第12話

森の中は、梢に陽光が遮られ、少し肌寒く感じた。ログウッドの東の森。未だ手つかずの自然を多く残す、美しい森だ。天高く聳える広葉樹の下には、地衣類の緑のカーペットが広がっている。まさに、原生林ともいうべき光景である。三人の姿は車を使われたせいで、見失ってしまったが、地図に記された場所を目指しているのなら、いずれ見つけられるはずだ。エイラは、コンパスと地図を頼りに道なき道を進む。山にこもる訓練は嫌という程させられた。地図の場所は、それほど遠くは無く迷うことはない。

「そろそろ、地図の印の場所だよ」

 エイラが伝えると、ジルクニフは小さく頷く。その時。カサッと、エイラの背後で微かな物音がした。三人組が森に入ってからかなり時間をおいて森に入ったつもりだったが、追い抜いた可能性もある。それか、熊か鹿などの獣だろうか。エイラは、最悪の事態を想定して、腰の一二式自動拳銃をホルスターから抜いた。再び、カサッという物音。しかし、音の正体は見えない。エイラは拳銃を構えた、次の瞬間。

「きゃあっ!」

 という、なんとも、可愛らしい声が聞こえてきた。甲高く、耳に痛いこの声。

(もしかして……)

 エイラの脳裏を嫌な予感が過るのと同時に、もぞもぞと草木をが動き、そこからひょっこりとヘレナが顔を出した。頭には葉っぱを数枚乗っけていて、袖は泥で汚れていた。どうやら、草木に足を取られ転んだようだ。エイラは、ため息をついて拳銃をホルスターに戻す。

「ヘレナ。一体、何をしてるの?」

 ヘレナは立ち上がると、頭の葉っぱを払いながら言う。

「そっちこそ!この森で何をしてるのかしら!」

「な、何って……っていうか、アンタから答えなさいよ」

 二人の元へ歩いてくると、ヘレナは胸を張って言う。

「貴方たちを、見張っていたの。森の入り口で見かけてね」

「私たちを?どうして?」

「もしかしたら貴方たちが、密猟者の仲間じゃないかと思って、見張っていたのよ?」

「密猟者?私たちが?一体、どういうこと?」

「二人とも、落ち着け」

 ジルクニフの声で二人は冷静になった。ジルクニフはヘレナに向き直って、

「ヘレナ。俺たちは密猟者ではない。俺たちも、君と同じで怪しい連中を負って森まできている」

「それでしたら、密猟者をみつけたってことですの?」

「ああ、恐らくそうだろう。網と縄を持っていた」

「ちょっと待って、密漁って言って何を?」

 エイラが尋ねると、ヘレナは訝し気な表情を浮かべてから、

「妖精よ」

「だから、あの時、ジャスミンの場所を訪ねてきたのね?妖精を探すために」

「ええ、そうよ。ご存じの通り妖精の捕獲は法律で禁止されてますの。けれど、鑑賞用や魔法の実験用などに用途がありまして、ブラックマーケットで高値で取引されてるわ。一週間前くらいに、妖精が出品されたという情報を軍は入手いたしまして、私はその調査を命令されましたの」

 ジルクニフは首肯した。

「なるほど。白と青の光は妖精を捕まえるために使った魔法とみて間違いなさそうだ。妖精は森の守り神だ。そこに異常がでだから、動物たちが街に現れたのだろう」

「じゃあ、森に入った人たちが体調不良になったっていうのは?」

「あれは、リネットたちが広めたデマだろう。森から人を遠ざける目的だ」

「ちょっと、お二人とも何の話をなさっていますの?」

 蚊帳の外だったヘレナに、エイラは事情を説明した。

「なるほど、それで彼らを追って森まで来たと」

「ええ」

「でしたら、申し訳ないですけども、ここからは私の仕事ですわ。無関係の貴方たちはここまでになさい」

「はあ?無関係じゃないんですけど。こっちも頼まれてやってるの?」

「頼まれたのは、怪奇現象の正体を突き止めることですわよね?でしたら、もうその目的は達せられたのではなくて?犯人逮捕は私の仕事ですわ」

「てか、そっちが後から割り込んできたんじゃん!」

「違いますわ。私はここを突き止めるために、何日も――」

「二人とも、静かにしろ」

 ピシャリとジルクニフの声が響いて、二人は口を噤んだ。ジルクニフは前方を指さす。その先には、三人組の姿があった。距離としては50mほど離れている。草木の合間から辛うじて姿が確認できるレベルだ。これでは、いつ見失ってもおかしくない。

