井ノ島との接触~②

「なんだ。今回の件か。それとも別件か」

「今回の件に絡みますが、別件かもしれません。あっちの動きはまだありませんよね」

「ああ、全くと言っていいほど情報が入ってこない」

「だったらちょっと席を外しませんか」

 記者クラブのブースを出た須依は彼の右肩に左手を乗せ、ひょこひょこと歩く誘導に従って移動した。彼は須依が視力を失う少し前に、事故で左足の膝から下を切除していたからだ。  

 義足を付けていれば、仕事や日常生活にもあまり支障が無いらしい。その為障害者の正社員として常時雇用され、引き続き記者を続けていた。つまり障害者としても須依の先輩にあたる。

 しかし会社員としては所謂いわゆるラインから外れていた。そうした影響もあり、須依のようなフリー記者とも手を組むなど、現場において自由な取材が比較的許されているのだ。

 他の記者達から遠ざかり、話を聞かれる心配のない場所に着く。立ち止まった彼は須依の手を自分の肩から放し、振り向き正対した。

「ここでいいだろう。良いネタとはなんだ。どこで仕入れた」

 佐々から入手したとは言わず、今回の件で情報漏洩した白通に所属する社員が、どうやら捜査線上に挙がっているらしいと説明。またその人物がかつての大学の同級生で元彼だと告げたところ、彼はうなった。

 井ノ島との関係をこれまで詳しくは説明していない。だが目の病気に罹っていると分かった為に別れた男性がいて、かなり傷つき落ち込んでいた須依を、当時の彼は同じ職場で見ていたからだろう。

「そんな相手にわざわざこちらから近付いて、本当に大丈夫なのか」

 今後の取材の足枷あしかせになってはいけないと考え、正直に伝えた。

「全く気にならないかと言えば嘘になります。でもこれは仕事です。私情を挟み、スクープになる可能性を秘めた情報を探らないのなら、プロとして失格でしょう」

 意図を組んでくれたらしく、彼は話を進めた。

「須依にその覚悟があるなら協力は惜しまない。もしその情報が確かだとすれば、単なる外部からの不正アクセスではない可能性が出てくる。または別件の問題が発生しているかだ」

「もし社内の人間が関与していたなら大問題です。それが海外のエージェントに買収された社員だとすれば、警察に逮捕される瞬間などを撮れれば、間違いなくスクープになります」

「俺達の立場からすれば、記事にすることが最優先だ。しかしそうなれば、映像の方がよりインパクトは強い。逮捕のタイミングにもよるが、速報を流せるテレビ局に情報を売る方法も視野に入れた方がいいかもしれないな。もちろんうちの系列局へ、だぞ」

 東朝を含めた大手の新聞社には、系列のテレビ局と深い繋がりがある。しかし彼はフリーの肩書を持つ須依が持ってきた情報をより活かし、かつ自分が所属する新聞社と系列局の顔も立てる方法を提案してきた。

「それで良いと思います。私だけでは写真や映像は撮れないので、そちらを烏森さんにお願いしていいですか。それに表向きは御社から委託された仕事で、企業内の取材をすることになるでしょう。だから情報提供する際、そちらを優先するのは当然です」

「御社なんて他人行儀な言葉を口にするな。須依はうちの契約社員でもある。といって基本はフリー記者を名乗っている手前、そんなものでお前の考えや行動を縛るつもりはない」

 須依の退職した裏の背景を知る彼らしく、そう気遣ってくれた。

「はい。有難うございます。しかし今回も烏森さんの手を借りないとどうにもなりません。記事は書かせてもらいますが、映像その他の提供に関してはお任せします」

 といって写真は新聞でも使えるが、映像に関していえば系列局といっても他社に回した場合、新聞社所属の記者個人では報酬が得られない。だがフリーの須依ならそれが出来る。要は彼の紹介により、須依の名でテレビ局へ映像を高く買い取ってもらうのだ。

 彼は報酬を直接得られない分、局に対しては他に先駆けたスクープを提供することで恩を売れる。また今後の為のパイプを太く出来るメリットもあった。さらに新聞記者としてスクープに関わっていれば、社内での表彰や評価対象にも値する。

 彼は足に障害を負ってから、第一線の記者ではなく遊軍記者の地位へと押しやられた。須依も似た立場だったので、他の記者の鼻を明かす為に組んだ彼との共同戦線は、WIN―WINの関係にある。

