第10話 雨のモリノミヤ
精霊術が使えるようになってから2週間ほどが過ぎたころ、ハナちゃんは傘をさして食堂から家に向かっていた。
モリノミヤ村は今梅雨に突入していた。超樹海の中は隣村でさえ天気どころか気候も違うということが起こりうる。梅雨がある村もあれば毎日スコールがある村もある。乾燥地帯で、雨が少ないにもかかわらずそれでも大きな木やサボテンや林立している地方もある。どの村や町でも超樹海の復元力は人々を悩ませているが、天候にまではその復元力は及ばないらしい。
雨が続くので、農作業は休みにはならないものの力仕事は減り、このところハナちゃんの出番はなかった。その分食堂の掃除が泥汚れのせいで面倒になったが、ハナちゃんのしょぼい精霊術がここで役に立った。
どうやら、一度一度は少量だが、総量は限度がわからないぐらいなのだ。だから、共同浴場の湯船だって、多分三日三晩休みなく注ぎ続ければ満たすことができるだろう。
それは現実的ではないとしても、尽きることのない水というのは掃除のときには便利だった。乾いた泥を濡らして拭くことができるし、ぞうきんを濡らしたままにできる。
パイソンやタイキ、エリザベスに教えてもらうのは終了した。
ひとまず村人としてやっていくのに問題ないぐらいの常識は得られたとパイソンは判断し、タイキたちはダンジョンの仕事に戻った。
ダンジョンから得られるのはアンカーのほかに鉱物を中心にした資源があって、村にとって探索者がダンジョンに潜るのは重要なことだ。
村出身のタイキが結婚を機に定住という形なのは、探索者を確保しなくてはいけない村にとってはラッキーで、事情が違えば招くのに大金が動いたことだろう。
それでも彼に対して気を使っているのか、梅雨が明けたタイミングで、夫婦用の新居が村の負担で建てられることになっていた。
「一緒に住まない?」とハナちゃんにも聞いてきたが、新婚のお宅に紛れ込むのが良くないということぐらいは知っていたし、一緒にいたタイキの雰囲気が凍り付いたのを見て、丁重にお断りした。「そう……まあ考えといてね」とエリザベスはあきらめていないようだったが……
二人の新居に住むことはあり得ないとして、そうすると今の宿舎にハナちゃんが一人になってしまう。
食事はお手伝いで食べさせてもらっているし、入浴は共同浴場で入れる。一人になっても生活自体はできるのだが……
――ずっとこのまま、ってわけにもいかないよね
幸い周りの人は親切だし、嫌な思いをしたことは無いが、それはパイ爺、ニルなどの村の中心人物が目を光らせているかもしれない。
――普通に考えたら、やっぱり村のお荷物だもんね。きっと面白くない人もいるんだろうなあ
この村は運営がうまくいっているので、実はそこまで負担ではない。他の村や樹海の外では5歳や6歳から親の手伝いや下働きに出ないとやっていけないこともあるが、この村では10歳ぐらいから親の手伝いをするのが普通で、それまでは子供同士で遊びまわっている。
説明が面倒だということもあって、ハナちゃんの年齢を体格通りの6歳ぐらいだと誤解している村人も多く、そういう意味で彼女がフラフラしていても白い目で見られるということはなかった。
――最近やっと変化も進歩したし……思ったのとはちょっと違ったけど……
本当なら服や下着ごと変化か尻尾を消して変化が希望だったが、なぜか女の子形態に変化したときに一緒に腹巻きを巻いて変化できるようになったのだ。
したがって変化した瞬間、タヌキ耳タヌキ尻尾腹巻きオンリー全裸少女が誕生することになった。残念なことに耳と尻尾はまだ消せない。
――それでも、初めて服が出せた
腹巻きの有り無しは選べるので、これから暑くなるのに腹巻き標準装備という惨劇は回避された。それでもタヌキ形態よりは暑くないだろうから、消せなくても少女形態を選んだろうけれども。
ちなみにおっちゃんが巻いているようならくだの腹巻きだった。次の機会にはらくだのももひきが装備されるのかもしれない。
それでもハナちゃんとしては、
「次こそパンツだ」
とやる気を出すのだった。
「何がパンツ?」
聞かれているのは想定外だった。雨音で周囲の様子がわからなかったのもある。
「あ、いや、変身の……時に、一緒に出せたらいいなあ、と」