「少し距離を詰めて、後を追うぞ」ジルクニフは小声で言う。

 姿勢を低く保ち、忍び足で彼らの後を追う。そうして、数分としないうちに、陽光が刺しこむ開けた場所へ出た。見れば、そこは湖になっていた。いや、泉という表現の方が正しい。清らかな水を湛え、その水面は太陽の光を反射し、眩い光を一帯に散らしている。

 その泉の上で麗しい小動物が舞い踊っている。妖精だ。二対の羽と四本の腕を持つ、人型の魔法小動物。その生息域は非常に限られ、この森のように、手つかずの自然を残す原生林や、北の密林に僅かに報告があるのみである。また、非常にか弱い生物であると知られている。魔法動物の中でも彼らは、高度な言語を操る「有語族」に分類される。すなわち、彼らは非常に高い知能を持っている。にもかかわらず、彼らを捕まえるのはとても簡単だ。それはなぜか?妖精を捕まえようとする生物が人間以外に存在しないからだ。だから、妖精は逃げることを知らない。理由は不明だが、妖精を捕食したり傷つけるようなことを野生の動物は行わない。故に、その神秘的な見た目と相まって、妖精は古くから、森の守り神と崇められている。エイラが目にしたその光景は、正に、その呼び名に相応しき神々しさだった。

 三人組は、その泉の近くでネットを広げ、準備を始める。捕まえるのならば、現行犯が望ましい。

「エイラ、お前はここで待機していろ」

「私も行く」

「ダメだ。奴らは魔法も使えるし、武器を持っているかもしれない。危険すぎる」

「そうよ、実技がダメダメな貴女はここに居なさい」ジルクニフの言葉にヘレナは同調する。

「で、でも、ジルの護衛が私の任務で」

「俺は大丈夫だ。お前はここに居ろ」

「エイラ。私も彼に続いて奴らを捕まえないといけない。悪いけど、ここに居てね」

「分かったわ」

 (だったら、どうして私はここに居るんだろう?)

 護衛を果たせない、護衛に意味はあるのだろうか?いや、そもそも、エイラはログウッドの案内役で、護衛という任務は建前のようなものなのだ。でも、任務という形で与えられた以上は、全身全霊で全うするのが、軍人としての矜持ではなかろうか。だというに、それを全うできない自分が恥ずかしかった。情けなかった。こんなことでは、いつまでたってもレイ・サウザーの下へは近づけない。レイは英雄だ。サルヴァ峠の戦いにおいて、一人で前線を保持した、一人で戦端を切り開いた。その上、その功績に対する褒賞を病院へ全て寄付したのだ。そのおかげで、エイラの弟は治療を受け続けることができている。彼のような人間になることがエイラの目標にしていた。でも、それは、叶わない夢なのだろうか?

 二人の背中が遠ざかる。エイラは、≪ハイト≫を使い起動して、ただ、それを見ている事しかできなかった。

 ネットをわきに抱えて、三人組たちが泉へと向かう。それを遮るように、ジルクニフとヘレナが立ち塞がった。先頭を歩いていた男は、途端に表情を曇らせた。

「誰だ?お前たち?」低い男の声。

「お前らに説明する必要はない」

「おい、どうなっている!?」「話と違うぞ!」慌てた二人を、低い男の声が一喝する。「どうするもこうするも無いだろ!やるぞ!相手は二人だけだ!」それで残りの二人も平静を取り戻したようだ。

「ったく、舐められたもんだぜ。女と男のたった二人で俺たちに勝てると思ってんのか?こっちはな、戦争の前線で長いこと戦ってたんだ!お前らなんかに負けるわけねぇだろ!」

 声の低い男は、威勢よくそう言って腕を捲る。直後、その両手が白く瞬いた。≪バレック≫の同時発動だ。口先だけでなく、実力もあるようだった。

 直後、男の腕からすさまじい突風が放たれた。ジルクニフと、エイラはそれをサイドステップで躱す。

「エイラ、発砲は禁止だ。気絶させる分には構わない」

「私に命令しないでくださる。でも、いいですわ。私にとってもその方が好都合ですからね」

「ふざけやがって!」

 後の二人は、その拳銃を取り出した。どうやら、こちらはあまり魔法が得意ではないようだ。それを見て、ヘレナは防御魔法の≪エルソレーション≫を使った。黄色の≪詠唱光≫を放ち、ヘレナの正面に半透明の壁を作り出した。拳銃の弾は、その障壁に阻まれ空中で静止する。≪エルソレーション≫は戦闘系の魔法の中では基礎の基礎だ。だが、銃弾を何発も防ぐほど強靭な障壁を作り出すのはそれなりの鍛錬が必要で安定して作り出すのは難しい。つまり、一歩、間違えれば途端に命を落としかねない、戦闘なのである。

