第7話 世界にふたりだけみたいですわ。

 お付きの方々は、羽交い締めにされても罵声を吐き続ける女を連れて行ってしまいましたわ。


 あら。

 みなさま、去って行きながらわたくしの方をちらりと見てますわ。

 同情のまなざしですわね。

 どうしようもない殿下を世話する仲間意識なのですわね。


 ふふっ。おあいにく様。

 わたくしは貴方がたとは違いますわ。

 だって、わたくしは殿下の婚約者なんですもの。


「ううーん……」


 あ。お気づきになったようです。お顔の色も良くなってきましたわ。

 わたくしは、膝の上の殿下の頭をそっと撫でながら、


「落ち着きました? 気分はどうですの?」

「うん……はぁぁ……なんとか大丈夫……ごめんねボクのような汚物に触らせて……」


 汚物は言い過ぎだと思いますわ。

 冴えないし愚鈍だし眠そうにしか見えないにしても汚物とまでは。

 でも、否定しても心底そう信じていらしてるので。


「そうですわね。でも婚約者ですもの。これくらいは仕方ないですわ」

「もう、いいよ……これ以上は君に悪いから。君が汚れてしまうよ」

「いえ。気分が悪くなってお倒れになったばかりですもの。もう少しこうしていたほうがよろしいですわ。それに――」


 雨音がささやきはじめました。


「雨が降ってきましたもの。しばらくこのままで」


 静かですわ。

 まるで世界に殿下とわたくししかいないみたい。


「う、うん、君がそう言うなら……で、でも、その……」


 なぜか殿下が視線を恥ずかしげに外します。


「どうかなさいましたか? またご気分が?」

「い、いや、そうじゃなくて……き、君のその……」


 あら? わたくしのことをいつも素直にあけっぴろげに褒めてくださる殿下らしくありませんわ。


 わたくしは殿下が視線をそらしたのは……殿下はわたくしの膝の上でお休みでしたから真上には――


「!」


 わ、わたくしの胸ですわ!

 し、しかも、こっ、これはいわっゆる膝枕の姿勢ですわ!


 こ、困りましたわ。

 婚約者同士とはいえ、結婚前の男女がこんなに濃厚に接触しているなんて!

 その上、ふたりっきり! 誰も見ていないところで!

 これでは、許されない恋人同士が人目を忍んで密会をしているみたいですわ!


 どどどどどうしましょう!? 断じてそういう事ではありませんのに!


 布地越しとはいえ、殿下の髪と頭を太ももに感じてしまいますわ。

 体温や呼吸や心臓の鼓動まで感じてしまっています。

 布地がなかったら、ちょっとしたはずみで赤子ができてしまう距離感ですわ!


 で、でもこうしないと殿下はさっきの悪臭女のせいでもよおした吐気がぶりかえしてしまいますわね!

 治療ですわ治療! あくまで治療なんですわ!


「でっ、殿下これは膝枕とかではありませんわ!

 勘違いなどなさらぬように! 勘違いですから! え……」


 殿下はわたくしの膝枕で、すやすやとお眠りです。

 果てしなく満たされたお顔をしていらっしゃいます。


 ほんとうにやすらかなお顔。

 流石はいつでもねむそうなだけはありますわ。


 こんなところで眠ってしまって、午後の授業はどうするつもりなのかしら?


「……ふふ。眠ってしまった殿下を置いていくわけには参りませんわね。

 わたくし、授業をさぼったことなんか、今までありませんのに……

 これは困りましたわ。ほんとうに困ったお方ですわね」


 わたくしは、やすらかな寝息を聞き、殿下の重みと体温を感じながら、座っておりました。

 不思議と心地よい時間が流れていきます。


「全く……殿下、貴方という方は、どこまで間抜けで不調法でどうしようもないんですか……」


 でも。


 わたくしは、殿下の頭をそっと撫でて、口の中で呟きました。


 このひとは、わたくしを愛することに関してだけは有能なんですのよ。


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