「そういうことか、パイソンさんはすごいよねえ、なんか浴衣や着物や、ダウンジャケットを着て変化したのも見たことがある」
「へえ、ユーさんはおじいさんと仲良しなんですね」
「仲良しっていうのは恐れ多いなあ。ほら、あの人はずっと昔からいらっしゃるからね。職場が隣だからよく会うだけだよ」
「そうなんですね、あれ? 今は仕事はいいんですか?」
ユー、ことユーディスは村にとって重要な仕事をしている。タイキと同じ世代だそうで、そのことをとっかかりにハナちゃんも話をするようになった。
「ああ、定期通信は朝夕で、追加の通信があるときはその時にスケジュールを決めておくから、残りの時間は報告書の作成がほとんどさ。肩が凝るから休憩を挟まないとね」
「それで散歩ですか、こんな雨の中を?」
「雨は好きだからね。普段閉じこもりっきりだからどうにも不健康でね」
ユーディスの仕事は村の通信士だ。免許を取るのにシンオオサカで過ごしていたこともあって、モリノミヤ村の他の面々とはちょっと毛色が違う。食堂で食事をするときも隅っこでおとなしくしている。独身だが、農作業をしている両親とは離れて一人暮らしをしていて、食堂は昼のみの利用で朝夕は自炊をしている。
超樹海の通信事情はあまりよくない。
ケーブルを渡すには遠いし、無線通信ですら距離が長すぎて種類を選ぶ。到達距離と設備の規模の兼ね合いで、短波通信が主流だ。
ユーディスがシンオオサカに行った時には町中でラジオ放送なるものが存在していることに驚いたほどだ。当然、その電波はシンオオサカ最寄りのシモシンジョ村にすら届いていない。
モリノミヤ村は、シンオオサカのとある民間の通信局と契約をしていて、毎日最新のニュースを受け取っている。全方位に放送していたのでは電波が届かないので、指向性を絞ってシンオオサカと一対一にしないと通信できない。受け取るだけでなく送信もする。何せ小さい村なので内容が少ないのだが、まれに向こうから近隣のダンジョンの様子や森の様子、村の天候について問われることもある。
そういう時は、朝にリクエストされたことを日中に調べて、村長に確認をとってから夕方に送信する。そんな仕事をしているので、村で一番の事情通はこの若者ということになる。
「そういえば……」
別れ際にユーディスがこんなことを言い出した。
「……2、3日後に行商の人がこの村にやってくるんだけど」
「え、そういうのあるんですか?」
「バタバタしていたから村の方で断っていたんだけど、普段は月に一回は来るよ」
村の中でも食堂、雑貨屋を中心に貨幣は回っている。他には朝に市が開かれており作物を広場でやり取りしているが、こっちは物々交換や労働力を対価にすることも多い。
それでも外から仕入れなければいけないものがある以上、何かを輸出しないと貨幣の蓄えは減っていくばかりだ。そんなわけで行商が来た時には買うものだけでなく売るものも村で準備する。
シンオオサカとモリノミヤの間は、ウメチカを魔物を蹴散らしながら移動するしかない。ルートを選べば手に負えない強さの魔物は避けられるとしても、護衛にも費用がかかる。
「行商って儲かるんですかね?」
「護衛を自分で雇っていたら赤字だろうね。だからうちみたいな小さな村は護衛を村から出すことで行商に来てもらっている立場だ。で、ハナちゃんに関係あるんだけど、そういう護衛の人がハナちゃんの住んでいる宿舎に来るかもしれない」
「シンオオサカの人ですか?」
「村から今向こうに一人、ナオくんがいるけど、一人では護衛にならないし、いつもチームを組んでいる何人かで来るだろうね。ただ……」
「何か気になることでも?」
「前に来た時、ナオくんの仲間があんまりいい感じじゃなかったんだよね。なんか見下しているというか横柄で、食堂での態度も良くなかった。ゴローさんがいたから表面上はおとなしくしていたみたいだけど、今は留守だからね」
村で一番の冒険者としてハナちゃんも何度か名前を聞いたゴローさん。長期で村を離れているらしい。
「宿舎にはタイキやエリザベスさんもいるから大丈夫だと思うけど、ちょっと気をつけておいてね。こっちでもみんなに注意を促しておくから」
「……わかりました」
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