情報漏洩事件発生~⑥

「今回の事件で大きなスクープが取れればいいけどね。政権自体が揺るぎかねない案件だけに、ジャーナリストとしては時間を割きたいけど、私のようなしがないフリー記者には、壁が厚すぎてなかなか手強いから。それに信念だけでは食べていけないし、どんな小ネタでも拾って記事を書きながら、大ネタを狙うしかないのよね」

「それでここに来たのか。生憎あいにくだがお前に渡せる情報なんかないぞ」

 話が長引くと思ったのか、彼はそう言いながら席を離れようとした。しかしそれを阻むように話を続ける。

「そうじゃないって。今抱えている案件が動かないから、気分転換がてら歩いていただけよ。そのついでに、ちょっとしたネタをいただけたらラッキーなんだけどね」

「そんなことができるわけないし、何もない」

 とぼける彼に、少し角度を変えて質問した。

「的場さんに忙しいかと聞いていたけど、CS本部はどうなの。例の案件以外でも、ネット犯罪は年々増えるばかりでしょ。手口もどんどん巧妙になっているし、海外からのサイバー攻撃もあれだけじゃないはずよ。他にも情報流出している案件が隠れているんじゃないの。今回の件だって、下手をすればマスコミに伏せられていたかもしれないでしょう」

 彼はそうした犯罪を取り締まる部署の参事官だ。今や国内の大手企業はもちろん、官公庁への不正アクセスが後を絶たない。表に出ているだけでもいくつかある。

 大企業の取引先である中小企業のシステムがハッキングされ、グループ全体の工場が停止した事件もそうだ。また海外の子会社が被害に遭ったケースも、いくつか報道されていた。

 けれど出せない事件やまだ発覚していない案件、対処中のものを含めると相当な数に上るはずだ。

「おいおい、そっち関係のネタをいつまでも探るようなら、出入り禁止にするぞ」

 忠告されたが、声のトーンにより本気では無さそうだった為、少し話を戻して尋ねた。

「ちょっとした雑談じゃない。それに海外からの不正アクセスによる情報流出のような大規模な事件もそうだけど、さっき言っていた国内での振り込み詐欺やらネット詐欺の方は、数が多くて大変じゃないの」

「そっちも多いが、もっと細かくて膨大ぼうだいなのは個人の案件だ。おかしな書き込みをする輩やストーカーまがいの呟きまで含めたら、今の人員での監視も限界がある。さっきも言ったように年々職員も増員して貰っているが、それ以上に問い合わせや被害届の数は増える一方だ」

 そう言いながら、彼は自販機に向かって移動したようだ。奢られては困るからと、自分で飲み物を買って席に戻ろうとしているらしい。早く話を終わらせたいようだ。

 そこで彼のプライドをくすぐった。

「参事官ともなれば、それら全てに目を光らせている訳だから大変でしょう」

 実際に彼の下にはハイテク犯罪対策、ハイテク犯罪情報、高度情報技術犯罪の三つをそれぞれ担当する課長がいて、その下に次長や捜査員達がいる。

 その上にいる彼は、下が報告してくる案件を取りまとめて本部長達に報告し、内閣府等を含めた上の指示を下に伝えるのが役目だ。

 三つの課のさらにその下も細く班が分かれ、それぞれの担当班長が対応している。だから全ての案件の報告書に目を通すだけでも大変な仕事だろう。よってそうねぎらったのだ。

 キャリア官僚ともなれば、それなりにプライドが高い。同じ四十四歳だが、須依と違って彼には多くの部下がいる。しかも規律の厳しい警視庁という組織の中にいるのだ。自分のように組織から離脱し、一人気ままに動いている人種とは大きく異なる。

「まあな。それでも俺達がやっている仕事は、一課の刑事達が抱える案件とは違う。基本的に何か起こらないと動けないのが警察だ。しかしネット犯罪の場合、大きな被害になる手前で食い止められる。もちろんこちらの対処が間に合わず、不幸な目に遭う被害者もいることは確かだ。それでも何かが起こる前兆を捕らえ、まだ軽犯罪で済んでいる段階でそれ以上エスカレートしないよう防止するのが俺達の仕事だし、それが出来た時の喜びは大きいよ。大変だが遣り甲斐はある」

 大学の第二外国語で同じドイツ語を受講していたことがきっかけで、須依は彼と話すようになった。

 その頃から真面目で正義感の強い人であり、国家一種試験を受けて警察庁に入りたいと、早くから進路を決めていたはずだ。それを知った時も須依はたいして驚かず、それどころか彼らしいと納得したことを覚えている。

 彼の家庭は複雑で、幼い頃父親が自殺して母親は失踪したままだ。その上、その後の彼を育ててくれた祖父母が大学一年生の時、無謀な運転をする観光客のレンタカーと衝突して亡くなっている。

 その時受けた大きな衝撃と悲しみの中に、彼は明白な怒りを持ったのだろう。事故原因は完全に相手方の過失が一〇〇%だった為、法を犯した相手を容赦ようしゃなく責めたそうだ。

といっても自動車事故の場合、交渉の窓口はレンタカー会社が加入している保険会社だったり弁護士だったりする。よって直接加害者と話をする機会などまずない。

 ただ彼の祖父母が亡くなった一方、相手は軽傷で済んだ。しかも数年の実刑を受けただけだったらしい。近年では交通事故における刑罰が軽すぎると問題視され、厳罰化を推進する動きは目立っているが、恐らく彼も同意見だろう。

 彼が警察官僚を目指した動機について、事故の件がどれだけ影響したかは不明だ。しかし全く無関係ではないと思われる。その件について深く尋ねられるほど親しい関係ではなかった為、詳しく話をしたことはない。

 ただ犯罪者を許さないという、強い意志を持っている点だけは間違いないはずだ。そんな彼と雑談をする為に、わざわざ呼び止めた訳ではなかった。よって持ち上げながらもずばり切り込んだ。

「さすが佐々君。相変わらず責任感が強いね。そんなあなたが、今一番苦労している案件は何なの」

 ぐっと言葉に詰まったようだが、平然を装った声を出し答えた。

「もちろん海外からのハッキングには、いつもアンテナを張っている。しかし事件としては、ストーカー行為や名誉棄損に当たる書き込み等も多い。どちらも大事で重要だ。案件に大小や順番なんて付けられない」

「そう。じゃあ直近で関わっている案件では何があるの。やはり例の件かしら」

 彼が動揺していると気づかない振りをしてさらに尋ねてみると、彼の声がとがった。

「だから、お前に言えるような情報なんてない」

 それ以上話す気はないとの意思表示だった。先程飲み終えた缶を自販機横にあるゴミ箱に捨てた音がした。彼はきびすを返して自分の部署へ戻ろうと、テーブルを離れたようだ。

 さすがにくどいと思われたらしい。自分でもそう思った為に反省し、その足音を追って背中に呼びかける。

「忙しい所悪かったわね。じゃあ、また」

 すると彼は意外にも途中で立ち止まったらしく、さらに振り返って声をかけて来た。

「そういえば、例の企業の関連部署にあいつがいると、お前は知って動いているのか」 

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