第8話 いろいろ気になってしまう

「恩恵……ってなんかいいことがあるとか」

「ああ、とってもいいことがあるんだ。まず、超樹海って切り開けねえって知ってるか?」

「うん、おじいちゃんに聞いた」

「そう、外の国がどんなに力を入れてやってもこの超樹海をどうにもできなかった。少なくとも人間の力や技術ではどうしようもなかった。けど、超迷宮へのゲートを固定化した場所は、迷宮内の力が漏れ出しているらしく、切り開くことも魔獣の立ち入りを抑えることもできることが分かった」

「あ、それで村が丸いのかあ」

「そう、ゲートを中心におよそ半径300mの円形が『一層一面』の迷宮を固定化した場合の『村』の範囲だ。その範囲内だったら比較的安全に畑仕事もできるし、家を建てても魔獣に襲われる心配がない」

「じゃあオーサカの村や町って必ずダンジョンがあるの?」

「むしろダンジョンが無いと小さな集落すら維持できないな。安全地帯の話もあるし、他の村や町との往来のことも含めて……」


 東西4500km、南北2900kmの超樹海に、100に満たない町や村ということは、およそ350km四方に一つ、ということだ。最短でも数百kmの森林を移動するのは現実的ではない。

 これはハナちゃんだけじゃなくタイキやエリザベスも直接は知らないことだが、そもそも樹海の開拓自体がダンジョンを通して行われており、かつては村を開こうとして失敗したダンジョンの出口が樹海には結構残されている。

 それらは結局維持できずに放棄されて、今は森に飲み込まれたわずかな残骸が残っているだけだが、そうした試行錯誤を繰り返して結局今の100弱という状況に落ち着いたのだ。


「……とまあ、いろいろ話してきたが、今日はこれぐらいにしとくか。大きくならねえとダンジョンに連れて行くわけにゃいかねえが、将来探索者になるのもいいんじゃねえか? 無理しなけりゃそれなりに安全で結構稼げるぜ」


 その単語に、思わずハナちゃんは反応してしまった。


「……そうですよね、稼いで皆さんに恩返ししないと……」


 予想外なその言葉に、タイキも、エリザベスも次の言葉が出なかった。しばらくの沈黙が場を支配する。目の前の少女はいい子なのは話していてわかっていた。だけど、こんなタイミングでこんなことを言うような責任感、いや引け目か、を感じているとは思ってはいなかった。

 しばしの沈黙の後、タイキが口を開いた。


「あー、うん……けどな、それは今じゃねえ。大きくなるまではみんなの世話になっとけ。恩なんてのは小さく借りて小さく返すより、大きく借りて大きく返す方がお互いにとっていい関係だぜ。大事なのは返そうとする気持ちだ」

「……そう、なんですかね」


 ハナちゃんの前世は両親、お医者さんなどに優しくされてばっかりの人生だった。そうしてもらって当然、とまでは思ったりしなかったが、自分から恩返しを考えるほど体にも心にも余裕がなかった。

 そのことは、今こうなってから、ハナちゃんの心に残っていた罪悪感だ。恩返ししたくてももう前世の人たちには何もできない。もどかしい気持ちがとげのように心のどこかに残っていたのだ。

 口をついて出た言葉は、せっかく親切にしてくれるタイキやエリザベスの思惑とは外れるものかもしれなかった。それでも、ハナちゃんは口に出さざるを得なかった。


「……それでも、私はもう今の段階で借りが多過ぎです。何か、小さなことでもいい、できることがあったら言ってください」

「多分……前世がらみのことよね。そこらへんは私たちにはわからないけど……いいわ、何か考えておく」

「おい、エリー」

「ほら、こういうのは気持ちの問題よ。能力の問題じゃない。出来る出来ないよりやりたいかどうかよ」


 エリザベスのその言葉を最後に、この日の勉強は締めくくられることになった。



 なんか妙な感じになってしまったダンジョンのお勉強のあと、ハナちゃんはリルちゃんの元を訪れていた。店番をしていたが、それほど忙しそうでもなかったので、ハナちゃんは雑貨屋の奥でおしゃべりすることにした。


「いろいろと、複雑なのねえ」


 一通り話を聞いたリルちゃんの感想だ。

 食堂の娘、リルちゃんとはすぐに仲良くなれた。ちょうどハナちゃんといい感じに話が合うのだ。というより、他の子どもたちはハナちゃんにとって年が離れ過ぎていたり、年が近くても幼稚だったりして大人びた11歳にはつらい。

 他に話が合う村の人というと、それこそもう大人一歩手前ぐらいで猟や畑の見習いをしていて忙しい。リルちゃんも雑貨屋の店番という形で手伝いをしていて、そういう意味では大人に近いかもしれない。

 基本的には客が少なく、ほとんど座っているだけだが、それでも彼女が代わることで、午後に母が休む時間をとることができる。ちゃんと役には立っているのだ。それに大人とよく話し、代金やおつりを計算し、金銭のやり取りをする経験は彼女を他の子供たちより精神的に成長させていた。


――体も成長しすぎじゃないかな?


