閑話 娘の婚約者に無能者を選んだのは私だが、そのせいで娘が希代の悪女になりそうで怖い

第8話 愛娘はいつでも完璧


 正気か、と疑う。


「我が愛娘よ。この報告書の意味が判っているのか?」


 デスクの上に広げられた報告書を指で叩けば、美貌と優秀さを兼ね備えた我が愛娘は。


「ええ。流石にこれ以上おめこぼしをするわけには参りませんでしょう? 罪には罰を、違いますかしら? お父様」


「……」


 確かに表面的には全く正しい。


 目の前にある報告書の内容はこうだ。


 ハインツ王太子殿下をハニートラップにかける陰謀が発覚した。

 謀主は王太子の弟君ギース王子。

 主犯、しかも三度目。大逆である。

 更に弟君の母君である王妃殿下、並びにその実家である侯爵家が積極的に手を貸していた。

 これもまた大逆である。


 添付された証拠や証言の数々からして、事実であることは間違いない。



 我が王国の法に照らせば、ギース殿下は、継承権剥奪、断種ののち辺境追放。

 王妃殿下は幽閉。その御実家は取り潰し。その辺りが順当な刑罰だ。


 だがだ。


 ここでギース殿下を公的にも私的にも破滅させれば、我が愛娘マノンの相手は、あいつに決定するということだ。あの無能なゴクツブシに。


 かといって、王族や王位の継承権をもつ遠縁を見渡しても、余りに若すぎるか、既に既婚者しかいない。


 流石に、我が愛娘と結ばせるために、既婚者を裂くというわけにもいかない。


「それともお父様は、王家の権威を傷つける無法を容認せよと仰るので?」

「……」


 仰りたい。いや、言いたい。

 だが容認してくれ、とは言えない。


 愛娘の口から出た理屈は、忌々しいほどに正しいからだ。


 我が国の王家が長子相続であることは、王家と貴族と平民の間で結ばれた大法典によって定められている。定められた法を適切にかつ公平に執行する、いや執行しているかに見せることが王家の権威の源泉だ。少なくとも重要な源泉だ。


 法に照らせば、正当な権利者から簒奪を企むことは不法である。


 だが、それでは、あいつが。あいつが本当に次代の王になってしまう。

 我が愛娘が、あの愚鈍と無能の塊の妻になってしまう。


 なんとかここで思い留まらせて――


「すでに、この報告書は陛下及び大臣がたにも提出してありますわ」


「!」


 思わず呻き声が出てしまう。


 すでに遅かった。


 もはや王家すらこれを無視出来ない。


 王太子の弟君であるギース殿下は才長けているため敵も多いのだ。

 美貌と知性を利用してお手つきにした貴族の子女が複数いる、当然その係累も数多い。


 形式上は無能なハインツが王太子であったが、最終的には優秀であるギース殿下がが、次代の王。

 そのことには暗黙の了解があった。

 だからこそ、今までは誰も声をあげなかった。


 だが裏では激しい憎しみを買ってもいたのだ。


 確か農業大臣の娘のひとりも、孕まされたあとで不審死を遂げた筈だ。

 もちろん胎の子がギース殿下の種である証拠も。不審死がギース殿下の手の物だという証拠もない。

 後処理は流石、と評すべきものだった。


 しかし証拠がなくても、娘を奪われた親の心は納得などしていない。

 閣議でギース殿下を見る目つきには、隠しようも無い昏さがあった。

 だが大胆な殿下は、それすら楽しんでいたようだが……。


 同様な恨み憎しみが一斉に噴き出すだろう。

 もはや王家と筆頭侯爵家と王妃の御実家の力をもってしても庇えない。


 もちろん、愛娘の相手であるあいつがまともならば、愛娘の行動は間違っていない。

 未来の王妃たる愛娘が、未来の王である婚約者を守る行動。全く正しい。妻の鑑だ。


 本来なら、父親として、良くやったと愛娘を褒めるべき行いなのだ。


 だが、あいつは。婚約者殿は。

 君主制の欠点を煮詰めたような男なのだ!


