第23話 迅速・ト・黒炎

「ゼロっち!?」


 何が起きたか分からない。

 なすがままに身を投げられたラビットは咄嗟に振り向き視界に広がる光景に驚愕する。

 影のような黒い柱が前触れもなく現れ無情にもゼロと引き離されてしまう。


「ゼロっち! ゼロっちどうしたの!」


 決死に声を掛けるも返事がない。

 それどころか音一つすら耳には入らない。

 

「クソっこんな柱なんかッ!」


 一刻も早く安否を確認すべく力技で柱を破壊しようとした時だった。

 

(待て……もし柱の近くにゼロっちがいたら)


 彼女の場所が全く特定できない今、アビス・クライで柱を破壊するのは危険。

 誤ってゼロに深い傷を追わせてしまう可能性もある。


 そう咄嗟に理性が働きラビットは既の所で踏み止まった。

 焦燥感から早まる心を深呼吸で抑えるとラビットは冷静に柱を見つめ思考を動かす。


(きっとこれもメルブルク派の罠……でもゼロっちなら何とかするはず。ここで待っていてもタイムロスなだけ、なら……立ち止まるよりも先に進むことをッ!)


 ゼロならばきっと切り抜けて来る。

 感情論ではあるが聖剣である彼女はこんな罠でやられるような存在じゃない。

 そう確信したラビットは立ち止まるよりも先に進むことを決断する。


 いずれは彼女が自分を追いかけてくると信じて、勝利への道を切り開くために。

 頬を強く叩きラビットは迷わずに体育館へと駆け抜け、中へと繋がる扉を開け放つ。

 

 彼女の溢れる闘争心とは裏腹にその場は怖いほどの静寂に包まれていた。

 呼吸が聞こえるほどに静かで歩く度に靴と地面が擦り合う音が響き渡る。


 ゼロのいない一人の戦い。

 嵐の前の静けさのような閑静。

 得体の知れない不気味さが悪寒として背後を伝いラビットは必死に辺りを見回す。


「流石、勇者の血は流れているようね」


 その中、心を失ったような美しい、だが何処か非情そうな声色が彼女の耳を抉る。

 声の方向へと振り向くと背後には冷血な瞳でこちらを見つめる一人の女性が地を踏みしめていた。


 右目が隠れた朱色に輝くポニーテール。

 相手を支配するような黄金の瞳。

 着崩された学園の制服。


 それこそ、この戦いを引き起こした人物でありロキ達を嵌めた張本人。


「初めまして、大英雄の孫よ」


「貴方が……サイレント・メルブルク」


 ラビットの質問に微笑すると上の空を向きながら、まるで演劇の役者ように抑揚をつけて言葉を紡いでいく。


「ここまで早くトラップを突破されてしまうとはね。これは私も予想外、やはりラソードの子孫は格が違うと言うべきかな?」


「……曽祖父は関係ないです。今ここにいるのはラソードの操り人形じゃない」


「あら意外ね、大英雄の血を継ぐものなんて有頂天になって当然かと思ったけど」


「なれば分かりますよ、そんな有頂天になれるほど楽な立場じゃないって」


 不敵さを見せる彼女から距離を取りながら売られた言葉を余すことなく買っていく。

 触れられたくない部分を突かれ、ラビットは怒り混じりに顔を歪ませた。


 そんな表情を見下すかのようにメルブルクは小さく嘲笑う。


「その明るさの中に潜む憎しみの目、素晴らしいわ。あの馬鹿みたいに未熟な哀れな一年坊主達とは違う。英雄の子孫とはとても思えない。ねぇ貴方、私達の派閥に入らない?」


「はっ?」


「私はね、平民出身なのよ、いや平民と言ったって最悪極まりない。奴隷に近い扱いの世界で私は生にしがみ続けていた。持たざる者の屈辱はこれでもかと知っている。だから私は考えたの」


 手を大きく広げると彼女は取り憑かれたような残虐な微笑でラビットの心を蝕む。


「この世界は純粋であるべきって。金とか親の権力で全てが決まる、そんなのゴミクズよッ! 人間はまた純粋な力で這い上がれる世界にすべきなの、それが世界、それが理想郷、それこそが私達のような弱者にとって来たるべき未来ッ! 私達の青々しい正義が腐った世界を変えていくのよッ!」


