第2話 天界?

 家を追い出されてから一年間は日雇いの仕事で食いつなげた。どこへ行っても家を追い出された領主の娘という哀れみの視線を感じてしまう。

 そんな中、私に優しくしてくれた飲食店のオーナーがいて働かせてもらった。

 食堂の皿洗い、掃除、朝から夜まで本当にきつかったけど何とか生きていける。ヒソヒソとした噂話なんて聞き流せばいいだけだ。

 だけどあのカトリーネが度々、店にやってきては嫌がらせをしたり嫌味を言ってきた。


「ちょっと! ここ、汚れてるんじゃなくて!?」

「申し訳ありません」

「フンッ! こんな仕事すらできないなんて、さすがは転移なんて刻まれただけあるわ」

「只今、掃除いたします」


 子爵家の娘にしては暇なのかなと思いつつ、これも聞き流した。

 私が大して相手にしていないのが気に入らなかったのか、怒って水をかけてきた時はさすがに我慢の限界がきていたけど。

 それでも、これさえ我慢すれば生活できる。そう思っていたけどある日、終わりがきた。


「アリエッタちゃん。悪いけど今日限りで辞めてくれないか?」

「ど、どうしてですか?」

「その、なんだ。君がいるとカトリーネ様がな……。あんなことをされたんじゃ、他のお客さんも気分を悪くする」

「そうですか……」


 ついにここにすら居場所がなくなった。解雇されてから他の働き口を当たってみたけど、どこも雇ってくれない。

 何軒か当たっているうちにわかったことだけど、領主であるお父さんが私を雇わないように各店に言いつけていたみたいだった。

 どうしてそこまでされなきゃいけないの? 外れの魔術式が刻まれた私がそんなに憎いの?

 働くところも住むところも失った私は路上で生活していたけど、女の子がそんな暮らしを続けられるわけがない。

 寝ている時に男達に乱暴されそうになって、危うく逃げ出した。

 ほとんど食べ物も何もなく、ふらふらとさ迷うけど誰も手を差し伸べてくれない。

 ここにいたら、また何をされるかわかったものじゃなかった。どこにも居場所がない私は町の外へ出るしかなくなる。

 パン屋の裏に捨てられていた廃棄の硬いパンをいくつか持って、私は当てもなく歩いた。

 街道に沿って歩いているけど、魔物が怖い。遭遇したら間違いなく殺される。

 どうか魔物と出会いませんように、と祈ったところで次なんてあるのかな? 次の町でもお父さんが根回しをしていたら?


「……もう死にたい」


 ふらっと倒れそうになった時、茂みから狼の魔物が出てきた。

 唸り声を上げて涎を垂らしている。その牙を見た時、私はハッとなった。

 さっきまで死にたいと思っていたのに、いざ魔物が迫ると体の底から恐怖が這いあがってくる。


「グルルル……!」

「わ、私を食べてもおいしくないよ……」


 生きながらにして噛まれて食べられて苦痛を味わう。そう考えると涙が出てきた。

 嫌だ。死にたくない。そもそもなんで私が死ななきゃいけないの? 私が何をしたの?

 私を迫害した家族やカトリーネ、ボーマンの顔が頭の中に浮かぶ。私が死ぬのを望んでいるかのように、全員がヘラヘラと笑っていた。


「いや、だ! 私は、私は死にたくない! 誰が死んでやるかぁーーー!」


 狼の魔物が飛びかかってきた時、私の中で何かが弾けた。

 体の内側から温かいものが溢れ出るような感覚の後、辺りが光で包まれる。目を閉じてしばらくの間、私は立っていた。


                * * *


 目を開けるとそこに狼の魔物はいなかった。辺り一面の草原で、所々に花が咲いている。

 見渡すと、明らかにさっきまでいた場所とは違うとわかった。狼が飛び出してきた茂みもない。


「ここ、どこ?」


 空を見上げれば晴天、空気もおいしい。歩き進めると、大きな毛の塊があった。

 また魔物かと思って身構えると毛の塊が動き出して、こちらを向く。それは白い大きな犬だった。


「ま、魔物!」

「おや、これは珍しい。君は人間だね? どうやってここに来たんだい?」

「え? 喋ってる……」

「あぁ、そうか。なるほど」


 大きい犬が寄ってきて、私の匂いを嗅いでいる。殺されるのかなと思ったけど、不思議と恐怖がない。

 それどころか優しく包み込まれるような心地よさがあった。


「なるほど、転移の魔術式でこの天界にやってきたのか。それは素晴らしい。君は転移の魔術を使いこなしているようだね」

「天界? いえ、私は転移魔術を使いこなせていません……」


 匂いを嗅いだだけでそこまでわかったの? この犬は一体?


「ほう? では、どうやって?」

「じ、実は……」


 私が経緯を話すと、大きい犬はふんふんと納得したように何度も頷いた。


「それは本当に偶然だね。窮地に陥った時に君は無意識のうちに転移魔術の極致に至ったんだ」

「極致?」

「転移魔術はね、とても難しいんだ。歴史上、君達がいた人間界で使いこなせた者は誰一人としていない。難易度以外にも理由はあるがね」

「私なんかが……」

「君は偶然とはいえ、転移魔術でこの天界にきた。これはね、すごいどころじゃないんだよ。君は天才……いや、天性の存在かもしれない」


 大きな犬が言うには転移魔術は、私達の世界でいう魔術を発動させるための手順がおそろしく複雑らしい。

 いや、手順なんてものじゃ表現できないほどの高次元の魔術だと力説してくれた。

 一通り、聞き終わった後で私は自分がどれだけすごいことをしたのか理解した。


「ここは天界。君達がいう神様の世界さ。本来、誰もここに辿りつけないんだがこれも何かの縁だ。君、ここで転移魔術を極めてみる気はないかね?」

「私なんかが?」

「さっきも言ったけど、君は天才を超えた天性だよ。君をバカにして追い出した家族なんか比較にならない。君が成長したらそんな連中は小便を漏らして逃げ出すよ」

「そんなに……」


 私の中でふつふつと家族に対する憎しみが芽生えた。外れの魔術式が刻まれていたというだけで冷遇されて家を追い出されて。

 挙句の果てに居場所さえも奪う。私があそこで魔物に殺されても、きっとあの人達は何も思わない。

 野良犬にでも食われたか、なんて食卓の話題に花を添えるだけだ。


「人間は賢いけど脆い生き物さ。でも私はそんな人間が大好きでね。魔術なんて力を与えられた人間がこれからどう歴史を作るのか。ずっと見ていたいんだ」

「それは私も含めて、ですか?」

「賢いね。君が力を得て何をするのも自由、ただ私に見せてくれたらいい」

「……私が悪いことをしても?」

「君達でいう善悪の道徳観は君達だけのものだ。もし君が得た力で私を殺しても、それはそれで面白い」


 本当かな、と思ったけどその瞳を見ているうちにそうなんだろうなと考えた。

 神獣が神様みたいなものだとしたら、思考を含めて私達よりも上の次元にいるのかもしれない。


「じゃあ、ついておいで。今日から鍛えてあげる」


 神獣が四足歩行で歩き出した。絶対にここで強くなってやる。

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