 君主制というものには二つの柱がある。


 権威と。能力だ。


 このふたつはしばしば相反する。


 なぜなら、君主制は権威と能力をかねそなえた君主に恵まれるとは限らないからだ。

 常に権威と能力のどちらを優先するかという問題が浮上する。


 だが、能力優先には大きすぎる弊害がある。

 後継者争いが起きやすいと言うことだ。


 これが片一方が優秀ならまだいい。 

 だが争いに勝つのが有能だと限らぬのは、歴史が証明している。

 さらにいえば、争う当事者達が優秀である保障もない。

 平凡と平凡。平凡と無能。無能と無能が争った例も枚挙にいとまがない。


 となると、出てくるか出てこないか判らぬ能力が高い名君より、儀式や血筋で蜃気楼のごとく作り上げた王家の権威を維持することを重視することになる。


 そういうわけで長子相続だ。


 人間は血筋に弱い。生まれる前から続いている血筋なら永遠に等しい。

 平凡であろうが凡庸であろうが、その血筋を引いていて長男でさえあれば権威は保てる。


 だが、権威の衣をいくら厚着しても、あいつは、ハインツは余りにアレだ。


 あいつを愛娘の婚約者にと言われた時、私は断固として反対した。

 誰があんな絵に描いたような愚鈍で無能な王子に、美貌なだけでなく才豊かな愛娘を嫁がせたがるか!


 だが、王家の意図を内々で伝えられて話を受けた。

 将来、愛娘はあいつでなく、その弟君と婚姻する予定なのだと。

 だからこそ優秀な愛娘を婚約者に据えるのだと。


 この婚約自体が愚鈍なハインツを破滅させる罠。


 優秀な愛娘に対して愚鈍なあいつは劣等感を抱くだろう。

 いくら優秀とは言っても相手は女。

 それに対してあいつは男なのに全く及ばない。

 凄まじい劣等感にかられ、無能な自分から目をそらそうとあがくはず。

 だがあいつはどこまでも無能だ、どんなにあがこうが無駄だ。ますます劣等感は深まる。

 そうすれば問題行動を自然と起こし、それを口実に廃嫡と出来る。


 そして優秀なギース殿下と我が愛娘を婚約させ、権威に傷をつけずに名君を得る。誰もが傷つけない冴えた遣り方――の筈だった。 


 だが、あいつの無能さは、私や王家の目論見を上回った。いや危険を察知する本能と言うべきか。


 あいつは娘に嫉妬するどころか、それを愛でる――フリをしたのだ。

 フリなのだ。フリに決まっているのだ。


 男なら隣にいる女に圧倒的に劣っていることを見せつけられてその相手を愛でられるはずがないのだ。男というのはそういうものだ。嫉妬深い性質なのだ。


 だが、阿呆のくせに、あいつは狡猾にも芝居を続けた。

 その上、他の女に全く見向きもしない。


 ありえない。


 完璧な女など、すぐ飽きるし上記の理由で憎みさえするものだというのに。


 おそらく、無能な人間でも、いや無能であるがゆえに危機を感じるケダモノ的な本能は強く。

 それゆえ、自分を守るために愛娘にしがみつくことを選んだのだろう。


 焦った王家と私は、次々と男好きのしそうな女を見繕って送り込んだ。

 だがことごとくあいつは相手をしなかった。

 ケダモノ的な本能で警戒したというだけでなく。多分……性的に不能者なのだろう。


 肉体的に問題がないことは確認している。精神的な不能なのだ。


 もしかしたらと側近候補の中に同性愛者を入れたこともあった。

 だが、全く相手にされなかった。


 王家と我が家の諜報部隊が徹底的に監視し、少しでも好き心を向ける相手を探した。だが、あいつは、あの無能で愚鈍は、他の女に全く目を向けないのだ!


 何の問題も起こさぬまま、あいつは愛娘と同じ王立学園に入り、そこでも問題を起こさない。


 こんな状況が続いてしまったため、いったんは何とか納得してくださった王妃と弟君が画策しはじめたのも仕方がない。



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