夏、十七歳

 一年経ってもここがまだ自分の居場所なのかわからないでいた。荻野目の人たちはおじさんもおばさんも優しかったけど私はその優しさや人間というものに対してすっかり信じきれなくなっていた。親切にされればされるほどまた裏切られるのを怖れてしまって素直になれなかった。だから一年経ってもおじさんやおばさんとはまともな会話にならなかった。でも蓮二にだけは返せていた。正直ウザすぎるほどしつこくてずっと話しかけてくるから私が根負けしたのもあるけど、なぜか蓮二に対してだけはスッと言葉が返せた。その「なぜか」は今ならわかる。だいたいは「うざい」とか「だまれ」とか悪態づいてたのがだんだんと普通の話もできるようになっていった。それでも私はまだどこかで怖がってしまってた。

 

 平日の昼間はだいたいおばさんと二人きりだった。保護司がボランティアだって知らなかった私はてっきりお金のために私を引き取ったのだと思っていたけどそうじゃないならそれはそれでワケがわからなかった。ともかく蓮二もおじさんも日中は本業の仕事に出ていて、十七になった頃まではおばさんと過ごす時間がいちばん長かったかもしれない。

「瑞季ちゃん、お茶飲む?」

「うん」

「今日も暑いわね 体調とか大丈夫?」

「うん」

「はい 麦茶 私ね、瑞季ちゃんがうちに来てくれてほんとによかったって思ってる」

「いいよそんな話」

「聞いて 蓮二が瑞季ちゃんと同い年くらいの頃 あの子いじめにあっててね」

「え 」

「あの子、そのこと私たちにずっと黙ってた 自分でなんとかしようとしたのかしらね でもわかるじゃない 毎日浮かない顔して、カバンなんてボロボロだったのよ だから私聞いちゃったの あなたいじめにあってるんじゃないの? って」

「……」

「それからずっと口を聞いてくれなくなった ここに来た頃の瑞季ちゃんより頑固だったんだから 部屋に閉じ籠っちゃってね 学校も行かなくなって お父さんも私もどうしていいのか全然わからなかった 傷つかないで済むならこのままのほうがいいのかなって でも毎日声だけかけてた おはよう おやすみ それだけだったけど そんな日が何日も続いて、ある日突然出てきてね あの子言ったの ありがとうって 毎日声かけてくれてありがとうってね 私はほら涙もろいからぼろぼろ泣いちゃったんだけどお父さんも鼻水たらして泣いててなんか可笑しくなっちゃってね 蓮二ってしつこいでしょ?」

「……」

「瑞季ちゃんと蓮二のこと見てるとあの頃を思い出しちゃう 大きくなったのねあの子も だからね瑞季ちゃんも大丈夫よ ずっとここに居ていいんだから じゃあ私ちょっと洗濯してくるから コップそのまま置いといていいからね」

 おばさんはそう言って立ち上がった途端にそのまま床に倒れ込んだ。

「おばさん? ね! どうしたの! ねえ! おばさん!」

 どうしようって気持ちばかりが焦って私は蓮二に電話をかけていた。出て、早く、お願い、一人で焦っていた。

(どうした?)

「おばさんが、おばさんが」

(何? 母さんがどうしたの)

「蓮二、おばさんが……急、急にたおれて」

(瑞季、落ち着いて すぐ戻るから!)


 あの時、私が救急にすぐかけていればおばさんは助かったのかもしれない。脳の病気だった。蓮二は自分を責めるなって言ってくれたけど私には後悔しかなかった。病院の一室で四人だけになって、誰も言葉を失くしていた。おばさんの顔はなぜか穏やかで苦しんだ様子もなくて、でもおばさんはもう亡くなってしまったんだって事実が辛かった。

「おばさんが倒れる前に蓮二の昔の話をしてくれた 蓮二が私にしつこいのは自分に似たんだって」

「そんなこと言ってたんだ 莫迦だよな 俺ぁ  まだ何にも 何にも返せてないのに」

 私はどこかで人が離れてくことに慣れていると思ってた。だから自分が傷つかないように意地を張って守ってきた。私は最後までおばさんにちゃんと返事が出来なかった。とんだ勘違いの馬鹿な子供だった。謝りたかったけどもう遅くてそれでも探して探してやっと出せた言葉だった。

「おばさん、毎日一緒に話してくれて  ありがとう」

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