巡るウロボロス写真館

川沿いの駅から歩いて四分。

ビルとビルの隙間でひっそりと、その店は小さな口を開けていた。


ウロボロス写真館。ここだ。


自動ドアが開くとチャイムが鳴り、店の奥から声が聞こえる。


「いらっしゃい。御用はなにかしら?」


カウンターからにょっと姿を現したのは、白いヘビのおばあさん。

私と同じ目線まで身体を持ち上げ、にこりと微笑んでくれる。

下がったまぶたから覗く目は、真珠のように綺麗だった。


私が履歴書に使う証明写真を依頼すると、隣の部屋に案内される。

扉をくぐると、広い空間に三脚カメラが一台。レンズと相対するように小さな椅子が置いてある。


「そこに座ってちょうだい。目線はレンズに、顔は少しだけ左に向けてね……おや、緊張してるのかい?」


私が不安を口にすると、ヘビのおばあさんは優しく微笑んだ。


「大丈夫。可愛く撮ってあげるから。ほら、どの写真も素敵でしょう」


伸ばした尻尾の先には、様々な写真が飾ってあった。

映っているのは、ここで撮影した人たちだろう。

どの顔も穏やかで、凛々しく見える。


その中で、ある女性の写真に目が止まった。

見覚えはない。でも表情を見ていると、なんだか不安がすーっと消えていく。


「ああ、良い顔ができるじゃないの。

 じゃあカメラを見て……はい、おしまい。

 出来上がるまで、入り口の椅子に座っていてちょうだい」


戻って写真を待つあいだ、小さな店内を見渡す。

色褪せたポスターに埃をかぶった商品棚、壁には一匹の蛇の模型が飾ってある。

自分の尻尾を口でくわえて、ぐるりと円を描いていた。


「それはウロボロスって言ってね、わたしらみたいなヘビの、王様みたいなもんさ」


おばあさんがカウンター越しに教えてくれる。


「その見た目から『終わりがない』とか『ぐるぐると繰り返す』なんて意味があるんだよ。永遠に続く象徴だから、商売繁盛のゲン担ぎに飾ってるの。


 さあ出来た。持ってお行き。


 あなたの積み重ねた時間が、これから先の財産となることを願っているわ」


私は受け取った証明写真を履歴書に貼りつけ、お店を後にした。

駅の方からアナウンスが聞こえる。急がないと。


駆け込んで座席に着くと、窓の景色がゆっくりと流れ始めた。

海のように広い川にかかる、長い長い橋を渡る。


これから私は、どんな道を歩むのだろう。

先の見えない景色が不安を濃くする。


履歴書に目を落とすと、自信に満ちた表情が私を見ていた。


そうだね、きっと大丈夫。

不安と同じくらい……いや、それ以上の希望を持とう。


私に安心をくれた、お店の写真を思い出す。

他人とは思えない感情を抱いたあの女性。


ありがとうを伝えたいのに、頭の中にはいない。

だけど近くにいるような感覚。


いったいどこにいるの……?


失くした物を探すように意識の奥へと深く、深く、潜っていく。

そうしていつの間にか、私は眠りに落ちた。



気がつくと、そこはまるで夢のような場所だった。


たどり着いたのは、川沿いの駅から歩いて四分。

食堂と駄菓子屋の間でこじんまりと、その店は小さな口を開けていた。


ウロボロス写真館。ここだ。


扉を開けるとカランコロンとドアベルが鳴り、店の奥から声が聞こえる。


「いらっしゃい。御用はなにかしら?」


カウンターからしゅるりと姿を現したのは、白いヘビのお姉さん。

私と同じ目線まで身体を持ち上げ、にこりと微笑んでくれる。

長いまつ毛の下から覗く目は、ルビーのように鮮やかだった。


私が履歴書に使う証明写真を依頼すると、隣の部屋に案内される。

扉の先に置かれていたのは、三脚カメラと小さな椅子。


「そこに座ってちょうだい。目線はレンズに、顔は少しだけ左に向けてね……あら、緊張してるの?」


私は不安を口にした。


生まれ変わると、いまの私はどうなるんでしょうか?