 気が遠くなりそうな野望を嬉々とした純粋な笑みで語るメルブルク。

 対称的にラビットは嫌悪感と困惑を露わにし、軋轢な瞳で蔑むように凝視した。


「その為に……こんなことをしたと?」


「これはまだ理想の第一歩、この執行闘争に勝利して私達の意志を世に広め理想郷をより現実化させる。この学園は大義を持って勝利出来る人間こそが正義なのよ。無気力な輩がここにいる資格はない。さぁ貴方も勇者の血が通っているのなら私達の同胞に」


 静寂が包む体育館の中、怪火を纏わせた詞は木霊のように空間に溶け込んでいく。

 異様で艷やかな空気が流れる空間、だがラビットはあしらうように髪を掻き上げた。


「……貴方の意見を否定する資格は私にはありません。もしかしたら貴方の理想がこの世界のあるべき姿かもしれないし間違っている姿なのかもしれない。私は神じゃない。断言することはしません」


 一歩も引かず、淡々とだが確かな熱意を込めた言葉を紡いでいく。


「でも私にも大義があります。ある人と約束したんです。私が……ラソードではなくラビットとして生きられる世界にすると」


「何?」


「その為にあの人を殺さなくてはならない。私の理想の世界にするために、だからもし貴方が私の障壁になるというのなら」


 一呼吸の末、アビス・クライの刃先をメルブルクへと差し立てた。

 

「貴方の理想をここで踏み殺す。大義を持った勝利者こそが正義なんでしょう?」


 刹那の沈黙。

 だが直ぐにメルブルクは堪えきれないという風に愉快な笑い声を上げた。


「ハハハッ! 殺す? 理想の世界? 何を言っているのか私には分からない。でも虚言とは思えないその強い言葉、実に美しいわ、だからこそ潰しがいがある」


 艷やかな瞳をラビットに送り彼女の純粋な願いを潰したいかの如く、手を伸ばすと握り潰すような仕草を見せた。


「どちらの願いを女神は受け入れるか。さぁ始めましょう。ラソードの後継者よ」


「ラソードは……関係ないって言っているでしょうがッ!」


 地を蹴り、疾駆する。

 一瞬にしてメルブルクの懐まで潜り込むと彼女は躊躇なく剣を振り下ろす。

 無駄のない一撃、だがその斬撃は彼女に届くことはなかった。


「ッ!」


 僅かながらにメルブルクの身体が歪んだかと思うと視界から消え去る。

 何事かと辺りを見回し振り返った瞬間、眼前には赤き刃の剣が迫っていた。


 咄嗟に防ぎ混じり合う甲高い金属音。

 切迫と混乱が乱れた感情と共にラビットは剣をいなすと後方転回で即座に距離を取る。


 メルブルクの手には陽炎のように空間が歪んだ緋色の長剣を右手に把持していた。

 

(何が起きた目の前から消えた? あの赤い剣の能力なのか、一体何をした?)


 必死にラビットは肉眼で視認した出来事の考察を始める。

 だが一秒すらも猶予のない状況の中、まともに考えるゆとりの時間など存在しない。


 思考を巡らせていた時、不意打ちのように彼女の腹部に衝撃が走る。

 痛みを感じる前に呼吸が出来なくなるほどの息苦しさが全身に駆け巡り吹き飛ばされてしまう。


 何とか膝をつかずに体勢を整えるものの呼吸する暇もなく、次から次へと攻撃が神経を刺激しラビットの身体を痛めつける。

 対応しようともメルブルクの攻撃は止まず彼女の意識は徐々に蝕まれていく。


「美しいでしょう? 私の剣アリファは。私の理想に相応しいフォルム、綺羅びやかさ、洗練さ、全てにおいてハイクラス」


 アリファと呼ばれる剣を太陽に掲げると悦に浸るようなうっとりとした表情でメルブルクは自賛を始める。


 そんな彼女の言葉を耳に入れずラビットは口内に溜まった血を吐き捨てると自分よがりに語る彼女へと睨むと微笑した。


「何となく分かった……貴方の剣、肉体を強化して高速化させる能力なんですね」


 ラビットはただ馬鹿みたいに嬲られている訳ではなかった。


 視覚に焼き付いた情報から彼女なりの考察を痛みに堪えパズルのように繋ぎ合わせる。

 ラオ・リーでの過ちとゼロの言葉もあって劣勢だというのに妙に冷静になれた。


(でも、それが分かった所で……か。なんて理不尽でなんてやるせない)


