井ノ島との接触~①

 須依はかつて恋人だった井ノ島の身辺を調べると決めた。これまで培った記者としての“カン”が、そうしろと命じていたからだ。

 これはあながちあなどれない。新聞社に在籍していた頃、この“カン”を働かせていくつもの大きなスクープを得ている。若手では滅多に貰えない社長賞も、二度獲得した。

 しかし入社して六年が過ぎた頃、病院で精密検査を受けた診断により、視力が衰えていく病気に罹っていると初めて知った。その後どんどんと視野が狭くなった結果、新聞社を退職せざるを得なくなるまで症状が進行したのだ。

 しかし須依の能力を高く買ってくれた会社から強く慰留いりゅうされ、せめて退職後でも契約社員として残らないかと申し出を受けた。その為今では基本フリーの記者だが特別契約を締結したおかげで、仕事の依頼を受けられるようになり現在に至っている。

 会社としても、ただ須依の能力を惜しんだだけではない。大企業では法律により、雇用者の二%は障害者を雇わなければならないという縛りがある。その為、須依を利用したいとの思惑があったのも事実だろう。

 障害者雇用促進法により、民間企業だけでなく国や地方公共団体は、常時雇用している労働者数の一定の割合に相当する人数以上の身体障害者等を雇用するよう義務づけられている。

 常時雇用している労働者とは、期間の定めのある労働者も、事実上一年を超えての雇用、あるいは雇用されると見込まれる人も含まれていた。週二十時間以上三十時間未満の労働時間のパートタイマーも、短時間労働者として算定基礎に含まれているのだ。

 重度身体障害者、重度知的障害者については、一名を二名として計算できるダブルカウント制を採用。短時間労働者の重度身体障害者、重度知的障害者について要件を満たす場合は一名として計算し、要件を満たさなければ一名を二分の一名と数える。

 短時間労働者とは、週二十時間以上三十時間未満で、かつ一年を越えて雇用が見込まれる者を指す。ちなみに須依の場合はこのケースに当たる為、左足に障害を持つ烏森と同じ一名とみなされていた。

 法定雇用率未達成の企業に対しては、雇用計画の提出や未達成分に相当する納付金を徴収される罰則がある。また正当な理由なく計画を達成せず、実施勧告にも応じない場合は社名公開という社会的制裁も下されてしまう。須依達障害者にはそうした背景があるのだ。

 ちなみに会社を辞めると決めた理由は、視力の低下だけではない。ある事件で特大のネタを掴んだが、会社の上層部により自分の意図と違う形で記事にされた事件があった。その時の怒りと遺恨がまだ心の奥底でくすぶっていたからこそ、退職する決意をしたのだ。

 独身で気ままな身分という環境が、思い切った判断を促してくれたという側面もある。また社内外でも須依に同情的な上司や応援してくれる同僚、記者仲間達が少なからずいた点も大きかった。

 そのおかげで例え視力を失ったとしても、引き続きフリーの記者としてやっていける、否、やってやるという固い意志が持てたのだ。

 幸いこれまでの成果を買われ、前の会社からだけでなく他社からも仕事の依頼があった。売り込みもできる体制が整い、周囲の期待に応える仕事をしてきた為、これまでは何とかやっていけている。

 しかし現在依頼された案件のように、実入りは悪くないけれど時間がかかるだけでなく、本意で無い方向に促されかねない取材は面白くない。そういう仕事ばかりやっていると、損得なしに身が震えるほど没頭ぼっとうできる事件を欲するのだ。

 今回がまさしくそうだった。須依の血が騒ぐ。現在CS本部はもちろん、捜査二課を中心に捜査している事件で、あの井ノ島が何らかの関わりを持っている。須依の“カン”がそう訴えていた。

 とはいっても視覚障害者の須依が一人で調べ、または決定的瞬間を写真に収め記事を書くなど、到底できるはずがない。加えて現在進めている政治家や官僚達の調査も人手がいる。

 そこで今回入手したネタを呼び水として、いつも通り助っ人に頼ろうと決めていた。そう思いながら記者クラブへと戻った須依に、目的の男が独特の足音をさせて近づき声をかけて来た。

「おい、須依、どこに行っていた。あんまり一人でうろついていたら、間違って変な所へ迷い込んじまうぞ。そんな真似を続けていると、いつか出入り禁止になっちまうから止めろと何度も注意したじゃないか」

「烏森さん、丁度良かった。今良いネタを仕入れたところです」

 後半は他の記者に気付かれない様、簡単な手話で伝える。視力を失ってからは、誰かに聞かれても困らないよう、隠語の代わりにジェスチャーする方法を身に着けていた為だ。

 これはほんの一握りの仕事関係者の間でしか通じない。その一人である彼は気づいたようだ。声のトーンを落として接近し、小声で話しだした。

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