 傍から見ているだけで、エイラの心臓はバクバクとV型8気筒エンジンのような唸りを挙げていた。

 やはり、自分では役に立たなかった。寧ろ、邪魔になっていただろう。苦汁を飲む思いで、唇を噛んだ。

 その時。エイラは、あることに気が付いた。

 リネットの姿が無い。

 三人組の中にてっきり彼も居ると思っていた。だが、≪ハイト≫でよくよく確認してみると、リネットらしき男はいない。雑居ビルを出た時、確かに仲間は三人だった。だとすると、その後どこかで更に仲間を拾い、森へ向かったということだ。

 ――ということは?

「おい、手を挙げろ」

 突如、響いた、囁くような男の声にエイラは全身を硬直させた。その声は、右の耳元で聞こえたのだ。≪ハイト≫を使っていたせいで、接近に気がつけなかった。この魔法は、五感や集中力を鈍らせる副作用がある。もっと、周りに気を配っておくべきだった。だが、後悔ももう遅い。エイラは、ゆっくりと手を挙げた。

「そのまま、ゆっくりと振り向け」

 言われた通り、≪ハイト≫の発動を解除し、振り向く。

「やあ、かなり早い再開だったな、エイラ」

 リネットは、口元と釣り上げ不気味にほくそ笑んだ。右手には一八式自動拳銃が握られ、その銃口はエイラの右の胸のあたりに押し当てられている。リネットの他に、男がもう二人。三人組だと思っていたのが、実は四人組だった訳だ。

「あの二人を、今すぐ止めさせろ」

 エイラは逡巡した。リネットの指示に従うべきだろうか?仮に従ったとしたら、どうなるだろうか。拒否した場合は?シュミレーションの結果はどれも好ましくなかった。

 ふと、レイ・サウザーのことが脳裏に浮かぶ。彼ならこの状況で、どうするのだろうか?エイラは彼と直接、会ったことはない。それどころか、彼について知っている情報と言えば、ほんの僅か。でも、何となく、彼は決して逃げないだろうと思った。

 エイラは、リネットを睨みつけた。

「嫌よ」

「あん?」リネットは凄むが、エイラは怯まない。

「撃てるもんなら、撃ってみれば?」

「本気で言ってんのか?」

「軍人殺しは大罪よ。一生、檻の中で過ごしたい?」

「口では何とでも言える」

「……ええ、そうね!」

 そう言ったのと同時。エイラは思いっきり、リネットの股間を蹴り上げた。彼は、その場で飛び上り、銃口が逸れる。その一瞬の隙をついて、エイラは直ぐ近くの茂みへ飛び込んだ。そのまま木の裏へ逃げ込む。そこへ数発の銃弾が放たれるが、木に弾痕を残すのみで、エイラには当たらなかった。

「やめろ!あの女は、俺がやる。お前らは、向こうに加勢に行け!」

 痛みに耐えながらのリネットの声。クリーンヒットした気だったが、どうやら持ちこたえているようだ。

 二つの足音が遠ざかっていく。これで一対一。状況は好転したとみるべきか。

「随分な自信ね」

「当然だ。女相手に負けるわけねぇよ」

 ジルクニフの戦闘能力は確かなものだ。ヘレナも同期の中では実技は一番だった。しかし、状況的には二対五の筈だ。助けは当てにならない。

 (私だけで、どうにかしなくちゃ)

 エイラは、ホルスターから拳銃を抜く。心臓の鼓動が高鳴る。凍えているように手足が震えた。初めての実戦。聞いていたよりも、遥かに体の融通が利かない。でも、やらなくては。いつまでも、怖気づいてはいられない。エイラは、覚悟を決めた。幹に背を預け、撃鉄を起しこす。それから、深呼吸をした。

「本気で、殺しに行くから」

 怒りに満ちた声でリネットは言う。

「ああ、やってみろ」

 エイラは、顔だけを一瞬木の幹から覗かせる。リネットは、さっきと変わらず同じ位置に立っていた。直後、エイラが顔を覗かせた位置に、銃弾が飛ぶ。シュッ!という風切り音を残し、森へ吸い込まれた。今度は、思い切ってエイラは半身を木から乗り出し、一発の弾丸をリネット向けて放つ。しかし、リネットが寸前で発動した≪エルソレーション≫によって防がれてしまう。反撃にリネットは、銃弾を三発、エイラに向かって連射した。木の幹に隠れることで、それをやり過ごす。

「軍人のくせして、防御魔法も使えねぇのか?」

 ≪エルソレーション≫はエイラの数少ないまともに使用できる魔法の一つだ。だが、こんな緊張感の中、正確に発動できる自信は無い。今は、木の幹の方がよっぽど頼りになる。それに、こんな分かりやすい挑発に乗ってはだめだ。

 エイラは、返事の代わりに、リネットに弾丸を放った。しかし、障壁に阻まれリネットには届かない。

「おいおい、無視してんじゃねぇぞッ!」

 リネットの声音からは、明らかな苛立ちが感じ取れた。冷静さを失えば、魔法の制度の鈍る。このまま、リネットを苛立たせ続ければ――。

 バギイィィィ!

