「傷害」

 西園寺 優利という青年は女性から非常にもてる。

 世界的にも有名な大企業、あの西園寺グループの御曹司であるという肩書きはもちろん、それに加えて容姿や頭脳においても優れているのだから当然である。

 ゆえに、彼からすればこういったことも別段珍しくはないのだ。自身の下駄箱の中に手紙が入っている、なんてことは。


「『校舎裏でお待ちしてます』か……」


 手紙にはかわいらしい文字でそのように書かれていた。

 おそらくこれを書いたのは女子であり、その目的もわざわざ人気のない場所を指定していることからおおよそ察することができよう。


 早速彼が現場へ向かうと、そこでは一人の少女が優利を待ち構えていた。金色に輝く髪と、彫りの深い顔が特徴的な人物である。


「君で間違いないか? 俺の下駄箱に手紙を入れたのは」

「は、はい! 二年六組の金刺かなざし ジュンです。き、今日はあなたにどうしても伝えたいことがあって、ここに呼びました」


 金刺 ジュン、そう名乗った彼女の顔は緊張で少しこわばっている。

 人気のない校舎裏で男女二人きりというシチュエーション、やはりこの少女は優利に対して自身が抱いている恋慕の情を告げるつもりであった。


 ……いや、だが少し待って欲しい! 彼が、優利がこれまでに味わってきた受難を思い出すべし! 今にいたるまで、彼はすでに四人ものヤンデレたちから重い愛をぶつけられているのだ!

 ならば、この少女もまたそうなのではないか!? 純情っぽいふりをしているだけで、実はあの恐ろしいヤンデレが内の一人なのではないか!?


「知っているとは思うが、一応自己紹介をしておこう。西園寺 優利だ。こうして直接会話をするのは初めてだな」

「そ、そうですね」

「金刺さん、といったか。君の髪色は随分と映えるな。それは地毛か?」

「あ、ありがとうございます。いやー、そうなんですよ。実は私ハーフで、そのせいで髪の毛の色が――って、そうじゃなくて!」

「そうじゃなくて?」

「え、えっと、その……。だ、だから、西園寺くんには今日どうしても伝えたいことがあってですね……」


 ああ、なんということだろうか……。

 見よ! 彼女のこの恥ずかしさで完全に赤く染まった顔を! 初々しいことこの上ないではないか! このような恥じらいを見せる人物が、あの頭がいかれた連中と同類であるはずがない!


 そもそも彼女の目は黒く濁ってなどいなかった。

 むしろ磨いたガラスのようにきれいに透き通っていたくらいである。


「い、一年くらい前からあなたのことが気になっていて……。いわゆる一目ぼれってやつなんですけど、でも話しかける勇気とか、情けないことに全然出なくて……」

「……」

「それでまあずっと片思いしてた訳なんですけど、そしたら友だちからいい加減さっさと告白してこいって言われまして……つ、つまりですね!」


 少女の口から紡がれようとしている言葉を、優利はただ静かに待ち続ける。

 やがて彼女は表情をきりりと引き締めた。ついに意を決したのだろう。息を大きく吸い込み、今まで秘めてきた自身の思いの丈を打ち明けんとする。


「私、西園寺くんのことが好きです! お願いします! どうか私と付き合って――」


 しかし、その時であった!


「金刺さん、危ない!」

「――へ? きゃあっ!」


 突如として優利が彼女の体を自らの方へ引き寄せたのだ!

 うら若き少女の、一世一代の告白を遮るという狂った暴挙! なぜ彼は突然そんなことを!? まさか……数々のヤンデレ攻撃をくらってしまった影響で、彼も頭がいかれてしまったのか!?


 いや、違う! そうではない! 彼は――彼女の身を危険から守ったのだ! その証拠に、先ほどまで彼女が立っていた場所には! しかも、その全てがである!


「おや、外してしまったか。せっかく絶好の機会だったというのに」


 そして、その場に現れたのは新たなる少女!

 まるで小学校での習字の授業の際に使われていたバケツの中身のようにどこまでもどろどろと黒く濁りきった目をしている彼女は、そのヤンデレ特有の光を失った瞳で優利たちのことをじっと見つめるのであった!











 放課後、人気のない校舎裏にて。

 両者は地面に突き刺さった定規を挟んで対峙する。


 呼ばれてこの場にやって来た優利と、呼ばれてもいないのにこの場へとやって来たシニョンヘアの少女。この少女の名前は帯刀たてわき 綾女あやめ、三年六組に所属している生徒で、優利にとっては一つ年上の先輩である。……ヤンデレでもあることはもはや言うまでもないだろう。






