井ノ島との接触~⑥

「否定しなかった。つまり疑われているのは確かなのね。経理部の人間が事件に関わっているとなれば、外部からの不正アクセスにより漏洩したのは、政治家や官僚達の情報だけじゃない可能性がある。つまり横領の証拠が発見されたか、不正経理していた事実が発覚したと考えるのが筋でしょう。つまりあなたが横領、または不正経理をしていた疑いをかけられている。そう記事に書いていいのかしら」

「ば、馬鹿を言うな」

 彼は自分でも意図しない大声を出してしまったようだ。フロア全体に響きわたり、何事かと皆が口を噤みこちらに注目したからだろう。周囲を気遣うように、慌てて小声で言い直した。

「冗談じゃない。俺はそんなことをしていない。勝手な憶測記事なんか書かないでくれ」

「違うと言うのなら教えて。警察に何を聞かれているのよ」

 正直に話さなければ、おかしな噂を立てられてしまうと恐れているらしい。だが彼は勘違いをしていた。

 二人が週刊誌の記者なら事実でなくても、そうかもしれないと臭わし、判断は読者に委ねるといった逃げの記事が書けるだろう。

 けれどフリーとはいえ東朝新聞の記者と同席しているのなら、掲載先は新聞だと通常なら思うはずだ。しかし須依の脅しで冷静さを失った彼は、正しい判断が出来なくなったと思われる。

 もちろんそうなるよう意図的に導いたからだが、まんまと策に嵌った。その為にしばらく考えあぐねていたようだが、とうとう口を開いた。

「海外から不正アクセスを受けて一時はシステムダウンしたが、何故か経理部のパソコンからも機密情報にアクセスした記録が発見されたんだ。しかも情報を抜き取り持ち出された可能性もあるらしい。それでどういうことなのか、責任者である部長はもちろん俺も事情を聞かれた。しかしそれだけだ。うちの会社で横領だとか、不正経理をしていたなんて事実はない。だから冗談でもそんな記事は書かないでくれ。ただでさえ今回の事件で会社は大きなダメージを受けている。既にあること無いことを書かれ、うんざりしているんだ。嘘の情報でこれ以上傷を深くするのは止めて欲しい」

 かつてよりこの会社は、政府からの受注が多すぎると非難されてきた。その為今回の件を機に、その実態が暴かれるだろうとマスコミは騒ぎ立て、世間からも相当攻撃を受けている。

 元々会社の体質が悪かったからだろう。中には時間外労働やパワハラやセクハラなど内部告発者によると思われる情報が、まことしやかに次々書きたてられたのだ。

 その上反社会的勢力との繋がりがあるとさえ噂された。恐らく真実も混じっているだろうが、憶測でしかないものが大半と思われる。彼はそれを言っていた。

 しかしこれまでの誹謗中傷記事には、横領や不正経理にまで触れたものはない。だからこそ阻止しようと考えたのだろう。

 おかげで必要な情報が入手できた。佐々が井ノ島の名を覚えていたのは、CS本部の調査により社内からのアクセス記録が発見され、それが経理部だと判明したからのようだ。

 捜査員が事情聴取をする際に対象者として挙がって来た名前を見て、井ノ島の名を発見した彼は驚いたに違いない。そこで須依を思い出し前回会った際、つい口に出してしまったのだろう。もしくは意図的に情報を流してくれた可能性があった。

 どちらにせよ佐々には感謝だ。井ノ島と会話しなければならない煩わしさ以上の収穫は得られた。もう少し掘り下げられれば尚いい。

 そこで更に質問した。

「事情聴取を受けたのは、責任者である部長と代理のあなただけなの。他にもいるでしょ。アクセスしたパソコンを使用していた社員とか。それとも経理部全員が事情聴取を受けたとでもいうの」

 言葉に詰まっていたが、正直に答えてくれた。

「全員じゃない。部の中の一課に所属する社員だけだ」

「その一課のパソコンから、機密情報にアクセスした形跡が見つかったのね。その課には何人いて、あなた達以外でどれだけ事情聴取を受けたの。中でも執拗しつように聞かれた人が何人かいたはずでしょう」

 この問いはさすがに拒否された。

「そこまで言う必要は無いだろう。それに外部から不正アクセスされたのは確かなんだ。それをカモフラージュする為、内部のパソコンに侵入してアクセスした可能性も残っている。警察だってそれは認めていたよ。だから念の為に聞かれたまでだ」

