第9話 愛娘のおそろしき野望
愛娘はそれを許容し、知っていたにもかかわらず、何もしなかった。
あの愚鈍に女達がまつわりつこうとするのを、見守っているだけだった。
ギース殿下も我々も、それを愛娘からの計画了承のサインととっていたのだ。
ここ数ヶ月、殿下はさりげなく我が愛娘に接近し、悪くない感触も得ていた……筈だった。
「お前は……弟君に好意をもっていたのではないのか?」
我が愛娘は、礼儀正しく僅かに眉をひそめて、心外という表情を造り。
「王族であり婚約者殿の弟君であるので、それ相応の敬意を払っていただけですわ。好意などは全く。
もし弟君でない殿方が、わたくしにあんな馴れ馴れしい態度をお示しになったら、許しはしないところでしたわ」
こんな時でも、愛娘は完璧だった。
今の言葉が真実か否かすらも判らない。この私でさえも。
だがギース殿下は自分の才に自信がある方だ。
愛娘の態度を自分に好意をもっての態度だと考えたのだろう。
「わたくしは、将来王家に加わる身。王家の方々と軋轢など起こしたくありませんでしたわ。しかも彼は義弟となられるはずだったお方。
ですからおいたも2度は許しましたのよ。でも3度目となると、もはや仕方ありませんわ。
これ以上放置すれば、わたくしに対する横恋慕で、殿下が即位ののち反乱など企みかねませんもの」
「……」
筋が通っている。
全く筋が通っている。忌々しいほど。
「それに……殿下に対して謀を巡らした方々は、弟君だけではありませんのよ。
弟君ほどは直接的な手段ではありませんでしたけれど。
ですから弟君を処断することは見せしめとなりますわ」
背筋が寒くなった。
我が愛娘は知っているのだ。
王家と私が、殿下を排除するつもりだったと。
つまりこれは、私に対して恫喝しているのだ。
「そ、そうか……それでは仕方がないな」
もうひとつ計算外だったことがある。
王家の『耳』や、我が家の『犬』の一部が、我々よりも愛娘の言葉を聞くようになるとは!
あいつらは影。我ら雇用主が直接声などかけぬ卑しい者。
だが、愛娘は彼らをそう扱わなかった。
働きには褒美を、そして抜きん出た者は自らの口で褒めた。
それだけだった。それだけで彼らは我が愛娘へ靡いていった。
気づいた時には、少なくとも4分の1が愛娘に握られ、残った奴等も、私や王家にどこまで忠義か判らない始末だ。
今や目の前の愛娘は、独自の諜報組織をもっている。
おそらく、あの無能殿下の周囲にも数人の腕利きがはりついている。
こうなっては病死に見せかけて退場していただく事もできない。
下手をすれば、逆撃をくらうことすらありうる。
この瞬間にも、王家や私に貼り付いているものがいても不思議ではない。
そうでなければこんな報告書は作れない。
だが、なぜだ。
なぜ優秀な我が愛娘が、あんな愚鈍で無能な、優れたところなどひとつとしてない男を守るのだ。
娘の口からも、あの愚昧に対して、褒め言葉など聞いたこともないというのに。
「では、お父様。閣議で筆頭侯爵家として責任を果たしてくださいましね」
「……弟君は継承権を剥奪ののち断種して辺境の男爵とする。
男爵と言っても領民もいない形式的なものだ。
王妃様は北の離宮で隠遁していただく。お二方とも数年のうちに御病死となる。
王妃様の御実家はお取り潰しとする……」
「ふふ。その辺りでよろしいかと。
わたくしとしてはこれ以上連座する者が広まらないのを望みますわ」
首筋が寒くなった。
私がこれ以上殿下に何かしたら、実家である我がアバンダン侯爵家すらも潰すかもしれん。
まさか。いくらなんでも……いや……。
「……お前は――」
そんなにも王妃になりたいのか、と言いかけて呑み込む。
王妃になるならギース殿下が相手でも良かったはずだ。
お似合いの美男美女、そのほうがよいはずだ。
まさか、あの男の王妃になりたいのか!?
いや、それはありえない。
あんな愚鈍で無能な男の王妃になりたいなどあり得ない。
では、なぜだ。
私はあいつの顔を思い浮かべる。
ねむそうで愚鈍という以外、なにも印象の残らぬ顔。
細かい部分を思い出すことさえ困難な顔。
あんな男になぜ――
まさか。
あんな男だからなのか。
我が愛娘の才覚をもってすれば、たやすく操れる男だからこそなのか。
我が自慢の愛娘は。
王になりたいのか。
その瞬間、全てがつながった。
この国では、女は貴族の当主にすらなれない。まして王になど。
だが、周りの男が皆顔色をなくすような優秀な愛娘が、その立場に不満をもっていたとすれば。
自分ならもっとうまくやれると考えているとしたら。
無能で愚鈍な男を操り、実質的な王になることを考えていたとしたら。
その場合、邪魔になるのは、高位の王位継承権を持つ有能な男――ギース殿下だ。
だからこそ、我々を踊らせている間に、もみ消すことが出来ない証拠と手続きを準備して、このタイミングで!
「ふふ。これで残り僅かな学園生活も煩わされることなく過ごせますわ。
では、よろしくお願いしますわね。お父様」
我が愛娘は、完璧な礼を見せると、父親の私ですら惚れ惚れする楚々とした動きで退出していく。
その背中を呆然と見送る。
娘の大それた野望を阻止する手段は、なかった。
私に出来るのは、愛娘が『稀代の悪女』として歴史に名を残さないことを願うだけだった。
わたくしの婚約者は無能ですが、たったひとつのことだけ有能です マンムート @NOMINASHI
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