目覚めたらそばにいた黒い鳥に、私が永眠したことを告げられた。

ここは現世げんせと異なる世界。常世とこよ幽世かくりよ・黄泉の国なんて呼ばれる場所らしい。


魂の存在になった私は、つぎの生まれ変わりを決めるため、これから七回も面接を受けるそうだ。

その審査に必要な履歴書の写真を撮りなさいと言われて、ここに来た。


初めはひとつも理解できなかったけど、この不思議な世界を見たら納得するしかない。

変わった動物たちが言葉をしゃべり、あらゆる場所で人間たちを導いている。


事実である以上、もう次の生を受け入れるしかないのだと。


それじゃあ……今の私はどうなるんだろう?

今の自分は何もかもなくなってしまうの?

消えてなくなっちゃうの?


そんなの……怖い。


不安を吐き出すと、お姉さんは優しく微笑んだ。


「あなたは消えない。あなたが積み重ねたものは、ずっと残り続ける。


 生まれ変われば見た目は変わるし、たくさんのことを思い出せなくなってしまうけれど、魂はずっと覚えているわ。


 それは脳の中の記憶じゃない。

 魂に刻まれた記憶。


 人間たちは『前世の記憶』なんて言ったり……そうね、『無意識』『第六感』なんて言葉も近いかしら。


 例えば何かを選択するとき、嫌な予感がしたことない?


 それは魂のささやき。

 声なき声を聞いたから。


 生まれ変わる前の経験や知識に基づいて、あなたに知らせているの。あなたを助けようとしているの。


 こんな話を生きた人間は信じない。

 でも今は信じて。


 これまでの行いは消えないし、無駄にもならない。

 つまり、あなたという存在がずっと続いているということ。


 だから怖がらないで。

 希望を持って次の生涯しょうがいに臨んでほしい」


ヘビのお姉さんの話は難しかった。

だけど『私が続く』と思うと、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。


「ああ、良い顔ができるじゃないの。

 じゃあカメラを見て……はい、おしまい。

 出来上がるまで、入り口の椅子に座っていてちょうだい」


戻って写真を待つあいだ、小さな店内を見渡す。

鮮やかな貼り紙に、整った商品棚に……あれは蛇の模型かな?


お姉さんに尋ねると、ウロボロスという蛇の王様をかたどった物らしい。

『ぐるぐると繰り返す』そんな意味があるそうだ。


話を聞き終わると、証明写真が出来上がる。


「さあ、持ってお行き。


 それとあなたの写真、大きくして飾っておくわね。


 また不安を抱えてここに来るかもしれない。

 そのときに、かつての自分を見れば魂が思い出させてくれる。いまこの時の感情を。

 そして自分が消えずに続いているということに、心が落ち着くはずだから。


 写真に残るのは瞬間の風景だけじゃない。気持ちも一緒に記録してくれるのよ。

 いいでしょ、写真って。

 時間には逆らえないけど、せめて切り取るくらいはしておかないと。


 ……人間の身体は衰えるし、魂は流転する。

 現世とは時の流れが違えどこの店も、私も例外じゃない。


 戻ることはできないけど、自由に進むことはできる。

 そして未来の居場所を決めるのは、過去の自分の積み重ね。


 だからいつであろうと、どこであろうと。

 自分の『今』を大切に生きて。


 あなたの積み重ねた時間が、これから先の財産となることを願っているわ」


駅の方から汽笛が聞こえた。急がないと。

私は受け取った証明写真を履歴書に貼りつけ、お店を後にする。


駆け込んで座席に着くと、窓の景色がゆっくりと流れ始めた。

海のように広い三途さんずの川にかかる、長い長い橋を渡る。


これから私は、どんな道を歩むのだろう。

先の見えない景色が不安だけど……でもきっと、上手くやれるはず。


積み重ねた時間が、自分を助けてくれると信じるんだ。

写真の中の私がそう言っている。


<終>

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