第3話 『もしも』

 数か月前のことだった。

 鈴羽の父親は交通事故に遭って重症を負った。


 至の言った通り、真っ昼間から飲酒運転した輩によるひき逃げ、だった。

 居合わせた通行人たちのお陰で間もなく救急と警察が到着、車のナンバーから犯人が特定されて。


「……大変、だったね」

「…………はい。今でも後悔しています」

「どうして君が後悔するの? 悪いのはいた人間だろ?」


 眉を寄せる至に、鈴羽は視線を下にさまよわせる。


、あの時お父さんと一緒に出かけなかったら。あの事故は起きなかったのかなって……」

「どういうこと?」


「あの日、私はお父さんとお母さん、妹の四人で買い物に行く途中でした。お父さんは仕事で疲れていて留守番するって言ったのに、私が家族全員で行こうよなんて言ったから」

「――――っ」


 ――、お父さんに留守番してもらっていたら。

 ――少なくとも、外で車にかれることはなかった。


「お父さんは、その、今は落ち着いているんだよね。まだ入院はしているけれど」

「そうです。お父さんは前向きです。あんなことがあったのに『退院したらやりたいことがたくさんある』ってうきうきしていて」


 鈴羽は静かに怒っていた。


「お母さんも妹のかおるも、もう事故なんてなかったように振舞っていて」


 それは理不尽に父を傷つけた犯人への怒りであり。


「だから、私だけ忘れ物ばかりして。今日は傘も忘れて。一人で馬鹿みたいに引きずっているんです!」


 周りと違って前向きになれない自分自身への怒りでもあった。


 強い雨音が鈴羽の耳に届いた。いつの間にか図書室から人の姿がほぼなくなっている。二人が深刻になっているというのに、貸出カウンターでは司書の先生が呑気にあくびなんてしていた。


「姫野さん、ごめん」

「どうして謝るんですか」


 鈴羽の声は、つんと尖っていた。別に至を責めたい気持ちはないのに。


「君が無理やり前を向こうとして苦しんでいるなんて、気づいてあげられなかった」

「いいんです、そんなの」

「……この世界って結構理不尽なこと多くてさ。誰かが死んだ日に誰かが生まれて、誰かが苦しんでる横で誰かが笑っていたりするんだ。悲しいときは悲しんだほうが良い」

「…………」

「僕は最低な男だから、こうやって君が弱っているところに近づいて、接点を持とうとしている」


 自嘲気味に至はわらう。


「どういうことですか」


 確かに。鈴羽と至は小学校のころは頻繁に遊ぶ仲だったが、至が中学に入学すると共に疎遠となっていた。


「君の……に、なりたいんだ」先輩であり幼馴染である少年は、かすれ声で言う。

 

 聞き取れなかったと言うと、至はまっすぐに鈴羽を見た。

 愛の告白のように真剣な眼差し。下を向いていた鈴羽が、真面目に見返すほどに。


「君の力になりたいんだ。忘れ物とか宿題とか、色々と協力させてほしい」


「それでは、先輩の負担になってしまいます」


君が少しでもそれで苦しまないで済むなら、僕はそうしたい」



 

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