第7話
そういうと、ジルクニフは、エルスタインの方へ歩いて行って、
「待たせて済まない」
「さほど待っては居らんよ」エルスタインは眉を顰め「そちらの灰のお嬢さんは?」
灰というのは、ニーラ人を指す暗喩だ。ニーラ人の特色である灰色がかった髪になぞらえて使われる表現で、若干の侮蔑や差別的な意味合いを孕んでいる。教養のある人は、殆ど口にしない表現だ。やはり、エルスタインはニーラ人への差別意識は強いようだ。
「彼女は協力者だ。ニーラ人が身内に居たほうが、やりやすいこともあるからな」
疑念を帯びた視線がエイラに向けられた。とりあえず、首をコクコクと縦に振った。
「そうだな、貴殿の言うことは一理ある。分かった。同席を認めよう。――さて、では具体的な方法について、話してくれるかね?」
「ああ。だが、その前に確認したいことがる。設けた金の分配だ。ま、相場からして、俺の取り分は二割でどうだろうか?」
「ほう?随分と少ないようだが……貴殿がそれでよいというなら、一向に構わない」
「契約成立だな。じゃあ、この紙にサインしてくれる?後から揉められても困るからな」
「サイン?それは困る。証拠が残るのは、不本意だ」
「だったら契約魔法はどうだ?証拠は残らない」
契約魔法は、その名の通り、契約に用いられる魔法である。両者の合意によって魔法は成立し、どちらかが契約に違反すると、事前に取り決められた『罰』が自動的に執行される。契約が完了するか、不履行になった時点で破棄されるため証拠が残ることはない。
「なるほど、だが、私はその手の魔法は不得意だ。貴殿は、使えるのか?」
「もちろんだ。罰の内容は、『本件で得た金銭を全て相手に渡す」でいいか?」
契約の『罰』に関しては、金銭的もしくは、言語的な罰しか認められない。つまりは、罰金か謝罪のみを罰に設定できる。それ以外の『罰』も設定自体は可能だが、その契約を結んだ時点で、法に抵触してしまう。
「ああ。それでいい」
「わかった。手を出してくれ」
エルスタインは恐る恐るという様子で右手を差し出した。ジルクニフは、その手を握る。次の瞬間、二人の右手が深緑に発光を始めた。契約魔法≪クラック≫が放つ光である。五秒ほど発行を続け、ジルが手を離すと同時に、光は消えた。
「契約完了だ」
「よし。それでは、話を聞かせてもらおう」
「いや、その必要はない」
ジルクニフは黒シャツの襟を正しながら、そう告げた。
「ん?なんだと?」エルスタインは眉を顰めた。
「もう、証拠は確保した。お前はもう用済みだ」
「何の話だ?」
「全く、とんだ馬鹿だ。いいものを食っているようだが、脳に栄養は言っていないらしい」
「貴様ッ!私は侮辱するつもりか!私はログウッドの市長だぞ!」
「ああ、今はな」
エルスタインのほほがピクリと動く。
「貴様、何をするつもりだ?」
「まだ分からないのか?仕方ない教えてやる。俺は、お前を告発する。証拠はこれだ」
そういって、ジルは右手を胸の前に掲げた。
「ふん、それが何になる?契約どころか、私はは、違法な事は何一つしていないぞ!バカはお前の方だ!」
エルスタインの言うことは間違っていなかった。石切場に無理難題を吹っ掛けたのも、今回の件で、ジルと契約を交わしたのも、どれも合法だ。
「いや、馬鹿はお前だよ。俺は告発をすると言ったんだ。――俺は、このことを全て、ウォーロンに伝える。包み隠さずだ。そうしたら、お前はどうなるだろうな?」
その瞬間、エルスタインの表情は凍り付いた。
「視察の前に渡した紹介状はまだ持ってるよな?ウォーロンは、人となりを重要視する人間だ。お前のような立ち居振る舞いでは、いずれボロが出て、目をつけられただろうが、それが早くなったということだ。この≪東部≫でウォーロンを敵に回して、政治家が務まるとは思えないな」
エルスタインのやっていることは、確かに違法性はない。が、違法でないというだけで、倫理的には当然、非難されるべき行為だ。その事実が、ウォーロンの耳に入ったらどうなるか。彼は、非常に誠実な人柄で知られる。無論、逮捕されるようなことにはならないだろう。だが、市長としての立場を保ち続けることはできない。それどころか、まともな職には当分、就けなくなってしまうだろう
