第壱ニ話 英雄の凱旋
ぴちゃん、ぴちゃん。と、コンクリートで囲われただけの何もない部屋に天井から染み込んできた昨晩の雨水が床に水たまりを作るのだった。
俺以外誰もいないこの部屋で聞こえる音はどんなに小さなものでも人間の声並みには聞こえ気になるものだった。
外界と俺を遮る壁のおかげで俺は外がどんな状況であるのかを知ることはできなかった……できたとしても二日に一度様子を見に来る監視から新聞を受け取る程度。だが、今日は珍しく一日に二度、人の足音が聞こえたのだった。
カツン、カツン。と、ソイツの足音は規則正しく一切乱れぬリズムで如何にも訓練された軍人だと主張するような足音だ。しかも複数が横にではなく前に一人、後方に二人と上官を先頭に武装した部下が後ろを付いてきていると言ったとこか。
ソイツらは俺の房の前で止まった。
「0206番出ろ!」
しわがれ声で俺につけられた
一歩も中に入ることなく俺にすべてを委ねている、そんな感じだ。
ベッドに横たわる俺はソイツの声を知っていた……何度かあった程度だが、
顔だけを向けるがその男の顔は房の向こう側、廊下の電球の逆光によって見えなかったが整えられた口元のちょび髭が確認できて俺の予想は当たっていた。残念ながら表情は見えない、だから一つ反応を確かめることにした。
「なんだ……飯か?飯はさっき食ったと思ったんだがな、どうも退屈が過ぎると時間を早く感じるようだ」
「普通は逆であろう。大将殿」
ソイツは俺の
だが、一つ間違っていることがあるなら階級は元だ……。
「元だ……今は独房にぶち込まれた惨めなおっさんだ」
「そんな惨めでクズな男を笑いたかったのだが上から貴様を釈放せよと命令が出た。貴様は今から自由の身になる」
「なに?俺の刑期はあと6年残ってるはずだぞ」
「フン。出たくなければそのままでも構わない。だが、貴様を出すために1年間を費やした良き友人はソレを許さないだろうな」
「へえ、俺にはまだ……俺のために1年間をドブに捨ててくれる友人が存在したのか。てっきり俺はあの戦争でみんな失ったと思ってたな……」
俺は昔のことを思い出しその友人とやらの顔を見てみたくなった。出る気のない独房から出ることを決意する。
立ち上がった俺に銃口を向ける部下二人であったが、上官がソレを制し立ち上がった俺に近づいて手錠を外す。久しぶりに自由になった俺の腕はもう同時には動かなかった。寝返りが簡単にできることが何より一番うれしかった。
凝り固まった肩を解すため腕を回したところ彼の部下は肩をビクつかせ一歩二歩と後退りをしていた。俺は未だに恐れられていることを実感する。
だが、部下とは違い俺を知る帽子を深くかぶった男は口角を少しだけあげていたようにも見えた。
「俺の良き友とやらに会いに行ってやるか……で、いったいどんな奴なんだ。俺はそいつを知っているのか?」
「我々の口からは言えないこととなっている。きっとそのうちどこかで会えるだろうよ」
「なんだ……訳ありなのか。まあ、そうか。そういうヤツしか俺をここから出すことはできないからな」
俺の記憶の中にそんな善人はいない。この国で善人とは短命であり、軍隊の中にすら正義は存在しない。兵士として英雄になることを憧れていた時代は終わり今や生き残ることだけが彼ら兵士の唯一の支えとなっている。
今回、恐らくは政戦に俺を利用しようと企てる者が権力を使用しているのだと予想した。
「まだ外には反乱分子が残っているのか……?俺を出すってことはソイツらを駆除させることが目的だろう?」
三人の軍人に連れられ久しぶりに光のある通路を渡っていた時、俺の友人とやらを探るためいくつか質問を投げつけていた。当然すべての問いを真面目な男は一つ一つ答えてくれている。
「貴様と同じネズミ程度を我々は相手にするつもりはない。我々の敵は常に月に居るからな。地下の下水道で湧いて出る害獣は勝手に腐ったごみを食って死んでいくさ」
月の敵……新聞で毎回のように新聞の見出しを独占するルナティック・シンジケート。兼城はいつの間にか地球のすべての連合国に対して喧嘩を売れるほど強くなっていたのか、あの時の大統領は誰だったか……モリントル、ジョナウJr、ボーガン?
