第34話 振り返るよりも明日へ
慌ただしい騒動も日を跨げばただの日常に戻るものだが、俺は前日に引き続き検問所の医療室のベッドに転がっている。念の為に検査してから大家の契約をしたほうがいいと、職員さんに心配されたからだ。
「あんな殺気とばすなんて聞いてませんし! 屋内で待機していた上層部も何事かと飛び出す勢いだったんですから! それをあんな至近距離で! 絶対検査で体調が万全とわかるまで上層部は呼びませんからね!」
一方的に怒鳴られ、俺が何か言う前に医務室を出て行ってしまったため、俺はいま検査結果がでるまで寝て待つしかないのだ。
結局あの後、彼女は検問所で身柄を拘束、そして聞くことを聞いたら他にも罪を犯した異世界へ連行されるとのことだ。やはりあの時に伝えることを伝えて良かった。少しは胸のつかえが減った気がする。
誰もいない医務室に、意外な人が入ってきた。上層部の女性だ。
「昨日は生き餌として良い仕事をしたわね」
相変わらずで俺はため息で返した。
「あんな短時間で終わるとは思っていなかったから驚いたのよ」
「で、俺を褒めに来たんですか?」
女性は俺の隣のベッドに腰掛けて不敵に笑った。そしてジャケットの内ポケットから畳んだ紙を取り出して見せた。
「契約更新は早いほうが安心するでしょう? 貴方用に結界を張るのも時間と労力がもったいないじゃない」
「検査結果が出てからって言われてるんですけど──まあ上層部に直接言われたら仕方ないですね」
俺は女性から契約書を受け取り、今度は隅々まで読み込んだ。それを面白そうに笑いながら、女性は独り言のように言葉をこぼした。
「彼女、貴方に突き飛ばされた理由を探して再現を繰り返したそうよ」
思わず契約書に皺ができるほど握りかけた。けれど俺は女性の顔を見て、片眉を上げて鼻で笑ってやった。
「それが貴女の作り話ではない証拠、あります?」
「あら生意気にもわかるのね」
「俺も大家やっててヒトの理解不能な行動は見てますから」
引っかかりませんよと口角を上げると、女性は悔しそうに口を尖らせた。
「理由らしい理由をきちんと聞けたら苦労しないわ。ヒトのやることですもの」
愛想笑いをして俺は契約書に視線を戻した。
「貴方、自分のせいとか言ってるみたいだけど、そうさせたのは彼女よ」
女性は俺の目の前にペンを差し出し、話を続けた。
「たまたま貴方がバスから降りた後に不慮の事故で乗客もろともバスが崖下に落ちた──運が悪かっただけと割り切りなさいな」
「検問所──貴女としてはそれでいいんですか」
「人としてあれだけ体張ったのだからいいとは思うけど。まあ貴方がどう思おうか自由よ、周りは運が悪かっただけと言うでしょうけどね」
俺はペンを受け取ってさっさとサインした。あの時と違ってペン先は軽やかだ。
「あれくらいで償えきれるものではないと思っていますが……覚えておきます」
契約書をわたすと、女性は納得いかなそうな不服そうな顔で受け取った。
「難儀な大家ね」
「今後もよろしくお願いします」
「本当に生意気」
綺麗な顔が台無しになるほど嫌悪感を隠さず女性は医務室を出て行った。その時に外が騒がしくなったが、雨に濡れた子犬のような職員さんが入ってきて察した。
「こちらは貴方の身を思って……良かれと思ってですね……」
明らかに上層部の女性は独断で来た。職員さんもさすがに上司に当たる人にそこまで強くは言えないはずだ。それでも何か言って女性に怒られたか注意でもされたのだろう。
「なんか……すみません」
俺は申し訳なく謝ることしかできない。気苦労をかけて悪いとは本当に思っている。
職員さんはしょんぼりしながら俺の検査結果は問題なしだと教えてくれた。明日には大家に復帰できるとも。
心身共に大丈夫かと職員さんは気にかけてくれてくれるが、俺は大家として、いや、ただ俺はあの平凡な日常に戻りたいのだ。
もう脇腹は痛くない。傷跡は相も変わらずそのままなのに、なぜかもう痛みが走ることはない。不思議だが断定できる。
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