第11話 行商人が来た
ヒヒーン。
この村にいないはずの馬のいななきが響いたのは、とある梅雨の晴れ間の夕方だった。昼過ぎまでは小雨だったので温度はあまり上がっておらず、湿気で不快という状態ではなかった。
それでも地面のぬかるみはどうしようもなく、村の中心にあるダンジョンゲートから現れた二頭立ての馬車は立ち往生していた。
「しょうがない、ここで荷下ろしだ」
御者台からよっこいしょと降りた男が周囲に告げる。
恰幅のいい体を、古びた外套に包んだその男が行商人であった。
男の声に後ろから馬車を押していた3人は手を放してしゃがみ込む。
そのうちの一人、年かさのひげ面の男が商人に返す。
「俺たちゃ荷下ろしは請け負ってないですぜ」
「ああ、村の人にお願いするよ。ナオ、悪いが商売の担当者を呼んできてくれないか?」
「あ、はい……いや、向こうから来ましたよ」
三人のうちで一番若いのがこの村の出身であるナオだ。一応ダンジョンに入る仕事をしているから探索者には分類されるのだが、実のところ戦うのはうまくない。
15歳でゴローに連れられてダンジョンデビューしたのだが、フロアのボスどころかその二枚落ちぐらいの敵にこっぴどくやられてくじけてしまった。
「いつか深層に」という当初の意気込みと反して、今では行商の護衛として通り道であるフロア外周部の雑魚を相手するだけとなってしまった。
しがらみの少ないシンオオサカで、今の仲間と巡り合い、仕事としては問題なく生活できるぐらいにはなったのだが、自分が3人の中で一番弱いということに引け目を感じていた。
腰が低く、なおかつこの村の出身でもあるナオが商人からいろいろ頼まれるのは当然だった。
彼らを出迎えにやって来たのはユーディスだった。ナオにとっては村で一番親しく、シンオオサカ行きの時にもアドバイスをもらっていた。
「久しぶり」
「はい、お久しぶりです。いきなりで悪いんですけど馬車が動けないので荷下ろしに人を出してもらえませんか」
「ああ、任せといて。村長への連絡は……ナオくんが?」
「僕は荷物の番をしないといけないので、また後で改めて」
「……久しぶりなんだからちゃんと顔を見せないといけないよ」
「ええ」
ナオは村長サミーの息子だ。家を飛び出した身としては両親と顔を合わせにくい。
別に仲たがいをしているというわけではないし、顔を出せば歓迎してもらえるのは分かっているが、それでも抵抗があるのは確かだ。
「あ、馬はどうしましょう」
「それも人を頼んでおくよ」
「ありがとうございます」
そして村に着いた行商人一行はバラバラに村に散った。
共有倉庫にはナオが、行商人は村長の家に挨拶をしに向かう。ナオの仲間の二人は特に何の仕事をするでもなく匂いにつられて食堂に直行した。
◇
「これどうですか?」
「ああ、ここか、ちょっと商品にするのはまずいかもな。脇によけといてくれや」
「はーい」
この日、ハナちゃんは村はずれにいた。
馬のいななきが遠くから聞こえた時はちょうど燻製肉が痛んでいないか確認する作業を手伝っていた。
季節的に積極的に獲物を狩っているわけではないが、なぜか畑に侵入する鹿や猪が多かったため、たくさんの肉を処理する必要があった。
長期保存のため干し肉にしたいが、量が多いことに加えて梅雨入りが予想外に早く、このままでは腐らせるだけだということで急遽人手を集めて燻製にしたのだ。
ちょうどタイミングよく行商がやってくるということで、村で消費しきれない分を売るために袋詰めをしているところだった。
「やれやれ、何とか夕食には間に合いそうだな」
「行商が来たからには酒が飲めるかもな」
「さすがにさっきの今じゃ食堂にゃ入ってないんじゃねえか?」
「かーっ、それじゃ明日までお預けか」
「なんせ二か月ぶりだからなあ」
「酒が二か月飲めなかったみたいな言い方すんなよ。大げさな」
「そりゃあんたは家に隠し持ってるからいいんだろうさ」
「悔しかったら無駄づかいしないで金を貯めたらどうだ? これから一か月禁酒するとか」
「そりゃ勘弁だ……よし、来月だ。来月から俺はお金を貯める」
「へへ、せいぜいがんばりな」
少女には教育上よろしくないダメなおっさん達の会話を聞き流しながら、ハナちゃんは黙々と手を動かしていた。名誉のために書いておくとおっさん達もしゃべりながら手際よく作業を続けていた。
そこに、普段は農業をしている村人が走りこんでくる。
「おーい、人手が必要なんだ。行商の馬車がぬかるみにつかまって人手で荷物を運ぶことになったんで、手が空いている奴は来てくれねえか」
「そういうことなら、こっちはいったんしまいにするか。外に出している分はじいちゃんと……ハナちゃんで小屋に入れといてくれるか? 後の連中は手伝いに行くぞ」
「あたしは力持ちだよ?」
「……はは、そりゃそうだけど、馬車の荷台は高いし、足元も悪くて滑りやすいからどっしりした大人に任せておきな」
「……うん、わかった」
確かにどっしりはしていないハナちゃんと、老狩人が残って後片付けをする。小屋の中に入ると積まれた毛皮の臭いが鼻につく。
外に出してある燻製肉や木箱などを片付けて、老狩人が戸締りをして二人は村の中央まで戻った。
◇
食堂ではしばらく嗅ぐことのなかったアルコールの臭いが漂っていた。
ハナちゃんは店にいる客の顔を確認して、タイキやエリザベスがいないのを確認すると、いつもの隅っこにいるユーディスの元に行った。
「お酒もう出したの?」
「あいつらだよ」