 強烈な破壊音が、エイラの思考を停止させた。エイラの隠れていた木が、幹が腰の高さの辺り折れ曲がっていた。それが、音の正体だった。リネットが≪バレック≫を使い、強引に木を折ってしまったのだ。隠れる場所を失った。予想外の展開ではあったが、エイラは咄嗟の判断で身を屈めた。一瞬前まで、エイラの顔があった位置を数発の弾丸が通過する。間一髪だ。弾丸を打ち切りったようで、リネットは拳銃のリロードに入った。

(この隙に、近くの別の木まで移動しないと)

 そう考え、踏み出した矢先。エイラは、右足を草木にとられ、その場に転倒した。それが、致命傷だった。リネットは、リロードを終え、照準は真っすぐ地面に這いつくばるエイラを捉えていた。

 周囲の音が、景色が、遠ざかる。時の流れが、鈍重になった。

 さっきまで、あんなにも焦っていたはずなのに、驚くほど冷静で落ち着いた気分。

 リネットの指が、トリガーに掛かる。

 エイラは、死を悟った。今からでは、≪エルソレーション≫の発動は間に合わない。

 ――くだらない理由だな。

 あの言葉の意味がたった今、理解できた。「お金がほしい」なんて、適当な理由で軍人になるべきではなかったのだ。ましてや、英雄になろうなどと、おこがましい考えだった。そんなことを考えるから、早死にすることになる。自分の傲慢が招いた結果だ。

 エイラは目を瞑った。

 刹那。何かが起きた。何が起こったのか、目を瞑っていたせいで分からない。けれど、確かなことは、エイラに銃弾は命中しなかったということだ。目を開けると、そこには見慣れた背中があった。この二日間、ずっと追いかけていた背中である。

「よく持ち堪えた」

 その声は、いつもと変わらない冷淡なものだった。けれど、この時ばかりは、とても温かく感じた。

「俺の後ろに隠れてろ」

「う、うん」

 言われた通りに、ジルの背中に張り付く様に隠れた。思っていたよりも背が高いなと、素朴な感想が浮かぶ。

「何故だ……アベルたちはどうした!」

 リネットが叫ぶ。余裕の無い声だ。

「全員、寝てる」

「な、そんなバカな。アベルは特殊部隊にいた精鋭だ。そう簡単に負けるわけが……」

 リネットは、視線を横へ向けた。そこには、だらしなく草木の上に横たわるアベルの姿があった。アベルの手足は縄で縛られていて、身動きが取れないようになっている。

「ちくしょー!どうして、こんなことに!」

 リネットは大声を上げ、銃口をジルクニフに向けた。が、その引き金が引き切られる前に、ジルクニフは動いた。一瞬で、リネットの眼前に迫る。右手で、リネットの手首を掴み捻り上げた。痛みから、苦しそうに悶え、銃を手放した

「分かった。もう抵抗しない!だから、止めてくれ!」

 ジルクニフが手を離すと、リネットは手首を抑え、地面に項垂れるように膝をついた。

「ヘレナ、こいつも縄で縛っておいてくれ」

 いつの間に、エイラの背後の立っていたヘレナは、ジルクニフに言われ、リネットの手足を縛った。

 その様子を見ていたら、急に足に力が入らなくなって、エイラは崩れるようにへたり込んでしまった。

「大丈夫か?」ジルクニフはエイラを見下ろして言った。

 言葉とは裏腹に、全く心配していなさそうな声。今なら、これが普通なのだと分かる。

「ごめん。ちょっと、休憩」

 ヘレナが近くに寄ってきて、水筒を差し出した。

「水よ。飲みなさい」

 エイラは無言で水筒を受け取ると、中身を全て飲み干した。自分の感覚より、体は水を欲していたらしい。

 水を飲み終えると、潤った体のためか、怖いくらいに爽やかな気分になった。まるで、新春の朝日を浴びた時のようだった。「これが生を実感するってことなのか」という少し稚拙な感想が、図らずとも口から零れた。

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