「混入」

 現在、二年四組の教室は活気づいていた。

 こんなにも教室内の雰囲気が盛り上がっているのは、今がちょうど昼休みの時間だからである。午前中の授業で疲れた体をリフレッシュするため、そして午後から再開する授業に向けての腹ごしらえをするために、生徒たちは和やかに会話しながら食事を楽しんでいた。


 彼、西園寺 優利もまたその例に漏れず。

 授業で使用していた筆記用具や教科書、ノートといった勉強道具を片づけた彼は、鞄の中から風呂敷に包まれた弁当箱を取り出したのだった。


 ところが、彼がその包みを開くことはなかった。それどころかおもむろに席を立ち上がると、そのまま風呂敷の包みを片手に教室から出ていこうとする。

 その際、何人かの同級生たちから一緒に食事をしないかと誘われたものの、そのことごとくを彼は断ってしまった。


 どこかを目指して歩き続ける優利。

 彼がその歩みを止めたのは、学校の中庭に据えてある一基のベンチへとたどり着いた時であった。


「……よし。空いているな」


 暖かい日光と豊かな自然に満ちたその空間は、確かに食事を楽しむにはもってこいの場所である。


 しかし、ベンチに座ってなお、彼はまだ包みを開こうとしない。

 その体勢のまま何かを――いや、誰かがここへ来るのを待っている。


「ゆ、優利さん……。お、お待たせしました……」


 そして数分後、その場に一人の少女が現れた。

 全身のところどころに包帯を巻いていて、かつ優利と同じように弁当箱の入った風呂敷の包みを持っている。この少女、名前を羽入田はにうだ 愛己まなみという。二年五組と所属しているクラスこそ異なるものの、彼とは知己の間柄であった。


「け、結構待たせちゃいましたかね……?」

「いや、俺もたった今来たばかりだ」

「そ、そうですか……。え、えっと、時間も限られていますし……は、早いところ食事にしましょうか……」

「ああ、そうだな。それじゃあ早速交換といこう。これが俺の手作り弁当だ、受け取ってくれ」

「あ、ありがとうございます……。こ、こちらが私が作ってきたお弁当になります……」


 さっと軽く挨拶をすませた後、二人は持参した弁当を互いに交換し合った。

 なるほど、彼が一向に食事を取ろうとしなかったのはこういった事情があったためか。おそらく両者は以前からこうして昼食を共にしようと約束していたのだろう。


 ……しかしそれにしても、自作の弁当を交換して食べ合うだなんて実にロマンチックな光景である。


「いただきます。……ほう、これはいわゆるキャラ弁というものか。随分と凝った作りをしている。かなり時間がかかったんじゃないか?」

「え、えへへ……。う、嬉しいです……あ、あなたに喜んでもらえて……。ゆ、優利さんのも、とっても見栄えがよくてすてきだと思います……」

「ふっ、料理において見栄えは大切だからな。とはいえ、中身が伴っていなければ意味はないが……うん、うまい。見事だ。どうやらまた腕を上げたようだな、愛己」

「そ、それを言うなら優利さんだって……。こ、これ、すごくおいしいですよ……。お、お金取ってもいいレベルだと思います……」

「それはいいことを聞いたな。なら、愛己には後で俺の弁当代として七兆円を支払ってもらおうか」

「え、ええっ!? わ、私、そんな大金持ってないですよ!? む、無理です無理です! 破産しちゃいます!」

「はっはっはっ。なに、ちょっとしたジョークだ」


 金色の日差しの下、にぎやかに談笑しながら彼らは弁当を食べ進めていく。

 優利と愛己、二人の昼休みはこうして穏やかに過ぎ去っていったのであった――


 否、そんなはずがない! そんなはずがないのだ!


 今一度思い返して欲しい! 今日、彼が朝から二度も襲撃を受けたことを! 愛に病める者たちからとことん重い愛をぶつけられる男、それが彼という人間である!


「ごちそうさまでした。さて、改めて感謝の意を示そう。愛己、お前が作ってきた弁当はとてもおいしかった。本当にありがとう」

「こ、こちらこそありがとうございました……。あ、あなたのお弁当、とてもおいしかったです……。と、ところで優利さん、今あなたが食べた私のお弁当のおかずについてなんですけど……じ、実は中にとある『隠し味』が入っていまして……」

「隠し味?」

「は、はい……。な、中に何が入っていたのか、その、分かりますか……?」

「……いや、まったく見当がつかないな。一体何を中に入れて――」

「私のです」

「……え?」

「私の唾液です。後、私のも、要するにが入っていました」


 ああ、やっぱり! この少女もまともではなかった!

 その証拠に、彼女の目には一切の光が存在していない! どこまでもどろどろと黒く濁りきっており、それはまるで小学校での習字の授業の際に使われていたバケツの中身のようであった!






▽ 私立青鸞高等学校 二年五組 出席番号二十三番


  羽入田 愛己


 《ステータス》


 ・スピード……『E』 ・パワー……『E』

 ・スタミナ……『E』 ・メンタル……『B』

 ・テクニック……『B+』


 備考:被食系統のヤンデレ少女。料理に自身の体の一部を混入させ、それを食べさせることで相手の精神にダメージを与える。






「お口に合ったようで本当によかったです。……ああ、背筋がぞくぞくします! 今、あなたの体内で私の一部がどんどん吸収されていっているんですね!」

「……」


 恍惚とした表情を浮かべながらくねくねと体をよじらせる愛己! 完全に自身の世界へトリップしている彼女に対し、優利は何も言葉を返すことができなかった!