▽ 私立青鸞高等学校 三年六組 出席番号十九番


  帯刀 綾女


 《ステータス》


 ・スピード……『C』 ・パワー……『C』

 ・スタミナ……『C』 ・メンタル……『E』

 ・テクニック……『B+』


 備考:相手を傷つけることを喜びとする危険なヤンデレの少女。攻撃の際には様々な道具(主に鋭利な物)を用いる。






「い、一体何が起こって……」

「金刺さん、君は今すぐここを離れろ」

「え? で、でも……」

「いいから早くいけ! ……俺はお前に傷ついて欲しくはない」

「……分かった。優利くん、最後に一つだけ」

「なんだ?」

「……絶対に死なないでね」

「ああ、もちろんだ。また会おう、ジュン」 


 くるりと背を向けてこの場から逃げ去っていく少女。

 その間、不気味にも綾女は一切の動きを見せなかった。沈黙を保ったままじっとその場に佇んでいる。


「……よかったんですか? 彼女を見逃して」

「勘違いしないでくれ。別に私は誰彼構わず襲いかかるような人間じゃない。……本命は君だよ、優利くん。私にとってはなんだ」

「なるほど。それはまた実に光栄なことです」

「……愛情表現にしてはいささか過激がすぎると、そうは思わないのかい?」

「えぇ、まったく。そもそもあなたの攻撃で俺に傷がつくなどという前提が間違っている。なぜなら俺は世界的にも有名な大企業、あの西園寺グループの御曹司であり、幼い頃からありとあらゆる英才教育を受けてきましたから」

「言ってくれるね。まあ、だからこそ君を傷つける甲斐があるというものさ」


 場に再び静寂が訪れる。

 二人の間を一陣の風が吹き抜けていった――その時、ついに彼女が動いた!


「――はぁっ!」


 袖口から飛び出した大量のステンレス製の定規! それらを全て両手で掴み取った彼女は、そのまま目の前の優利に向かって投擲したのだ!

 ただの文房具と侮ってはいけない! 当たりどころによってはけがをしてしまう可能性だってある! ステンレス製であればなおさらに!


「――ふっ!」


 だが、優利とてただ者ではない! 彼には幼少期からの英才教育によって培われた技能がある!

 飛来してきた数十本にも及ぶそれらを、彼は着脱したブレザーを一振りすることで全て地面にはたき落とした!


 しかし、その隙をついて綾女は優利に接近する!


 彼女の両手にはすでに別の武器が! 右手には『カッターナイフ』、そして左手には『彫刻刀』! どちらもステンレス製の定規を上回るほどに危険な、本来人には絶対に向けてはならない代物である!

 接近戦で不利なのは、当然無手である彼の方! ゆえに彼女は勝負をインファイトへと持ち込んだのだ! なんと容赦ない少女であろうか!


「――しゃあっ!」

「――しっ!」


 いや、それでもなお彼の有利は失われていない!

 無慈悲に繰り出される無数の斬撃を、彼は卓越した技で次々と捌いていく! 武器の有無なんざ関係ない! 彼にとっては己の肉体こそが最大の武器なのだ!


「はぁ……はぁ……。やるね、優利くん」

「ふぅ……。綾女先輩こそ」


 両者の間でしばらく続いたこの激しい攻防は、やがて終始攻めきることができなかった綾女の方が彼から大きく距離を取ったことで一旦の終わりを迎えた。

 とはいえ、彼女はまだ諦めた訳ではない。

 むしろようやく体が温まってきた段階であろう。いつの間にか彼女はその身に黒色のオーラをまとっている。……これはヤンデレの熟練者にしか出せぬものだ。


 彼女の体から放出されるオーラの量は次第にどんどん増していき、そして――


「……いや、今日はここまでにしておくよ」


 一気に霧散したのだった。


「……なに?」

「そろそろ部室に向かわなければならないからね。今日のところはでいい」


 そう言って辺りに散らばった定規を拾い集め始めた綾女に対し、さすがに優利も困惑の感情を隠せなかった。

 なぜ彼女は急にこの闘争を打ちきったのか? どうやらもう闘うつもりがないというのは本当らしいが……。


 ひとまず彼も地面に放ったブレザーを、付着した土を落としながら拾い上げる。


「これで全部かな……」

「あ、まだそこに一個落ちてますよ」

「お、本当だ。ひぃ、ふぅ、みぃ……うん、ありがとう。おかげでちゃんと全部そろったよ」

「それはよかった」

「ヤンデレたる者、道具の管理はしっかりできないと――っと、もうこんな時間か! まずいな……。これ以上遅れると部員の子たちに迷惑がかかってしまう……」


 それじゃあまた今度、と綾女は挨拶もそこそこに早足でこの場を去ろうとした。


「綾女先輩」


 そんな彼女の背中に向かって彼は呼びかける。

 確かに闘いは終わった。けれども、彼女には最後にどうしても伝えたいことがあったのだ。


「俺は、誰かから勝利を譲られるのはあまり好きではありません」

「……」

「先輩にも色々と事情があるんでしょう。……今すぐにとは言いません。でも、いつかは必ず見せてください。あなたの、本気のヤンデレというものを」


 ……彼女からの返事はなかった。


 一人その場に取り残された優利は空を見上げる。

 言葉は尽くした。後はもう祈るより他ない。いつの日か彼女が全力でぶつかってきてくれることを、その重き愛を我が身に示してくれることを……。


「真の決着はその時に……」


 そんな願望を胸に、彼は校舎裏を後にしたのであった。

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