 実はハナちゃんの方が背が低い。このままでは成長期の訪れとともに、逆転どころか、差を広げられかねない。何とかならないものか、ハナちゃんがそう思案する横で、お客がやってきて、リルちゃんが応対する。


「ああ、ロープもらえるか? 屋外用の」

「はい、何mほどいります?」

「えっと、100m巻きがあれば1つ」

「じゃあこれかな、屋外用の……えっと、力はかかります?」

「あ、仕切りロープの張替えだからそれはいい」

「それならこれかな。細いけど麻だから外でも使えるし……100m巻きなら他のはちょっと高くなるし」

「ああ、それでいい」

「それじゃ2000円です」

「はいよ、っとちょっと家まで取りに帰るよ」


――すごい、ちゃんと仕事できている。


 ハナちゃんは戦慄した。自分自身は前世でリルちゃんほどの社会経験もない。それはしょうがないことだったけれども、現時点ではこの幼い友人にあらゆる点で負けている。勝負しているわけじゃないが……


「それでも、なんか……くやしいな」


 自然と出てしまうつぶやき。それを、どちらかというと聞き流す感じでリルちゃんは店の奥のテーブルに座ったハナちゃんの前に座ると、出してあったイコマ名物鹿せんべいを一枚口に運んだ。鹿肉は1%未満なので肉の味はしない、普通の甘いせんべいだ。


「急がなくっても、いいんじゃないかな」


 察しのいい7歳児に再び戦慄しながら、ハナちゃんは問う。


「やっぱり、リルちゃんもそう思う?」

「うん、特にあたしは、ほら、お母さんがああだから……」


 村の中で一番忙しいのは間違いなくニルだ。ただでさえ利用者の多い食堂を一人でやっていて、店番は娘に任せているとはいえ雑貨屋の仕入れや売り上げの管理もやっている。旦那さんは……理由は聞いていないが今いないということは、そういうことなのだろうとハナちゃんは思っていた。

 ハナちゃん自身にだって人に聞かれたくないことぐらいある。相撲を見に行ってアルプス一万尺落としの巻き添えを食らって亡くなった前世の祖父のこととか……

 ともかく多忙で頑張りすぎてしまうニルのことは周囲の村人の心配の種であった。幸い今まで大きな病気や不調はなかったが、このままではいつか体を壊すのではないかと心配されていた。


「だから、なるべくあたしが注意してないと、それでもね……」

「休めと言っても聞いてくれないんだっけ」

「そう。食堂だけは絶対にって……」

「私たちが手伝えればいいんだけどね」


 そう申し出たのだが、体の小さな二人では料理を運ぶことも皿洗いも厳しいという判断で、ニルは申し出を断っていた。


「本人がいいっていうんだからしょうがないよ」

「そうすると、やっぱり元の姿で力仕事かなあ」

「まだちょっと慣れない人もいるみたいけど、それがいいかもね」


 さっきのお客が帰って来たので、ハナちゃんは別れを告げて雑貨屋を離れる。



 初日と違ってすでに村で過ごすのも4日目、元の姿でいても声をかけてくる大人も、撫でてくる子供もいた。

 大人は田や畑で仕事をしているものが多いので撫でるのは遠慮しているようだった。子供は遠慮なく撫でてくるが、野遊びをしている彼らの手も実際には汚れていた。

 本当は、しゃべれないし体が汚れるのも嫌だったので、なるべく少女の姿でいたいハナちゃんだったが、皆に慣れてもらった方がいいということで、夕方の涼しくなってから元の姿で散歩するようにしていた。夕方だったら汚れても風呂に入れば問題ない。

 電力は太陽光発電に頼っているこの村では、各家に水道や湯沸かし器があるわけではないが、数人いる精霊術使いの力を借りた公衆浴場があった。特に今は探索者として活動できるほどのエリザベスがいるので、週3だった公衆浴場は毎日開かれることになっていた。


「いつまでも、というわけにはいかないのよね。私もダンジョンに潜らないといけないから」

「がう」


 二人、いや一人と一匹が湯船につかるのは最後だった。なにせハナちゃんの元の姿は体積が大きいので、浴槽のお湯がかなりこぼれてしまう。強力な精霊術師であるエリザベスが最後の掃除も担当することで、この毎日浴場は維持できている。


「でも、ハナちゃんも女の子の姿だったらみんなと一緒に入れたのに、いいの? こんな時間で」


 すでに外は暗く、人によってはすでに夢の中だ。なお、早起きのイメージがあるジジイではあるがパイは蛇なので夜行性だ。毎日夜遅くまで酒を飲んでいるに違いない。

 エリザベスの言葉を聞いたハナちゃんは洗面器に浮かべてある葉っぱをとって変化する。


「でも、なんかこっちの体できれいになっても……何というか……まだ汚れが残ってる感じがして、うまく言えないけど、元の姿の方がいい感じする」

「そういうものかしらねえ」


 エリザベスは全身毛の塊ではないから共感できない。


「でもいいんじゃない? せっかくきれいな毛並みなんだから、おしゃれの一環としてそれを維持するのもいいと思うわ」

「そうですよね」


 ハナちゃんは浴槽に入って頭の葉っぱ飾りを指ではじき、変化を解除する。ざばあっと浴槽からあふれる湯に二つに避けた葉っぱが押し出されて一緒に流れていった。

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