情報漏洩事件発生~②

 しかし当初の報道は派手だったが、事件から一ヶ月経過した今では急激に失速してしまった。というのもあくまで疑惑の段階から先に進まず、警察の捜査でも決定打に欠ける動きしかなかったからだ。

 その一因となったのは、意図的かどうか不明ながらも漏洩した情報の一部が文字化けしており、肝心の部分は解読できなかったからだろう。その点を利用し、政治的な圧力が加わったらしい。

 その結果、リストに挙げられた人物達だけでなく、被害に遭った企業までもが口を揃えて事実無根の情報だと世間に発表し、あらゆる取材、報道に規制がかけられたのである。

 また二月下旬にロシアがウクライナに侵攻した為、対抗する西欧諸国による経済制裁等により世界中の政財界が混乱した。その為連日そうしたニュースがトップで報じられ、当該事件への関心が薄まってしまったのだ。

 それでも周囲にいる記者達の多くは諦めず、他にネタがないかを求め調べ回り、ブースをせわしなく出入りしていた。かつての職場の先輩で、今回の仕事を回してくれた烏森からすもり哲司てつじも今は席を外している。

 ちなみに当初捜査の先頭に立っていたのは、感染経路を辿るサイバーセキュリティ犯罪対策本部だった。しかし何重にも海外のサーバーを経由した犯人の跡を終えないまま、分析も手詰まりになったのだろう。現在は企業犯罪等を主に担当する警視庁捜査二課が、特別捜査本部の陣頭を指揮しているようだ。

 現時点で何も情報が入ってこないのは警視庁が隠しているだけでなく、捜査自体に進展がないからだろう。何故なら彼ら自身さえ、上からの干渉を受け行動を制限されていると聞く。さらには名前の挙がった政治や官僚達の数が百名以上と余りに多過ぎ、対応が追い付かない為だと思われた。

 一度こういう膠着こうちゃく状態に陥ると、記事にするまで長引く可能性が高い。そうなれば気力も続かなくなってくる。担当している警察関係者達でさえ同様のはずだ。

 一応フリー記者の肩書を持つ須依だが、半分は契約社員の扱いである。今回も取材の補佐的仕事を依頼されたに過ぎない。

 よって記者クラブにいられる利点を生かし、勝手な行動をして他のネタ探しでもしようものなら、他の記者に目を付けられる。最悪の場合は出入り禁止だ。そうなれば事件記者としては死活問題になってしまう。

 ただでさえ警視庁の記者クラブには、大手新聞社に属する記者やテレビ局関係者でなければ入れない。須依のようなフリー記者は、東朝から委託され特別許可証を貰っているからこそいられるのだ。

 もし問題を起こし追い出されれば、仕事を任せてくれた東朝や烏森に迷惑がかかる。そうなれば今後仕事の依頼が無くなることもあり得る為、絶対に避けなければならない。

 けれど暇を持て余しているのも事実だ。またそろそろ記者クラブの汚れた空気から解放されたかった。そこでどうしても我慢できず、気分転換の為にも思い切って警視庁内をうろつくことにした。

 といってどこでも入っていい訳ではない。下手な部署に足を踏み入れれば、厳しく注意を受けてしまう。

 その為今回の事件を主に扱っている捜査二課とは離れた、捜査一課へと足を運ぶことにした。あそこなら比較的須依と親しくしてくれる人や知人がいるからだ。

 本来の取材目的から外れるけれど、そちらの方面で何かしら別件の動きがあるかもしれない。そこであわよくば、新たなネタを掴めるかもしれないとの目論見もあった。

 その上今は別のビルに移ったけれど、今回の件のサイバー捜査を担った部署に所属する参事官は大学時代の同級生だ。何かあっても彼の威光が届く範囲ならば、なんとかフォローをしてくれるに違いない。そんな打算が働いての行動だった。

 それに万が一注意を受けたとしても、須依は視覚障害者の為に重要書類などを盗み見られない。加えて友人を訪ねて来たが迷ったと言えば、多少のお目こぼしは受けられるだろう。少なくとも一発退場させられる羽目にはならないはずだ。

 須依は杖を掴んで廊下に出た。覚えている道順をゆっくり歩き、他の人達にぶつからないよう左端に寄りつつ目的地へと向かう。しばらく進むと、いつものことだが好奇な視線を何度も感じた。

 警視庁内でも見慣れない人達にとっては、記者用の入館証を首にぶら下げた女性の視覚障害者が珍しいからかもしれない。また中には“須依南海”という珍しい名に興味を持った人もいるだろう。

 といって偏見の目で見る人達ばかりではない。興味がないか目に入らないのか、足早に通り過ぎていく人もいれば、須依を見知っているらしい方の温かい眼差しに気付くこともある。

 そうした万人に対して通用するよう、ある時期を境に須依は普段から出来るだけ笑顔を保つよう心がけるようにしていた。今もマスクをしつつ目だけ笑って歩いていた。

 けれど強気な性格はそのままだ。それどころか人の顔色を伺いたくても見えなくなったおかげで、以前より図太くなったかもしれない。かつてのようには出来ないこともあり、随分薄化粧にもなった。

 といって最低限の身だしなみはしていた。視覚障害者でもメイクはできる。健常者の間で、ミラーレスメイクといったネット動画が一部で流行ったのがその証拠だ。

 須依は必要に迫られたからだが、最初は他人の力を借り手伝って貰い、その後一人でもできるよう学び会得した。よって複雑な濃い化粧は無理でも、ナチュラルメイク程度なら簡単にできる。

 外面そとづらだけはいいなと烏森からよく言われるが、それも大きな武器だ。おばさんの域に入ってからは余計である。若さが通用しなくなった分、化粧っけの無さは愛嬌あいきょうでカバーするしかないのだから。

 目的地に向かい歩いていると、前方から聞き覚えのある足音と声が聞こえた。須依はほぼ失明した状態に近いけれど、陽の光が明るい時はぼんやりと白濁はくだくした状態で見える。その為人らしき姿は、日中だと影のように認識できる程度だ。

 目当てにしていた相手の一人がこちらに気付いたらしい。彼から声を掛けられた。トイレにでも行こうとしていたのか、気分転換に飲み物でも買おうと出てきたのかもしれない。

 こちらも挨拶に答えた。

「こんにちは。お久しぶりです」

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