「そうとも限らないわよ。例えばコネ入社し若くして代理にまでなったあなたを煙たがった上が、罠に嵌めようとしたのかもしれない」

中条なかじょう部長はそんな人じゃない」

 強く言い返した彼に、須依は微笑んで言った。

「中条さんって言うのね。ついでに他の社員の方の名前を教えてよ」

 口を滑らしたと気付いたからだろう。声を荒げて立ち上がった。

「これ以上話せることはない。俺が事情聴取を受けた理由は説明したよな。それが分かっているのに横領や不正経理の疑いがあるなんて馬鹿な記事を書けば、信用棄損きそんまたは業務妨害で訴えるぞ」

 そう捨て台詞ぜりふを残し、そのまま去っていった。代わりに警備員がこちらへ近づいてくると烏森が耳打ちしてくれた。井ノ島が彼らに、須依達は記者だと告げたのだろう。

 よって追い出される前にさっさと立ち去る方が身の為だと考え、二人は席を離れ出口へと向かった。すると警備員達は様子を見守るように立ち止まったようだ。

 自分達から出ていけば、揉めずに済むと判断したのだろう。障害者相手に下手な真似をすれば、何を言われるか分からないと恐れたのかもしれない。

 こういう場合はハンデが武器になる。ただそれはそれで不愉快だった。しかし世間が公平でない事実を受け入れる為には、偏見をもたれるケースも含め、割り切った受け入れ方をするしかない。

 何事も無かったかのように会社を出た須依達は、駐車場に停めた車に乗り込み走らせた。井ノ島と久々に会った事実に心は揺れたままだったが、表情に出ないよう気を付けながら移動した。

 烏森がいる手前、私情を挟まず弱気になってはいけないと、敢えて彼に冷たく当たった。けれどかつて受けた裏切りへの腹立ちより、懐かしさが先立った感情に須依自身が驚いていた。

 彼に未練があるなんて全く思わない。しかし一度は結婚まで意識した相手だ。しかも彼との関係を解消した後、恋愛感情からは遠ざかっている。的場との間でもそのような気持ちにはなれなかった。

 だからだろうか。あれからかなり時間が経過し、嫌な記憶を忘れようとしてきた結果、淡い思い出だけが心の奥底に残っていたのかもしれない。そんな感傷が湧き出た事態に困惑していた。

 須依は懸命に思い過ごしだと言い聞かせ、ふたをしてきた負の記憶を呼び覚ますことで彼への想いを払拭するよう試みる。また今の自分には烏森や佐々、的場といった理解者がいるのだと言い聞かせ、動揺を収めようとした。

 そうして胸のざわつきが落ち着いたと自覚できてからしばらく経った後、これからについての話題を広げる為に口を開いた。

「社内からもアクセス記録が発見されたというのは、新しい情報ですよね。しかし彼が言ったように、外部から不正アクセスした人間がわざわざ内部のパソコンに侵入し、履歴を残すようなヘマをするでしょうか」

 須依の心の動きに気付かなかったのか、いつもの調子で答えた。

「少し考え難いな。アクセス経路は海外サーバーを複数経由し、辿れないようにしているはずだ。それなのに、内部からアクセスした足跡だけを残すというのは理屈に合わない」

「そうですよね」

「ここに何か、今回の事件に繋がる新たな切り口が見つかるかもしれない。ただ俺達が追っている政治家や官僚達の不正とは、別件の可能性もあるけどな」

 いつもの調子を取り戻せたと胸を撫で下ろしながら、須依は敢えて首を振り否定した。

「そうとも限りませんよ。企業との不正な金銭授受があれば、経理という部署は無関係で済まないでしょう」

「それはどうかな。通常は仕事を得る営業などが窓口になり、そこの社員が過剰接待や金品を渡すだろう。それを社内の経費処理で目を瞑ったのなら、関与といえるかもしれない。ただ積極的に関わってはいないだろうし、あくまで上の命令に従っただけじゃないか」

 彼の説明には頷かざるを得なかった。

「そうですね。でもそれなら何故経理部の人間が今回漏洩した機密情報にアクセスしたか。またはそう見せかける必要があったのか、という点が鍵になります」

「その辺りは深く掘り下げてみる必要がありそうだ」

「といって、さすがにもうあの会社へは近づけないでしょう。元々マスコミの取材は完全にシャットアウトされていますからね」

 須依の問いかけに彼は同意しつつ、新たな提案を出してきた。

「そうかもしれない。だったら取り調べた側を探ってみるか」

「それは良い手だと思います。今回の特別捜査本部の指揮を取っているのは捜査二課ですよね。だったら彼らが事情聴取しているはずでしょう」

「後は検察の特捜部だが、そっちの取材はなかなか難しい。まずはそっちから当たってみるか」

 須依達はその足で警視庁に戻り、記者クラブに一度顔を出して新たな情報があるかを確認した後、目的の部署へと足を向けることにしたのだった。

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