魔性

 俺の前に飼われていた男は、『キョウヘイ』という名前の男だ。

 オデットに初めて会った日の夕方。

 カリナに褐色女の事を聞くと、「あ、休みだったんだ」と言っていたので、あの口ぶりから察するに、日中は仕事をしているらしい。


 何の仕事をしているかは知らない。


 でも、カリナが休みを把握していない時があるってことは、サラリーマンみたいに、決まった曜日に出勤する職ではないだろう。


 カリナの家にきて、『9日』は経ったか。

 おかげで、カリナのルーティンが把握できてきた。


 まず、午前中は俺をからかいながら、ひたすら映画、読書、音楽、家の中でできる事をうんとやりまくる。


 そして、正午近くになると、カリナは別の建物に向かう。

 近くにはあるんだけど、隣接していない、小さい体育館みたいな建物だ。

 そこに行くと、『約3時間』は戻ってこない。


 そして、戻ってきたら、なぜか毎度半裸で、汗だく。


 すぐにシャワーを浴びて、上がったらようやく食事。

 食事の量は、『成人男性二人前』の量だ。


 お腹がポッコリと膨れるまで食べたあと、今度は別室に籠る。

 別室に籠った場合は、時間は定まってないけど、早くて『一時間』で出てくる。


 それから、眠るまでの間、俺にまとわりついてきて、一方的に話しかけてくる。

 風呂に入っていれば、風呂場にきて話しかけてくる。

 トイレにいたって、個室の扉を開けて話しかけてくる。


 以上の事が終わってから、ようやく眠るのだ。

 ……俺と一緒に。


 *


 今のところ、俺が自由に動ける時間は正午の時間くらいだ。

 この時間なら、ある程度自由はく。

 掃除用具の件で文句を言ったら、この時間だけは『物置の部屋』は開放してくれた。


 でも、それだけじゃ足りないので、厨房の部屋も開放してくれた。

 カリナは「食べ過ぎだよぉ」と、頬をつついてきたが、俺にはカリナが何を言っているのか理解できなかった。


 厨房を開放してもらったのは、理由がある。


「ほら。口開けろ」

「あ、あふっ」


 じゃがいもは蒸かして、ブロッコリーとニンジンは温野菜。

 ドレッシングがあったので、それを使って皿一つに盛ってきた。


 キョウヘイは、たぶん気まぐれで食事を与えられている。


 二日か、それ以上か。

 一度与えられたら、放置されていたのだろう。


 色々な話を聞いておくものだ。

 おかげで、キョウヘイの異変に気付くことができた。


 唇は乾燥。――水分不足。

 顔色が黒っぽくなり、顎下の皮がへこんでいる。――明らかにやせ細っている。

 極めつけは、目の下の薄っすらとした隈。


 おそらく、空腹で眠れなかったんだ。

 態勢は座ったままで、尻を拭くことだってできやしないだろう。


 だから、俺は風呂場で温水を汲んできておいて、食事が終わったら、軽く濡らしたトイレットペーパーでキョウヘイの尻を拭いてやった。


 幸い、水だけは流せるようで、汚物は残っていなかった。


 尻を拭いた後は、温水で濡らしたタオルで、体を拭いてやる。

 不衛生な状態だったから、首や腹に湿疹ができていた。

 なるべく優しく拭いて、まめに温水で濡らして、乾いたタオルで拭く。


「……ありがと」

「気にすんな」


 俺の場合は、自由に動けている。

 汚れたら、洗えばいいんだ。


「お、オレさ。本当に、馬鹿だったよ」

「ん?」

「金髪の、可愛い子が、路地裏で座り込んでたから。気になって声掛けたんだ。会社では、心細かったし。つい、出来心で」


 股間と、その周りを綺麗に拭いていると、キョウヘイが目に涙を溜めていた。


「可愛かったんだ。すっごく。見たことがなくてさ。こんな子と、付き合ったりしたら、すっごい楽しいだろうなって。でも、意味分かんない刑罰食らって、気づいたら、ここにいて」

「俺だって、似たようなもんだよ」

「なあ、……もう、ヤッたか?」

「え?」

「セックス。あいつと、セックスしたか?」


 いきなりの質問に、戸惑ってしまった。

 けれど、キョウヘイの目は真剣で、怯えが含まれていた。


「まだなら、絶対に。……絶対に、あいつだけは抱くな。すっげぇ、気が狂いそうになるくらい、気持ちいいんだ」

「あー……、俺は、別に、そういうのは……」

「マジなんだって。口とか、尻も。別の生き物みたいで。ホント、……上手く、言えないけど」


 キョウヘイは絞り出すように言った。


「……支配、……されるな、って」


 自嘲した笑顔を浮かべ、涙が目じりからこぼれる。


「分かってんだけど。止まらなくて。気が付いたら、、ご褒美ほしくて。言いなりになって。骨抜きにされて」

「床上手ってやつか?」

「だったら、単純に嬉しいだけで終わるよ」


 俺は女を知らない。


 抱きたいと思った事は、それなりにあるけど。


 でも、抱いたことなんてないから、キョウヘイの言う恐ろしさが俺には分からなかった。

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