正直、その頃の大統領が誰であれ俺にとっては関係のない話だったが、月面に企業を構え力をつけた兼城を危険視していた大統領が「制裁を科す」と言っていた。しかし、未だに月の影響力が落ちていないところを見るに俺が独房に入っている間、なんの成果もなかったのだろう。
「貴様は愚かで
「アンタが関わらなければなんだっていい……」
「フン、つまらない奴め」
軍事刑務所から現れた2mを超える大柄な男は8年ぶりに外の空気を吸う。
俺はようやく外に出ることができた。数年ぶりに拝むことができた太陽の光は愛おしく、俺が見ていない間に変わってしまった景色に俺は息を吞む。
戦時中とは思えないほどに立派に立ち並ぶ高層ビルの数々は数年前にここへ入ったときには無かった。これも俺たちの犠牲があって守られた景色であるならいなくなった友も救われることだろう。
「おめでとうマックース君。キミは今から一応自由の身となった……一応と言うのは当然、キミにかけられた疑いを晴らすために監視を付けるという意味だ」
これは当たり前のことだ。俺は裏切り者という不名誉な肩書を与えられてしまっている。この国が俺を信頼するわけがない。
だが、「疑いを晴らす」という言葉はこの男なりの優しさであると素直に受け取っておこう。
「大佐、俺からも一応聞きたいことがあるんだが……俺は軍人に戻れるのか?」
「英雄はまたあの地獄を求めるというのか?」
「俺には地獄以外は似合わないだろ?それにこんな俺を受け入れてくれる所なんてあるのか?」
男は生えた顎鬚を整えるため優しく触れると一度空を見上げ考え込む。だが結論が出たようですぐに俺の方へ向き直るとまた話し始める。
「キミが戻りたいというなら私はいつでも扉を開けて待っていよう。その方が監視も楽であるし、なにより兵士不足が解消される。今の中央に住まう者たちは常に傍観者……生きることに必死な地方出身の私の部下である彼らと違い、ここでの平穏を終焉の時まで享受するつもりで戦争を他人事として捉えている」
「今は戦時中なんじゃないのか?」
「そう思っているのは我々だけだ。祖国の栄光のため、世界の均衡を保つために志願し命散らし戦うことが美とされた時代は終わったのだよ。地獄を見たことのない世代はそんなモノだ……どこかで自分たちの平穏のために今も血が流されているとは知らない」
俺は現代の変わった価値観に驚愕する。
8年前、第二次アスラ内戦時は多くの兵士が遠い異国の内戦を終結させるため、英雄になるため、世界のバランスを守るためと各々違った目的をもって国を離れ戦っていた。
その中には国を持たない傭兵としてM/Wを従え参加する不思議な少年が居たが、「人を理解するために戦場へ来た」と言っていたな……。何かを知ろうとするために戦場に出る彼が正しいと断言することはできないが、俺は傍観者を決め込む無関心な者たちよりは好きな部類だ。
「そうか……時代は変わったんだな」
「キミを監視すると言った件だが、期間は決まっている。予告なしでキミの監視を終えるつもりだ……そのあとは好きにするがいい、英雄が二度も国を裏切るとは思いたくない」
「じゃあ、好きにさせてもらうよ……」
俺は長い間入れられていた元合衆国アラストラル軍事刑務所の門の方に振り向き自分が受けてきた屈辱を思い出す。だが、今はどうも思っていなかった……。
「マックース君!」
俺が刑務所を後にしようとしたときだった。大佐は大声で俺を呼んだ。
「一つ訂正しておこう。私は元大佐、今の階級は大将である……ようやくキミに追いついた」
「訂正するよ元大佐殿」
「英雄に敬礼!」
彼の号令に合わせ二人の部下も美しい敬礼をおこなった。
彼らは訓練された軍人である。生と死が同居する地獄を生き抜いたものであるからこそ、英雄の称号を与えられた男を姿勢を崩すことなく最後まで見届けるのであった。
俺はその後アラストラル刑務所に収監されるまで毎日のように仲間たちと通っていたバーに入る。店内はあの頃とは変わっていない。カウンターに色鮮やかな酒が並べられていて、それ以外はがらんとした店内に客はいない。
よく俺の座っていた席に近づくと柱に刻まれた俺の連勝記録の傷が目に入った。この柱だけは時間が止まっているようで、傷をなぞっていると店の奥から眉毛まで白くなった白髪で背中の丸まった小さな老人が現れた。皺くちゃの顔をハッと驚かせ久しぶりの客に老人は驚いた反応を示す。
「おや、客かい……悪いがその席はある男の席なんだ。あいつ以外にそこは似合わない」