 汗と血液を拭いながら苦境を紛らわすかの如く気丈に振る舞う。

 

(倒すだけ、いや殺すだけならアビス・クライでどうとでもなる。でも殺しちゃ駄目、殺したら終わり、生きたまま……目の前の障壁を潰さなきゃ。威力を、技を間違えれば最悪の未来になる)


 ラビットは過去の記憶を穿っていた。

 試験でのレイドとの対戦。


 力尽くだったがあの時は運良く彼を半殺し程度の怪我で無力化させることが出来た。

 だが自らが手にする剣はギガノ級、再びあんな力任せに振るえば今度こそは殺してしまう可能性も否めない。


「考え事をしている余裕なんてあるのかしら?」


 メルブルクの言葉にハッとするといつの間にか再び背後へと彼女は回り込んでいた。


「黒炎斬ッ!」


 漆黒の火炎を纏わせ横薙ぎの斬撃を披露。

 だが予見していたように、メルブルクは最小限のバックステップで回避すると彼女の顔目掛けて紅の刃を突き刺そうと迫る。


「黒炎斬・改ッ!」


 怯むことなく刃先を振り払うと黒い刃状の斬撃をゼロ距離から食らわすも、メルブルクは身体を歪ませ華麗に躱す。


「ラピッド・クラッシュ」


 剣の発光と共に、メルブルクはカウンターの原理で高速移動からなる峰打ちを放ちラビットを壁へと叩きつけた。

 

「ぐぶっ……!?」


「肉体強化による高速移動、貴方の考察は正解、褒めるべきだけど大英雄の孫であるならそれくらいの技術は当然かしら?」


 繊細な黒髪が乱れ、壁にめり込んだラビットを見下ろすとメルブルクは不敵な笑みで語りかける。


「でも残念、貴方の大振りな技じゃ私の速さは捉えられない。どれだけ攻撃力が強くても当たらなければただの飾り物」


 メルブルクは嘲笑しながら彼女へ近づくとゆっくりと剣を上段に構えた。

 ラビットは霞んでいく視界の中、懸命に歯を食いしばり意識を保つ。


 口元や額からは痛々しくも美しく鮮血が溢れ制服を染め上げていた。


「所詮は七光り、先祖の栄光を持ち上げられ縛られ自身は大したことのない末裔。そういう人間が一番嫌い。私は施設生まれよ、親もいない自分で生きるしかない、だから沢山貧しさの辛さと社会の醜さを味わった。その状況から成り上がる為に私は努力しここまで成り上がった、大英雄に甘え続けた貴方みたいな貧弱とは……格が違う」


 完全に無力化させるべくメルブルクは全力で剣を振り下ろし、刹那の時が刻まれる。


「朽ち果てろ」


 吐かれた勝利を確信する言葉。

 だが振りかざしたその刃は彼女へと当たることはなかった。


「ヘル・ファイア」


 詠唱を放つ冷徹ながらも美しい声色。

 瞬間、迫りくる熱気を察知しメルブルクは咄嗟にその場から体勢を崩し回避する。

 その直後に自らが立っていた場所には業火を纏った紅の剣が投擲され突き刺さった。

 

 透かさずに刃状の焔が生成されると数の暴力とばかりに次々と彼女へ放たれる。

 アリファの高速移動で難なく回避するもメルブルクの顔は驚愕に染まっていた。


「インフェルノ・ブレードだと……一体何処から!?」


 瞳を鋭く動かせながら辺りを見回す姿を嘲笑するかの如く、割って入る形で一つの人影が華麗に着地を決める。


 雪のように美しい髪に華奢で小柄な身体。

 内に秘めた激情を隠す天使にも似た顔立ちと冷静沈着な表情。


「随分とやられてるじゃない、黒兎さん?」


 振り返った宝石を霞ませる輝きを放つ瞳を見てラビットは思わず口角を上げた。


「もう……遅いよ、ゼロっち……ッ!」


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