 ちなみに彼は二人の子を持つ妻帯者だ。その為異性として接してはおらず、単なる仕事上のパートナーでしかない。

 しかし彼が独身だった頃、正直少しだけ憧れていた時期はあった。今では須依にとって絶対欠かせない、ごく少数の信頼できる人物だ。

「分かった。俺は須依のサポート役をする代わりに、美味しく頂戴できる所は遠慮なく貰う。それでいいな」

「お願いします」

 そこから彼の社有車を停めている駐車場に移動して乗り込んだ。車中でその後の取材をどう進めるかの打ち合わせをした。

 須依より一つ年上の彼とは、入社してから二十一年もの長い付き合いだ。その為話は進めやすく、そして早かった。

 まだ健常者だった頃から随分と世話になり、色々な指導を受けてきたからだろう。視覚障害者となってからも、以前と変わらない態度で接してくれた希少な理解者の一人である。

 中途で視覚障害者となった須依自身、当時の戸惑いはかなり大きかった。今まで通り健常者との会話を、どうやってスムーズにできるか試行錯誤し、苦心していたように思う。

 それでも記者の仕事が好きだった為、出来る限りは続けたいと考えていた。しかし現実はなかなか厳しい。視覚障害者として、日常生活を円滑に過ごす事自体が簡単ではなかったからだ。

 障害者の為のリハビリテーション施設へと通い、様々なトレーニングを受ける必要もあった。だがそうしたほとんどの施設は入居しない限り、土日や祝日は休みのところばかりだった。

 さらに通うとしても、朝九時から夕方四時までなど限られた時間しかやっていなかったりした。

 そうなると不規則な勤務時間である記者として、または会社員として縛られた生活の中、施設に通う時間を確保するのは実情としてかなり困難だ。会社を辞めた理由としては、そういった事情が重なったからでもある。

 退職後しばらくは、集中してリハビリ施設へと通った。白杖を使って道を歩いたり、家の中などをスムーズに移動したりといった基本的な行動から学び始めた。

 点字の勉強や、パソコン等にソフトを導入して文字を読み取る機能の習得も行った。記者として仕事を続ける為に、まさしくブラインドタッチでパソコンを使い記事を書く練習もした。その上ソフトで読み込み、間違いがないかを確認する等の特殊な訓練もしたのだ。

 そうしたリハビリ兼職種訓練を続けた結果、フリー記者としてやっていける自信が付くまでになった。すると烏森を中心とした以前の職場から声がかかり、特別社員としての契約を結んで仕事を頂けるようになったのである。

 ここまでに至る道のりは、今考えても相当険しいものだった。須依自身のたゆまぬ努力は当然ながら、周囲の多大なる協力があったからこそ辿り着けたのだと、今でも感謝している。

 烏森との間で交わした手話などもそうだ。視覚障害者が手話を使用するなんて、奇妙な話だと思うかもしれない。

 しかし記者という仕事柄、他人に聞かれてはいけない会話をしなければならない場面が多数ある。健常者同士なら人目が付かない場所に移動し、こそこそ話をしつつ相手の表情を読み取れば済む。 

 だが須依の場合はその手が使えない。よって隠語なども含め、色々な工夫が必要だった。だからこそ生まれた独自の方法なのだ。

 さらに取材相手がどう感じているか、又は嘘をついているか等を知ることは、記者にとって必要不可欠な要素である。けれど視力を失った為、取材相手の表情からそうした情報を読み取れなくなった。

 だからその能力をどう補うかを懸命に考えた。そこで辿り着いたのが相手の声のトーンやイントネーションの変化、または気配等から感じとるすべを会得することだった。これも長きに渡って協力してくれる人達がいたからできたのだ。

 さらに聴覚だけでなく触覚も磨いた。軽く相手の手や腕などに触り、動揺しているのかそれとも緊張しているのか等の心理状態を、かなりの精度で察知できるようにもなった。

 これは健常者だとなかなかできない手法だ。女性の須依がべたべたと異性の手や腕を触れば、誤解を生む恐れがある。今や世間でも話題となっている、逆セクハラ問題に発展する危険性もあった。

 だが視覚障害者であれば話は違ってくる。道などを誘導してもらう際、相手の体の一部に触れる動作はごく自然な行為だ。相手の腕や肘、肩を掴む行動は必要な行為でもある。それを利用し嗅覚も増そうと訓練した結果、眠っていた新たな能力を引き出せたのだ。

 烏森との打ち合わせを済ませた二人は、まず車で問題となっている広告代理店へと向かった。

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