「…………その男はどんな奴なんだい。俺みたいに力があるハンサムな軍人か?なら、問題がないだろう」
「……?お前さんの声、聞いたことがあるな。この汗臭い感じ……お前まさかマックか?マックなのか!?」
「ああ、そうだ。俺だよ出所祝いに何か強い酒を出してくれないか?」
老人は「英雄が帰ってきた」と声をあげ店の奥から一番古くて強い酒を用意する。
「バーボンか……いや、今は違ったな。スコッティゼロ社のなんて言うんだ?」
「ケルティだ」
「パッとしない名前だな」
目が不自由なのにこの爺さんは俺よりモノを知っていて、俺より器用だ。もうほとんど見えていないはずの白眼で違和感を感じさせない慣れた手つきでグラスに酒を注ぐ。
俺は渡されたボトルのままでグイッと一気で飲みたかったが、今日ばかりは爺さんと乾杯がしたかった。
「爺さんも今日は飲め。俺のおごりだ」
「バカ言うんじゃないよ。出てきたばかりの男に金があるってのか?今日もツケにしてやるよ」
「すまねえな爺さん……」
「いいってことよ。さあ英雄の凱旋に乾杯だ」
俺には名前がいくつか存在する。0206、マックース・ガラディエ、マック、そして裏切者と英雄。
月からバケモノが降ってくるまで俺は戦場でいくつかの功績をあげ、軍で大将の階級を与えられるくらいには貢献していた。英雄と呼ばれるようになったアスラ内戦、そして俺が裏切り者と呼ばれる所以となった北アメリア大陸内での内部闘争。
すべては
ヤツらの恐ろしさを目の当たりにした人類は未だ生き物の頂点に人間が立てていないことを理解する。
神使が人類のおよそ半分をあの世に連れて行くと人間は未知の生命体を恐れ力を求めた。今までSFの世界だ、おとぎ話だと地球の外を知らぬ人間は火星人や地球外生命体を馬鹿にしてきた。だが、いざ目の前に予想をはるかに上回る巨人、生き物の形をした神の使いであるヤツらを見た時対応することもできなかった。
『人は力よりも未知という己の知らないモノに恐怖する。』
誰が言ったか知らないが俺はその通りだと思う。
人間相手であれば相手の行動を読み思想を解明し次の行動を予測することができる。戦争も指導者の考えを読めば指導者同士のにらみ合いが続きお互い抑止力の為に力を蓄える。戦争はいつもこうやって回避していたが、ヤツらは別だ。何を考えているかわからない、どこで生活しているかもなぜ地球に落ちてきたかも専門家は知らない。
誰がアレを予想できるのか、次はいつ来る?人間は次の行動がわからない未知の生命体に恐怖し新たなる力。
人間の矛となり盾となる兵器を量産することになる。
それが機動兵器“
日本の使うモアや合衆国(今は北アメリア連合だが)の使うバウンディードッグなど数多くのM/Wが登場し始めるがそのM/W産業で台頭し始めたのが現在の敵、月に住まう者たちである兼城財閥だった。
財閥は古くから最先端のロボット工学に力を入れていた為にM/Wの土台となる技術を持っていて、初期モデルのモアの量産を始めるとその管理された工場の生産ラインによってみるみる頭角を現してきた財閥はやがて月を目指した。
月に住み着いた敵は我々と同じ人間、それも本来各国が依存するほどの技術力をもった大企業だ。
俺もM/Wに乗って英雄の名を貰った身として複雑な気持ちだった。
「ロバートさんお久しぶりです!」
「おお、その声はボガード少佐」
少佐……ボガード?知らない名前だ。
声の方を振り返るとアスラ系アメリア人であろう高身長で坊主の青年が店に入ってきた。少佐と聞いたから制服を着ているものかと思ったが、彼はプライベートであるのか私服だ。
私服であるTシャツは内側の筋肉にいじめられている。
「珍しいですな平日のこんな時間に顔を出すとは」
「ああ、いや偶々休暇に入っていて店の前を通りかかったら楽しそうな声が聞こえたモノで」
爺さんから少佐と呼ばれた男は俺の方を向くと「隣よろしいですか」と確認を取るが、俺が彼を拒む理由もないのでついでに彼の酒も注文をする。二人の会話から彼が常連であるようだったので「いつものやつ持ってきてやれ」と、言うと爺さんはまた店の奥に入っていき俺は彼と二人きりになってしまった。
「少佐殿だったな……キミはここによく来るのかい?」
「ええまあ……でも、転属になってからごく稀に来る程度ですよ。ここは人が居る時と居ないときで居心地が変わりますから」
「なるほどな……」
