第12話 残夢

 異世界からの客にとって大家の家庭事情などどうでもいいことだ。いちいち泊まる宿の従業員の家族のことまで気にかけて旅行しない。それこそ常連で気心知れた仲でないと尚更。

 実家が全焼して爺ちゃんの元に来るまでには、少しだが空白の期間があった。


 病院で入院していたのだが、検問所の中の施設だったから普通と違った。長いこと液体の中に沈んでいた気がする。頭も体もふわふわして、目が覚めそうで覚めたくない。眠い感じがしていた。

 意識がはっきりしてからはベッドの上で医者と職員からの質問の嵐。

「顔と腕の火傷はどうにかなったけど脇腹のは痕が残りそうだ。他に痛いところはあるかい?」

「ご家族は残念ながら……何か覚えていることはあるか?」

「誰か怪しいヒトは身近にいたか?」

「ご家族以外の親戚などはいるのか?」

「血液検査をしたのだが……君は今まで医療機関にかかったことはあるのかい?」

 矢継ぎ早の言葉が音に変わってきたあたりで、俺の脳が疲れて視界が真っ暗になった。

 次に目が覚めた時には医者や職員はおらず、知らない老人が椅子に座って俺を見ていた。

「おう、起きたか」

 聞いたことのない声に首を傾げると老人はうんうんと何かを確認するように首を縦に揺らしながら俺の頭を撫でた。

「お前さん、わしの宿の大家をやりなさい」

 これが爺ちゃんとの出会いだ。

 俺は何もわかっていないままふわふわした頭で頷いた。爺ちゃんの仕草を真似しただけかもしれない。爺ちゃんは満足そうに笑った。

「また明日も来るからな」

 それから退院するまで爺ちゃんは目が覚めたら俺の横にいた。時間の感覚が戻るまではわからなかったけど、毎日いたんだと思う。

 爺ちゃんは反応の薄い俺に色々なことを話してくれた。

「異世界からの客人は破天荒なものから臆病なものまで様々だからな、特に気をつけるべきは──」

 異世界の住人のこと、大家としてのあり方、作業方法、そして爺ちゃんの人生経験や武勇伝。俺がちゃんと会話できるようになると、今度は爺ちゃんが俺の話を聞いてくれた。

「親はいたけど……いないみたいなもんだったし、兄妹もいない。親戚なんて聞いたこともない」

「ならわしの話はちょうど良かったな。わしのことを爺ちゃんと呼んでいいんだぞ」

「じぃちゃん……?」

「歳でいえばジジイと孫だろ? ちょうど良いな」

 そう言って爺ちゃんは俺を子供のように頭を撫でた。気恥ずかしさで顔が熱い。

「あの日のことは何か思い出せたか?」

 爺ちゃんの一言に俺は一気に熱が引いた。

「思い出そうとしても、もやで見えないみたいに曖昧で……よく覚えてないのかも」

 燃える居間の隅で大きな何かを見た気もする。誰かが叫んでいたような気もする。身体中が熱くて、脇腹が特に熱くて逆に冷たいんじゃないかと混乱していた気もする。

 でもどれもそんな気がする程度で、実感がない。

「まあ、焦らずやろう。そうだ、指先のリハビリにこれを持ってきたんだった」

 爺ちゃんは俺の膝に立体パズルを置いた。そして同じものを懐から出して俺にやり方を教えてくれた。

「こうやって指で動かすと列が動くから──そしたらここの面が同じ色になるだろ? 同じように他の面の色もそろえるんだ」

 これが無心になるにはちょうど良く、俺はこの日からずっと立体パズルを弄っていた。職員の定期的な質問もダルくなったら立体パズルを触ったら気が紛れて良かった。


 本格的に退院の目処がつく頃に、爺ちゃんと一緒に検問所施設内の大家としての能力取得のためにお偉いさんがいる部屋に通された。

 簡単な説明と練習をした後、スーツのお偉いさんに声をかけられた。

「君が良かったらこの契約書にサインしていかない?」

 爺ちゃんと一緒に薄っぺらい紙を読み込んで俺は目を輝かせた。夢のような内容だったのだ。

「ぜひ──お願いします!」

「おいおいそんなすぐに……いや、お前がいいならいいか」

 興奮して震える手でサインしたのを覚えている。お偉いさんと爺ちゃんが笑っていたのも。

「退院したらすぐに大家として任せるからよろしく頼んだよ」

「はい! 本当にありがとうございます!」

 あの契約書の内容は一言一句間違わずに忘れもしない。爺ちゃんとあの契約書のおかげで今の俺がいる。



 検問所(以下「甲」という。)と大家(以下「乙」という。)は、以下のとおり大家契約(以下「本契約」という。)を締結する。

第一条

甲は、乙に対し、以下の制限を課し、乙はこれを承諾する。

一 「大家の警告」を含む全ての能力の発動範囲の制限

二 無意識下での能力の発動の無効化

三 他の──



「大家、酒の追加をいいか?」

 シャケさんの声に俺は飛び起きた。いけない。共用スペースでうたた寝をしていた。

「やけに眉間に皺をよせて寝てたが大丈夫か?」

「はは……懐かしい夢を見ていたもんで……」

 シャケさん相手とはいえ醜態を晒した恥ずかしさで目が覚めた。涎を拭いながら俺はそそくさと納戸へ向かった。

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