情報漏洩事件発生~⑤

 彼らの何気ない今の会話とその気配で、不正アクセスの分析に関して実は何らかの進展があるのだと推測できた。けれど上から圧力を受けているのだろう。よってまだマスコミ等には漏らせない段階の為、逃げようとしていると分かった。

 それでも須依は呼び止めた。

「もう少しいいじゃない。せっかくこっちへ来たんだから。久しぶりでしょう。もう一杯飲んだら。私は飲むけど、あなたは何がいい」

 そう言って自販機に辿り着き、手探りで先ほどと同じ缶コーヒーのボタンを見つけた。

 ここにある販売機には点字がついていない。しかし先程的場と彼が購入した時の音で、だいたいの場所は把握しているからだ。ガタガタッと取り出し口に落ちてくる音も全く同じだった為、間違いないと確信する。

 ビルの中の自販機は点字どころか、視覚障害者でも分かるように音声が付いているものはかなり少ない。よって初めて使い飲み物を買う場合、他の人に教えて貰うしかなかった。

 もし周囲に誰もおらず一人であれば、何が出てくるか分からずに押し、どんなものが出てくるかを楽しむ位の心構えが必要となる。

 無事欲しかった飲み物を手に取った須依は、もう一度彼に尋ねた。

「同じものでいいかな」

 だが返ってきた答えはそっけない。

「俺はいい。公務員が記者から奢られたりすれば、何を言われるか分からん。それに二杯も要らないよ」

「別にここで飲まなくても、持って帰って後で飲めばいいじゃない」

「いや、いいよ。で、なんだ。俺を呼び止めた理由は」

 早くこの場から離れたいが、一方で須依を一人置き去りにすることは躊躇ためらっているようだ。相変わらず堅物かたぶつで真面目な人だと思いながら、少し意地悪してかまをかけた。

「もしかして缶コーヒー一杯でも奢られるとまずい情報を抱えているのかしら。普段はサイバービルにいるはずのあなたが、警視庁の本部にいるなんて珍しいでしょ」

 そこで彼の気配が一瞬だけ変わり、警戒されたのだと感じ取る。

 サイバービルとは二〇一八年四月に住所などを公表しない、新しく設立された施設の通称名だ。

 そこには彼の所属する本部の他に、公安部サイバー攻撃対策センターなど、警視庁の各部署の他、警察庁の出先機関である東京都警察情報通信部等を加えた精鋭達が揃っている。

 創設目的は急増・多様化しているサイバー犯罪に対応すべく各部署の連携を強化する為であり、捜査員が五百人以上いるらしい。

 近年、様々な犯罪にネットが関わるケースは多くなった。その為警視庁だけでなく、警察庁の中でもサイバー対策に力を入れたチームが、それぞれの部署で立ち上がった。

 しかしそれでは情報の共有化はもちろん、人材の質や技術の差なども各々で異なり、効率が悪い点が問題視されていたのだ。

 そこで二〇二〇年の東京オリンピック・パラリンピック開催を見据え、より横の連携を深める必要性から二〇一六年にサイバーセキュリティ対策本部を設立したのである。

 それがさらに進化し、部署を一か所へまとめて入居させた建物がサイバービルと呼ばれている。

 しかしあくまで彼は冷静を装っていた。

「いいや、そんなものはない。それに俺は中間管理職だ。会議やら報告やらと、本庁に呼ばれる事も多い。お役所勤めの悲しい定めだよ。今日もそれで来ていただけだ」

 そんなことは知っている。しかし文京区にあると噂されているビルから千代田区霞が関の本庁へわざわざ足を運んでいるからこそ、今回の不正アクセスによる情報漏洩事件で何か抱えている公算が高いとにらんだのだ。

 そこでもう少し突いてみた。

「そう。さっき的場さんとも話していたけど、最近は凶悪事件よりも特殊詐欺やネット犯罪の増加が著しいでしょ。そっち案件で佐々君の部も忙しいんじゃないの」

 参事官の立場なら、細かい事件に直接関わるケースは少ない。それでも同じ組織の部下達が対応し、上がってくる大量の報告書に目を通している彼にとっては厄介だと感じているはずだ。

 そんな感情がありありと伝わってくる程不機嫌な声で喋り出した。

「確かに件数はかなり増えている。だから人員の補強も随時必要だ。面倒な時代になったものだよ」

「政治家や官僚の不祥事も後を絶たないしね。とはいえそっちは検察も警察もなかなか動けないみたいだけど」

 嫌味を交えて情報漏洩事件にも関係する話題を振ると、さらに表情が険しくなった。

「俺だって忸怩じくじたる思いをしているんだ。掘り下げれば、展開によっては大きな事件になるかもしれない。しかしそう易々と片が付く案件でもないだろう。他にもここ数年、政治家や官僚の不祥事が相次いでいるが、一向に決定打が打てずにいる。俺が言うのもおかしいが、早く白黒付けて欲しいよ。それにあの案件で最終的に動くのは恐らく検察の特捜部だ。俺達警視庁の、しかもCS本部が出る幕なんてほんの一部分だけさ」

 数年前に国有地の売却問題で特定の便宜が図られたのではという疑惑が起こってから様々な問題が発生し、与党大物議員の関与も取沙汰されて国会は一時紛糾していた。その後土地を取得した企業の補助金不正受給に関して、検察が動いた所までは良かった。

 だが議員の関与について決定的な証拠が出ていない又は隠蔽された為か、汚職事件として立件される目処は立っていない。しかも政府与党が一体となり、野党が疑惑のキーマンになりそうな人物達の証人喚問要求をしても、ことごとく跳ね除けてきた。

 頑なに拒むその姿勢に、国民は大物議員達が関わっているのだろうと疑いの目を向け続けている。与党議員が全員関与しているとは思えない為、これだけ国民の批判を浴び続けていれば、内部で自浄作用が働いたって良さそうなものだがそれもない。

 その為疑惑は疑惑のまま放置されていた。そこに来て今回の情報漏洩事件が起きた。だからこれが大きな突破口になるのではと、世間の関心が高まったのだ。それは須依達マスコミも同じである。

 それでも深刻にならないよう、わざと明るく言った。

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