「どんな階級であっても民間人にはその階級が通用しない。確認を取らなければ貴方のような方の隣に座ることができないですから」
「安心しろ……俺は人かそれ以外かでしか興味はない」
爺さんが持ってきた酒は安いクラフトビールだった。
「おいおい爺さん、こんな安い酒がこの男に似合うと思ってるのか?もっと良いの持ってきてやれよ」
「お前さんの代金に追加しておくからな」
「どんと来いってんだ」
爺さんが笑いながら紙にメモをすると再び店の奥に消えた。
「やっぱりアナタは英雄の名にふさわしい男ですね」
「その名は俺には重たすぎる……」
「僕はケネス・ボガード。ケネスでもボガードでもどっちでもいいよ」
男は黒い手を差し出して俺と握手を交わす。
「俺はマックースだ」
「キミのような英雄の名前を忘れる者はいないよマック。会えて光栄だ」
ケネスはどうやら北アメリア連合国海軍の軍人らしく海の仕事を終え新たな部隊を作るためにここへ来たようだ。
純金に刻まれた鷲のバッジは本物の証だ。
「やっぱり彼の言う通りいい人だ」
「彼……?」
「彼から直接聞いていないのかい?僕がこの町で新たに作る部隊と関係があるんだが、そのためにキミを刑務所から出したって」
「その彼っていったい誰のことなんだ?誰も教えてくれない」
「…………申し訳ないが、僕の口からは言えないことになっている。まさか、キミと接触するためにここへ来たのだが何も知らないってことなのかい?」
「ああ、すまない。俺はその友人とやらのおかげで今日出れたがなんの説明もないんだ。その友人の名前すら知らないくらいだからな」
「そうか……それは残念だな。じゃあ、いきなりで悪いがキミはまたM/Wに乗りたいと思わないか?」
「M/Wに?」
そういうとケネスは一枚のチラシを俺に手渡した。
M/Wのパイロットとそれに関係する職種が記された求人広告であるが、発行元は軍である。
俺は酒を飲みながら隅々まで目を通すが怪しい点は一つもない。
「M/Wの発展により今や戦車の時代はとっくに終わっている。だが、国のお偉いさんは未だ戦車と戦闘機に絶対の自信を持っている。そのおかげで軍ではM/Wパイロットの教育が厳かな状態になっているんだ……」
「教育というとまた俺に訓練を受けさせて戦場で戦わせるってことか?」
「いや、キミにはパイロットの卵を育てて欲しいんだ。教官としてキミの技術と経験を彼らに教えて欲しい」
「国が良い顔をするかな?」
「ソレに関しては大丈夫だと軍上層部でキミを知る者たちとキミの友人からお墨付きを得ている」
「俺の友人は随分と顔が広いんだな」
「高い買い物をしたと言っていたよ」
俺の友人とやらが未だにどちらと強いコネクションを持っているのか不明であるが、俺のためにどちらかへ賄賂を渡していることは確かだった。そして、ソイツは慎重な奴でケネスという仲介人を用意して俺とコンタクトを取ろうとしている。
「なるほどな……俺にはまだ居場所があるってことか」
「キミが居た頃よりも給料はいいよ……引き受けてくれるのかい?」
俺は少し悩む仕草をする。結果は決まっているが、少し彼の表情の変化を見てみたいと思ったからだ。
「裏切り者と呼ばれた俺を国が最高機密の集まる軍に入ることを本当に許すのだろうか」
「そんなの関係ないさ、キミは英雄だからな±0でチャラだよ。それにキミを会わせたい部下も居るんだ……キミの持つ技術を彼らに教えてくれれば彼らは戦場で生き残る術を見つけることができる」
しかし、俺はもうM/Wに乗るのをやめてしまっていた。いつかは来るであろう世代交代はもう既に行われている。
俺の時代は終わったんだ。
俺に期待してくれているのは嬉しいが、今更俺にできることは何もない……友人には悪いが俺が軍に戻ってもやれることがないとネガティブな思考が頭の中に浮かんできた。
だが、彼の言う通り俺には戦場で生き残る術を教えることはできる。時代が変われば当然戦争の考え方は変わった……生き残ることも視野に入れていい時代だ。
「爺さん!アンタも乾杯しようじゃねえかすべて
「大佐、このバカは最初からツケにするつもりだったから値段はいつもの倍以上ですよ?」
「ああ、いいとも」
「ケネス、お前には借りを作っちまったな」
ケネスは口を緩め笑う。自分が勝ったことを理解した男はもう一本高い酒を注文し、二人は一気に飲み干した。
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