ユーディスは視線だけであるテーブルを示す。
そこには村で見覚えのない二人が四人掛けのテーブルを占拠して酒を飲んでいる姿があった。だらしなく座って、テーブルの上に料理を並べ、木製のジョッキもたくさん並べられている。何がおかしいのか大声で笑い、周囲のことをまるで気にすることもないような態度で酔っ払っている。
周囲の村人は、当然白い目で見ており、普段は談笑して陽気な雰囲気の食堂は、一転して険悪な雰囲気に支配されていた。
「気にしちゃだめよ、どうせ明後日には出ていくんだから」
注文する前にハナちゃんの分の料理を持ってきたニルがささやく。普段ハナちゃんはうるさい注文はせず「余ってるもので適当に」と頼むのだが、それでも「これ食べられる?」とか「おいしい野菜入ったのよ」とか少しはやり取りがあるのが普通だった。
この状況をハナちゃんにあまり見せたくない、関わらせたくないという気持ちで、さっさと料理を持ってきたのだった。
厨房に戻っていくニルにお礼を言って食べ始めるハナちゃん。気になったことをユーディスに聞いてみた。
「他の人はお酒飲んでないみたいだけど……」
「あいつらが強引に共同倉庫の樽を持ち出したんだ。一応こっそり村長には伝えておいたが向こうでも夕食中でね。一緒に食事していたナオくんと商人さんの間が気まずそうだったよ」
「そのナオさん……から言ってもらえないのかな?」
「うーん、そこは力関係があって彼は立場が弱いらしい。それに、タダで飲み食いしているわけじゃないからね」
最初に一万円銀貨を倉庫から持ち出した酒樽と一緒に置いたらしい。樽全部を飲まなければ超過することは無いだろう。
「それでも、みんな楽しみにしてたのにな……」
狩猟小屋での会話を思い出しながらハナちゃんはつぶやいた。一台の馬車で持ち込める酒の量なんて決まっている。証人としても村でひと月に消費される量を想定して持ち込んでいるのだから、護衛の二人が飲んだ分は村人に回らない。
「他の人に護衛を頼んじゃダメなの?」
「あの二人はナオと固定で組んでいるからね。彼らを外すとナオもこの村に来なくなる。そのことは村長夫妻にとって受け入れられないんじゃないかな」
「何で村長?」
「ああ、ナオくんは村長の息子さんなんだよ」
「そうなんだ」
ハナちゃんにとってはその情報は初耳だった。
ちょうどその時、「きゃっ」という悲鳴があがった。
振り返ったハナちゃんの目に映っていたのは、こめかみを抑えてうずくまるリノという村の若い娘だった。頭はずぶぬれだった。話に興が乗った酔っ払いがジョッキを振り回したときにすっぽ抜けて、隣のテーブルの彼女に当たったのだ。
周りの村人が唖然としている中、頭を押さえた彼女の指の間からツーっと血が流れていく。
それを見たハナちゃんは思わず叫んでしまった。
「ちょっと、何やってんのよ、この酔っ払い」
その言葉に、再び皆は凍り付いた。
「……だめだ、だめだよ、ハナちゃん」
後ろでユーディスが小声で言うも、ハナちゃんはそのままずかずかと酔っ払いたちのテーブルに近づく。一瞬固まった彼らだったが、声を発したのは小さな少女であることがわかるとヘラヘラと笑い出した。
「事故だよ、事故、手が滑っただけだ。悪かったね、お嬢ちゃん。ほら、これでゆるしてくれよ」
そういって男は懐をごそごそやって、銀貨を一枚取り出してリノの前のテーブルに放り投げた。銀貨はまだテーブルを跳ねて、食べかけのスープの中に飛び込んだ。
ハナちゃんはそれを見て一層頭に血が上った。
「ちゃんと、謝れ!」
そのまま男にパンチを叩きこもうとしたが、その腕は後ろからの力強い手に抑えられる。振り返るとタイキだった。
しばらく振りほどこうと力を入れるが、現役探索者で前衛のタイキの腕力で抑えられたハナちゃんの腕はびくともしなかった。
いつの間にか声の男たちは退散していた。
村人に呼ばれてパイ爺がやってきて、リノの手当てをしている。
ハナちゃんは力を抜き、拳を解いて下を向いた。
気が付くと、ハナちゃんの体はエリザベスに抱きしめられていた。
「ハナちゃんが先頭に立つ必要はなかったのよ」
「でも……」
「確かに許せないわよね。でも、まずは大人に任せておけばいいのよ。ちょっとタイミングが悪かっただけで、必ず誰かが文句を言いに行ったわ」
「でも……村の人は商人さんとの関係とかあるから言いにくいかなって」
そこで初めてエリザベスはハナちゃんが何を考えていたのかを理解する。
村の人は今後の関係があるから言いにくい、でも村の人でない彼女が文句を言うのは問題ないということだ。
「違う……」
「ハナちゃんは村の子だ」
エリザベスの言いかけた言葉をタイキがはっきりと口にする。
「そうだよな?」
ここまで、酔っ払いがいなくなってからも声を潜めていた食堂の村人たちは、タイキの言葉に、「あ、ああ、ハナちゃんは仲間だ」「ハナちゃんなしじゃ仕事が回らねえよ」など、賛同の声をあげる。
こんなことがなかったとしても、徐々にハナちゃんは村に受け入れられてきたし、これからも徐々に村の一員になっていくだろう。
この事件は悲しいことだったが、一方ではっきりとこの瞬間、ハナちゃんは村の一員として認められた。
「あ、ありがとう、みんな」
気づかないうちに涙をこぼしていたハナちゃんの方も、自分が確かに村の一員だということを認めていた。
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