、そのままこの想像世界に流れ込んでくる。するとどうなるか。温厚だったゴブリンたちは、今では人間を襲うずる賢い悪鬼と化した。世間一般のイメージの変遷。ミーム汚染。この世界はそれを一身に受け止め続けてきた。おかげでしょっちゅう災害級の被害が出ている」
「ちょ、ちょっと待って。じゃあこの世界って――」
「ここはお前たちの想像力の掃きだめ。吹きだまり。廃棄場。だから、君が必要だった」
マナはそこで急に私のほうへと振り返る。
「世界へと想像力を流入させ、概念を規定する世界の基底。規定世界の人間。それが君だよ。五百井サイ」
フードを外し、マナは私に初めてその素顔を見せた。
わぁきれ――思わず頭に浮かんだフレーズを払いのけるが、マナはたしかに綺麗だった。
褐色の肌を包む長髪はローブと同じ純白で、よく見ると眉毛や睫毛も真っ白だ。鋭い目つきときりっと通った鼻筋。真一文字に結ばれた唇。強い意志を窺わせる顔つきは、私を静かに圧倒していた。
「規定世界の人間、
雲行きが、怪しい。
「あなたの目的は……?」
マナは目を丸くして、きょとんとした表情をする。
「世界の破壊だけど」
なんてこったい。
どうやら私は、終末兵器としてこの世界に転生させられたらしかった。
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