つまり、ジルクニフが言っていた、『シンプルな方法』というのは、言ってしまえば『恫喝』だ。お前の人生めちゃくちゃにされたくなかったら、この件から手を引け。そう言っているのである。
「お、おのれ貴様。最初からこれが目的かああッ!」
エルスタインは、怒号を挙げた。エルスタインの手は上着の内側に伸び、そこから、拳銃を取り出した。それを見て、ジルクニフは小さな声で呟くように言う。一方のエイラは、内心で焦っていた。
「素直に引き下がっていればいいものを。馬鹿な奴だ」
しかし、その声はエルスタインには聞こえるはずもなく、彼は、一層に怒りを露にした。
「こうなっては、仕方がない!ここでお前を殺してやる!」
銃口をジルクニフへと向ける。
エイラらも咄嗟に、ホルスターへと手を伸ばし、愛銃の一二式自動小銃を手に取った。慣れた動作で照準をエルスタインに合わせる。その瞬間、ジルクニフの右手がエイラの射線を塞いだ。
「落ち着け。大丈夫だ」
「で、でも!」
「いいから、銃を下ろせ」
薄氷の上のような緊張感の中、その声は異様なほど落ち着ていた。まるで、子供をあやす母親のような声だった。仕方なく、エイラは銃を下ろした。それを見て、エルスタインはにやりと不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい?いいのか?そんなことをして?」
「…………」
ジルクニフは何も言わない。
気が付けば、エルスタインの背後に立つ二人も、ジルクニフに向かって銃を構えていた。三対二の状況である。加えて、ジルは恐らく丸腰だ。それでも、ジルクニフは表情一つ変えない。
一瞬の沈黙。続いて、エルスタインの号令が響く。
「良いだろう、望み通りにしてやる。撃てッ!!!!」
甲高い炸裂音を轟かせ、三発の弾丸がジルクニフ目掛けて放たれた。直後、体がびくびくと三回、波打った。弾丸の一発は二の腕を貫通し、血しぶきを上げた。エイラの右頬に、血の斑点が浮かぶ。
エイラは、それを見ている事しかできなかった。なにも、できなかった。軍人失格だ。エイラの任務は、彼を護衛することだった。「大丈夫だ。落ち着け」という言葉に逆らってでも、彼を守るべきだったのだ。
「このッ!」
エイラは声を挙げ、再び銃口をエルスタインに向けた。この男だけは決して許してはならない。エイラが、トリガーに指を掛けたその時。
「止せ!」
ジルクニフの、劈くような声がした。エイラは、はっとジルクニフを見遣った。そこで、エイラは驚愕した。
彼は、二本の足で真っすぐ、立っていた。あり得ない。至近距離で銃弾を三発も受けて、立っていられるはずがない。よもや、背後に気を配る余裕などあるものか。エルスタインも、驚きからか大きく目を開き、その顔は恐怖の色を滲ませていた。
「ど、どいういうことだ?なぜ、まだ立っていられる?」
「さあな。どうしてだろうな。俺も知りたいよ」
「ううううう、もう一度だ、もう一度、こいつに銃弾をぶち込んでやれえええ!!!」
エルスタインの指示に従って、従者の二人は再び銃を構える。
が、弾丸を発射する前に、ジルクニフが動いた。両手から白い閃光が迸る。≪バレック≫を使ったのだ。直後、エルスタインの部下二人は、まるで車に轢かれたかのように、後方へ吹き飛んだ。意識を失ったのか、起き上がる素振りは無い。これまで、数々の≪バレック≫をその眼で見てきたが、これほどまで洗練されたものを見たのは初めてだった。
「どうする豚野郎?まだやるか?」
そういうジルクニフの右手には、白い閃光が瞬いていた。エルスタインは、ギリギリと歯ぎしりをして、顔を真っ赤に染めた。そして、全身を震わせ、ゆっくりと銃を手放した。
「石切場の納期を延期しろ。加えて、ニーラ人への不当な扱いを、今後、一切しないと約束するなら、今回の件は黙っておいてやる」
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