秋、十八歳
蓮二の薦めで高認を取るための勉強を始めた。蓮二も高校は卒業してなくて、高卒認定を取って大学を受験したのだった。私は別に大学なんて行くつもりもないと言ったけど蓮二は何か目標があったほうがいいというので受けることにした。勉強のことはもともと嫌いなわけではなく蓮二が教えてくれるので割りとすんなり理解できた。この頃の私は誰かを信じてみようと思い始めていた。一番身近にいてくれるはずだった両親のことを信じれなくなってからの私は上辺だけの人間関係しか作れなかった。けれど荻野目家で暮らすうちに自分の中の壁みたいなものが少しずつ低くなっていくのを感じていた。
「蓮二はどうして保護司になったの」
「俺? そういえば話してなかったっけ 友達のお父さんが保護司だったんだ その友達ってのが俺のこといじめてた奴」
「え それって」
「その人は毎日ウチに来て謝ってた 大人になってわかったことなんだけどさ、俺のこといじめてた奴は飢えてたんだよね 父親が保護対象者に熱心で自分が蔑ろにされてるんじゃないかって 俺も父さんや母さんがそうだったら同じようになってたかもしれない でも親父さんは自分の息子のせいでって両親の前でずっと頭下げてて そいつは結局非行に走って警察に捕まったらしいって、ちょうど大学に通い始めた頃に聞いてさ 俺、会いに行ったんだ」
「許せたの?」
「初めはヤだったよ そいつも俺のこと覚えてて顔合わせたらバツが悪そうにしてた 久しぶりって声かけたけど何にも言わなくてずっとだんまりだった でも俺の考えすぎかもしれないけど俺との面会を拒否しなかったのは謝りたかったんじゃないかなって思ったんだ 帰り道でいろいろ考えた これからあいつはどうするんだろうとか 父親が保護司なら更生も早いのかなとか 偉そうだけどちょっと可哀想に思えた 親父さんの正義感とか親切心の裏側であいつがそうなっていっちゃったのが 誰かがよくしたいと思ってもみんなが幸せになれるわけじゃないってことが ただどんな人にでも助かる権利がある 俺は運がよかったんだ 俺はあいつのことも助けてやりたいと思った ひどい目にあわされたけど それでもあいつの気持ちを救えたらこの先も変わっていけるんじゃないかって それから保護司について勉強するようになったんだ」
「その人は」
「言ったろ 友達だよ 今は普通に働いてる 親父さんはもう辞めちゃってたから別の人が就いたらしいけど そいつはそれで初めて父親の気持ちがわかったって言ってた お互い時間はかかったけど笑って話せるようになった だから俺は保護司になった 瑞季のことも助けたいだなんておこがましいかもしれないけど、でも誰だってやりなおせるんだってことを知ってほしい」
蓮二の話を聞いて私は初めて昔の自分に向き合える気になった。口に出すのが怖かったのも本当だ。でもこの人になら話せると思った。
「私ね、ほんとはやってないんだ」
「うん」
「悪いやつらと繋がって、そいつらが詐欺やってるなんて知らなくて」
「ゆっくりでいいよ」
「私、なんにもしてないのに 気づいたら巻き込まれてて でも でも 自分が悪いって思っちゃって こんなはずじゃなかったのに もうどうでもいいやってなって 容疑認めたらちゃんと捕まって 私 やだったよ 鑑別所で暮らすの 悔しかったよ なんで私だけって」
「辛かったな」
「ここ出たら 絶対殺してやるって思ってた 父親や母親のこと殺して 今度はちゃんと捕まってやるって思ってた でもあいつら身元引受人になるのを拒否したって聞いて 私 今みたいに泣いちゃったんだよ 抱きしめてほしかった 愛してほしかった」
「頑張ったね」
「蓮二、お願いがある ついてきてほしいとこがあるんだ」
電車で二駅乗るだけ。意外とすぐそばにあるのに海外ほどの距離を感じた。あれから両親は離婚して母は一人暮らししていた。スーパーの外からガラス越しに見た母はすっかり年をとって見えた。笑ったり泣いたりすることもなく、機械みたいにレジを打っている姿はどこか疲れているように感じられた。私は聞きたかった。母がなぜ私を拒んだのかを。娘のために離婚しないなどと恩を着せてきたその人のことをもう一度だけ信じてみようと思った。
「いらっしゃいませ」
「お母さん」
「……どちら様ですか」
「教えて」
「お次の方どうぞ」
「お母さん!」
「ちょっと、大声出さないでください 仕事中なんです 困ります」
「よく言うよ お母さん、私が困ってる時なんにも助けてくれなかったくせに」
「ごめんなさい田中さん、少しだけ変わってくれる? ごめんね ちょっとついてきて」
母が煙草を吸うようになったのは知らなかった。あれからの二年半、親子なのにお互いがお互いを何も知らないで過ごしてきた。
「急に来ないでよ 私だってもう私の生活があるんだから」
「なんで身元引受人になってくんなかったの」
「あんたが出てったんじゃない あんたから縁切ったんでしょ」
「心配とかしなかったわけ 私が出てってから一回だって連絡もよこさないで 清々したわけ? 私がいなきゃ親父と別れられるから?」
「勝手なこと言ってんじゃないわよ あの後私がどれだけ苦労したかわかってんの? あんたが捕まって親戚中から罵倒されて 私だって」
「お母さんは私のこと恥ずかしいんだ」
「当たり前でしょ前科者なんて わかったら帰ってちょうだい」
「私はただ愛してほしかった」
「なに言ってんだい」
「親なら無条件で愛してほしかった! それに応えたかった! お父さんと仲良くしてほしかった! 三人で 暮らしたかった」
「瑞季 ごめんね 私、あんたを産まなきゃよかったって思ってる」
私はその場から逃げ出した。悔しくて辛くて、誰かを信じようとした自分が馬鹿だと思った。蓮二が呼び止めてくれたけどそれも振り払って走った。もう誰とも会いたくなかった。これ以上傷つきたくなかった。
日が暮れてきても私は動けなかった。このまま死ぬんだと思った。カッターか何かくすねてくればよかった。くだらないことばかりが思い浮かんだ。私が決めたことなのに、現実があまりにもひどくて受け止められなくて、二年前に戻っていた。
「いた」
「んだよ」
鬱陶しかった。親でもなんでもないくせに保護者づら。いつも付き纏ってきて何様だよと思っていた。
「帰ろう」
「関係ねえだろ!」
「あるよ!」
「もう構わないで!」
「君がいなくなったら、俺は保護司としてそれを報告しなきゃならない そしたら君を また警察に渡さなきゃならなくなる もう嫌なんだ 君が苦しむのを見るのは 瑞季 やりなおせる お母さん言ってた あの子をよろしくお願いしますって 俺も言った あなたは無責任だけどそれでも瑞季の母親だってことは一生忘れないでくださいって 帰ろう」
蓮二にしがみついて一生分泣いた気がする。私はこの人のことが好きだった。
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