 それもそうであろう! 弁当のおかずの中に、まさか彼女の体の一部が混入されていただなんて! こんなこと一体誰が予想できただろうか! さらにつけ加えれば、その事実を知ったのは全てを食べ終えてしまった後である! 何も知らずに完食してしまった分、精神的ショックは大きい!


「ふふふっ、あなたは文字通りんです……。DNAの二重らせん構造のようにんですよ……」

「……くっ」


 先ほどからずっと沈黙を保ったままの優利。そして、ついに彼は自らの口元を片手で覆ってしまった。

 ……無理もない。彼はリアルガチな飯テロをくらってしまったのだ。精神へのダメージは大きい。そういったことを踏まえれば、彼が吐き気を催してしまうのも至極当然と言えるだろう――


「くっくっくっ……」


 否、違う! そうではない! 彼は吐き気を我慢しているのではなく、こみ上げる笑いを我慢しているのだ!


「くっくっくっくっ、ふっふっふっふっ……」

「ゆ、優利さん……? ど、どうしたんですか……?」

「あーはっはっはっはっ! はーはっはっはっはっ!」


 そう、侮るなかれ! 彼は世界的にも有名な大企業、あの西園寺グループの御曹司である!

 幼い頃から勝利を得るためのありとあらゆる英才教育を受けてきた彼が、この程度のことで負けるはずがない!


「愚かなり愛己……唾液? 汗? 血? 涙? 爪? 皮膚? 髪の毛? それがどうした! まさかその程度のものを食わせたくらいで俺が負けを認めるとでも思ったのか? 笑止千万! 片腹痛し! 高笑いが止まらんぞ!」

「つ、強がりを言って……」

「いや、強がりではない。……愛己よ、お前は自身の弁当のおかずに隠し味を入れていたらしいが、それならには気づいたのか?」

「……え? ゆ、優利さんも私と同じことを……? ぜ、全然気づかなかったです……」


 今明かされる衝撃の真実! なんと彼は彼女とまったく同じことを行っていたのだ! 彼もまた自身の弁当のおかずに隠し味を仕込んでいたのである!

 彼が入れた隠し味とはなんなのか。思考を巡らせる愛己だったが、考えても答えは一向に思い浮かばない。


「い、一体何を入れたんですか……?」

「……知りたいのか?」

「は、はい……。き、気になります、すごく……」

「……本当の本当に知りたいのか? 知ったら後悔するかもしれんぞ?」

「み、見くびらないでください……! わ、私だってヤンデレの端くれ、あなたへの愛の重さにはそれなりに自信が――」

「【】だ」

「……え?」

「隠し味として入れたのは俺の【検閲削除】だ。加えて【】と【】と【】と【】、それに【】も入れていた」

「う、嘘っ!? そんなの信じられません!?」


 さらに明かされる衝撃の真実! なんと彼がおかずに仕込んでいたのは表現に規制がかかってしまうほどにとんでもないものであったのだ!

 こんなこと一体誰が予想できただろうか! 自身の体の【検閲削除】や【検閲削除】を隠し味に入れるなんて! これらに比べれば、愛己が入れたものなど実にかわいらしいものである!


 目には目を! 歯には歯を! そして――リアルガチな飯テロにはリアルガチな飯テロを!


「ああ、背筋がぞくぞくするな。今、お前の体内では俺の体の【検閲削除】を始めとする一部がどんどん吸収されていっている訳だ」

「そ、そんな……。わ、私のヤンデレ攻撃が……」


 すっかり戦意を喪失してしまった愛己。

 そんな彼女に向かって己の勝利を確信した彼は言い放つ! 敗北を喫した彼女へのとどめの一言である!


「どうした! お前の愛はその程度か! どうやらお前のそれよりも、俺の方が重いらしい!」

「く、悔しいです……」

「この勝負――だ!」

「ごわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 愛己の精神は爆発した。

 それと同時に昼休み終了五分前の予鈴が鳴り響く。食後の運動にちょうどいい闘いだった――ベンチから立ち上がった優利はそう軽く一息をついたのであった。











「……今回の弁当作り、どうやら相当無茶をしたようだな」


 優利はやや呆れた顔で地面に倒れている愛己へ近づいた。そして、そのままぴくりとも動かなくなってしまった彼女の体を肩に担ぎ上げる。


 彼がこれから向かおうとしているのは二年五組の教室――ではない。

 彼女が動けなくなってしまった理由、それが単に精神が爆発したことによるものだけではないと、彼の慧眼はすでに見抜いていた。


「自身の体の状態をちゃんと把握しているか? その辺りの見極めがしっかりできていないと今のようになってしまうぞ。後、包帯の巻き方も全体的に少し甘い」

「あ、あはは……。め、面目ないです……」

「ヤンデレたる者、自己管理は必ずできねばならん。とりあえずは保健室に直行するぞ。その包帯も一から巻き直してやる」

「ぇ――そ、そんなことしてたら優利さんが次の授業に遅れちゃいます!」

「案ずるな。授業よりもお前が大切だ」

「……ありがとうございます。そ、それにしても優利さんの方は大丈夫なんですか……? た、確か【検閲削除】とか入れてましたよね……?」

「問題ない。なんせ俺は世界的にも有名な大企業、あの西園寺グループの御曹司で、

 幼い頃からありとあらゆる英才教育を受けてきたからな」

「へぇ~……。え、英才教育ってすごいんですね……」

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