オデット

「そこで何をしてるの?」


 驚いて振り返る。

 後ろには、カリナではない、怪訝な表情をした褐色の女が立っていた。


 髪はポニーテールにしていて、白のチュニックとショートパンツの極めてラフな格好をした女。

 彼女は、垂れ気味の目をしていて、その瞳の奥には明らかに不審者を見る疑惑の念が宿っていた。


 俺は、すぐにピンときた。


 ……か。


「誰?」

「オデットよ。そちらこそ、どなた? 不審者さん」

「……シンゴ」


 名前を言うと、「あ~……」と納得した風に、何度か頷いた。


「ここで何しているの?」

「カリナに頼まれて、ゴミ袋と掃除する道具を探しにきたんだよ」

「トイレの掃除道具使うつもり? アンタ死にたいの?」

「あいつが場所を教えなかったんだよ! どうしろってんだ!」


 大袈裟にため息をついて、「こっちきて」と、指を折り曲げる。

 俺は拘束されている男を見る。

 

 いかないでくれ。

 そいつの眼差しは、そう言っていた。


「あのさ。アンタが死のうが、嬲られようが私にはどうでもいいの。くるの? こないの?」

「こいつはどうなるんだ?」

「さあ」


 オデットは興味がないようだった。


「壊れた人形の処分って、どうするのかしら」

「壊れた? 生きてるだろ」

「……今度のは活きがいいのね。結構よ」


 俺は振り返り、そっと耳打ちする。


「ここで待っててくれ」

「い、嫌だ。一人にしないでくれ! 待って!」


 個室のドアを閉めて、オデットについていく。

 男は俺が離れた後も何かを叫んでいたが、すぐに嗚咽に変わり、気が滅入ってしまった。


 オデットに連れてこられたのは、突き当りの部屋。

 建物の位置的には、西側か。

 始めに調べた扉がある場所とは、反対側の方だ。


 突き当りの部屋は、カーテンが閉め切られ、真っ暗だった。

 明かりを点けると、段ボールや畳まれたシーツ、ストーブなどが置かれている。


 どうやら、ここが倉庫になっているようだ。


 オデットは段ボールと段ボールの間から、掃除用具を取り出す。

 差し出されたので、俺は手を伸ばした。

 すると、掃除用具が褐色の手から離れ、床に転がる。

 そのすぐ後に掴んだのは、俺の腕だった。


「自分の立場分かってる?」


 俺より背が高い女だ。

 体格的にも、上から見下ろす格好になり、それは実状だけでなく、見下されているのは、オデットの言動で伝わってきた。


「ハッキリ言ってあげようか? アンタは人権がない、ただの人形。奴隷。殺そうと思えば、いつだって殺せるペットなの」

「それ、テメエも国によっちゃ、同じモンだろうがよ」


 俺は、少しだけ怒りが漏れてしまった。

 怒りを口にした直後、頬に衝撃が走り、耳鳴りがした。

 平手打ちを食らったのだ。

 力が強いので、情けないことによろめいて、段ボールに倒れ込む。


「私の肌のこと言ってる? お生憎様。私、白人と黒人のハーフだから」


 どうりで、顔立ちが黒人っぽくないと思った。

 肌は褐色なのに、目の彫りが深くて、唇の厚みはぽってりしてるくせに、厚くも薄くもない半端な感じだ。


 そこまで観察して言ったわけじゃない。

 単に、少しだけキレてしまったのだ。


「お前ら犬の死骸、誰が掃除すると思ってるの?」


 頭を踏みつけられる。

 こんなもの、普通に日常を送っている奴が味わったら、怯えるどころじゃない。ショックを受けて、確実に心が壊れる。


 だけど、俺はこんな教育をされていた。


『怖かったら動け。怯えてるのが自分で分かったら、絶対に固まるな』


 元自衛隊のヤスヒロさんだったかな。

 こんな事を言われて、俺は臆病な性格をしていたから、この言葉が自分の中に沁みついていた。


「何が、……犬だよ」


 頭に乗せられた足首を掴み、歯を食いしばる。


「俺が犬なら、お前は何だよ。道端に落ちたクソかよ」


 チクショウ。

 頭に血が上ってきた。

 まずい。抑えないといけないって分かってるのに。


「同じ人間だってのが分からないほど馬鹿ならなぁ。社会に出てくんじゃねえよ! 邪魔なんだよ、お前」


 軸足を思いっきり踏んでやると、オデットはよろめいて尻餅を突いた。


「何すんの!」

「掃除の邪魔だっつうの。言われなくても、豚小屋の掃除してやるよ」


 掃除用具を手に持ち、怒り任せに扉を閉める。

 気がつけば、俺は痛いくらいに奥歯を噛んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る