第2話 放課後、あなたと図書室で。

 一年生の教室は四階、図書室は三階にある。

 図書室に連なる形で二年生の教室がある、帰りのホームルームが長引かなければ、図書室には先に至が来ているはずだ。


 ふわふわ地に足着かない足取りで、鈴羽は三階への階段を下る。昼休みに至と話してから、午後の授業にうまく集中できなかった。それに国語の教科書を忘れた。


 今日は金曜ということもあって、鈴羽を追い越していく生徒は皆一様に週末に浮き足立っている。先日中間テストが終わったことも影響している。

 それぞれが部活に家路に向かうのをちらちら眺めて、鈴羽は図書室の年季の入った扉の前に立つ。


 すうはあと深い呼吸をして。至が待つ図書室への扉をゆっくり開いた。


 壁沿いには本棚がずらりと、それに囲まれるようにして読書や勉強のための席が設けられた長机が等間隔に並んでいる。図書室に一歩足を踏み入れると、外の喧噪が嘘みたいな静寂が広がっていた。

 貸し出しカウンターで司書の先生がパソコンのキータイプ音、壁にかかったアナログ時計の秒針、女子生徒同士が肩を寄せ合って小声でお喋りする声。そして雨粒の落ちる音。

 

 ぱらっ。誰かが本のページがめくれる音が妙に大きく聞こえて、鈴羽は振り向く。

 ハードカバーの単行本を手にした至が、本棚にもたれるようにして佇んでいた。細かな活字を追っていた眼差しが、ちょうど良いタイミングで上に向けられ、鈴羽を捉える。


「先輩」先に声をかけたのは、鈴羽だった。

「ああ、姫野さん」

 上月至はやわらかく微笑んだ。こっちにおいで、座ろうかと言われて、二人隣り合って長机の席に着く。


「司書さんには話しておいた。ただ人気がある本だから、できれば明日持ってきて欲しいって」

「そうですか。うち近いから、今から家に取りに行って持ってきてもいいですか?」


 明日だとまた忘れてしまうかもしれない。でも今からなら。


「慌てないで。――明日で良いと、言ったろう?」


 せっかちな鈴羽をなだめる幼馴染みの声は、鈴羽の不安を包み込む。


「でも、私、いっつも忘れ物ばっかりで」


 包まれたからこそ、気持ちを吐露とろしたくもなるのだ。


「姫野さん」

「みんなにも迷惑かけて、不快な思いさせてしまっていて」


 膝の上で重ねた手をぎゅうっと握り、鈴羽はこれまでの失敗を悔やんだ。忘れ物のせいで授業を中断させたことも少なくはない。


「落ち着いて、クラスの人たちは知っているのかい?」


 お父さんの事故。

 鈴羽の心に穴ぼこが開いて、色々なものが抜け落ちていった原因。なんとなく無気力な理由。忘れ物を多発させる発端。


 物事の核心をつかれ、鈴羽は驚いて瞳を見開く。


「いえ、知っているのは先生方だけです。事故があったのは春休みでしたから。あまり他の人たちに知られたくもありませんし、友達もちゃんとできましたから」

「そうか。新しい友達も事故のことは知らないの?」

「はい、いつか言えるまでは……言えません」


 至がなんともいえないといった様子でうつむく。ご近所さんである彼は、例外的に『事故』について知っていた。


「僕としては……、加害者を一発ひっぱたいてやりたい。家族である君がこんなに苦しんでいるのに」

 

 歯噛みして言う声音には、物騒なぎらつきが見え隠れしていた。普段穏やかな至とのギャップに、鈴羽の胸の奥がきゅっとする。


「上月先輩。そんなことしなくても、私は」


 私は大丈夫ですから。そう言いかけて、鈴羽は至に遮られる。




「良くはないだろう。君のお父さんは、飲酒運転していた奴にひき逃げされたんだ……! それも真っ昼間、君の前でだぞ……!」




 吐き捨てるように言い切られた。

 同時に、鈴羽の手が何かにつかまれた。至の手だ。顔が熱くなるが、心はどこか冷えていた。


 至の言うことは、残酷でありながら本当のことだった。

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