カリナ邸

 学校を過ぎて、県立図書館を過ぎ、計30分弱歩いた先に林道が見えた。

 とはいっても、日本村に比べれば林道の長さはまだ短い方で、すぐ抜けた先に目的の建物があった。


「うわ、すっごいな」


 たぶんだけど、この辺りには元々小さい学校があったんだろう。昭和時代からあっただろう旧校舎を改築して、そのまま屋敷にした感じか。

 だから、外観は旧校舎の雰囲気がそのまま残っているのだ。


 学校のサイズは分校程度で、本当に小さい。

 しかし、人が一人二人住むには、大きいってところか。


「そこ玄関だから」


 指した方には、両開きの扉がある。

 玄関の明かりは感知センサーが働いて、自動で明かりが点いた。


 建物の周辺は花やら植物やらが生えていて、管理が行き届いているのか、ちゃんと間隔を空けて並んでいる。


 俺の場合、大人の手伝いをしているから分かるけど、鉢の周りに雑草がなかったり、木に関しては剪定せんていされているから、もっさりしていない。


 これをカリナが一人でやったのか?


 疑問はあるけど、玄関の扉を開けて中に入る。


「うわ、懐かしいぃ」


 思わず、声が漏れた。

 生徒用の靴棚はないけど、広々とした空間の脇に備え付けの靴棚がある。


 それ以外は花瓶や絵画が飾られていて、もはや学校模様はない。

 なのに、造りが日本の学校特有のそれで、久々に小学校にきちゃったな、といった感情が湧き上がってきたのだ。


「一人で住んでんの?」

「ううん。さっき言ってた男の人と、もう一人女の人」

「へえ」


 さすがに上がるわけにはいかないので、カリナを段差の上に下ろしてあげる。


「え? 部屋まで連れて行ってよ! やだ!」

「男が上がるわけにはいかないでしょ」


 少し強引に離れると、カリナは頬を膨らませて睨んできた。

 外と違って、ここなら人目にはつかないし、日本村と同じで人気のない場所に建てられているから、外部から人が入ってくることもない。


「じゃあ、俺行くから」


 さっさと玄関を潜って、家路につく。


「待って!」


 いきなり悲鳴のような、金切り声で叫ばれて、心臓が飛び跳ねた。

 背中に衝撃があって、歩が止まる。


 カリナが腰と腰が密着するほど、後ろから抱きしめてきた。

 しかも、腕を前に回し、ベルトに指を絡めてくる。


 それは、まるで逃がさないといった圧力さえ感じた。


「私、もっとシンゴのことが知りたい」

「俺は帰りたい」

「もうっ! 女の子の誘い断るなんてひどいよ!」


 いや、だから、いくらでも言いがかりができちゃうご時世なわけでして。

 間違っても美人局に引っかかりたくないのだが、普通は断ったら引き下がるものだけど、清楚な見た目からは想像できない押しの強さに、俺は気圧されそうになる。


「もっと、もっと、お話したい。シンゴのこと、教えて……」


 玄関先のライトが金色の髪を透かして、潤んだ瞳の艶を強調している。

 頬は上気して、すがるような眼差しだった。


 例えば、このまま押し倒せば、弱弱しい抵抗のままに、彼女は身を任せてくるだろう。なんてことが容易に想像できてしまう、女の弱さ。


 俺は、……怖くて仕方なかった。


 視線を感じて顔を上げると、二階の窓の一つに留まる。

 カーテンが少しだけ揺れていて、奥に誰かいるのか凝視するけど、明かりが点いていないので、それ以上は確認のしようがない。


 ここに着いてから、違和感しかないのだ。


 勘の良い人なら大体分かるだろう。

 この建物は――。

 この屋敷は、一人、二人で住むには広すぎる。


 視線だって感じる。


 いくら、メンヘラの気がある女とはいえ、身元が分からない男を家に上げるだろうか。


「ねえ。シンゴ」


 手がベルトから外れて、指先が股間の膨らみに触れていく。

 だが、俺は情に流されない。


「やめてくれ」


 すがるように抱きついた態勢で、カリナの指は確かに俺の股間を摘まんだ。


 指先で弄ぶようにして触ってくるので、かなり強めに引きはがす。


「おい、やめろって!」

「きゃっ」


 押したつもりはなかった。

 強く押しのけはしたが、肩は掴んでいたし、転ぶほど奥に飛ばしてはいない。


 だが、どういう訳か、カリナは派手に尻餅を突いて、怯えた目つきで俺を見上げていた。


「あ、……ごめん。だいじょう……」

「帰って!」

「ごめん。ごめんね。突き飛ばすつもりはなくて……」

「いいから帰ってよ!」


 目に涙を滲ませて、カリナは嗚咽おえつした。

 気のせいか、歯軋りの音が聞こえる気がする。

 俯いているので、前髪で顔が隠れて、表情は見えない。


 せめて、立たせようとするが、「帰れよ、猿ッ!」と、もの凄い金切り声で叫ばれ、手がつけられなかった。


 罪悪感だけが込み上げ、やってしまったなといった気持ちで胸がいっぱいになる。


「ごめんな」


 最後に謝って、屋敷の門を潜る。

 門扉もんぴを閉める間際、カリナはブツブツと何か呟いていた。

 視線は地面の何もないところをじっと見つめ、歯を食いしばって、唇が忙しなく動いている。


 壊れた人形。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。

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