1‐2《ワン・ツー》

「おほ、すげえ。人工芝オムニコートが四面もある!」

 五月の頭、土曜の朝の八時半。ペンキのまだ新しい金網に囲まれたグリーンのテニスコートを前に、ついさっきまで眠そうにしていた日呂美が、ぱっと目を開いてはしゃぐ。

 六時に集合した淵野辺駅から横浜線、京王線と乗り継ぎ、さらに路線バスで十五分。新緑あふれる高級住宅街、その真ん中に広がる私立学園の規模に、三年生以外の部員たちは圧倒され、また緊張していた。

「そっか、ヒロちゃんは初めてだっけ。第一箱崎ヒトハコに来るの」

 多恵香と日呂美はラケットバッグ、素子は武骨な強化樹脂製プロテクトケースを手に提げている。身代金の運び屋みたいだな。道中で日呂美がちょくちょく茶化していた。

「そうだよ。コーチって基本、他校に行く時は三年の先輩たちしか連れて行かないじゃん。実際総体のテニスのレベルがどんなもんか、ずっと見たかったのにさ」

 学校法人箱崎学園、第一箱崎高校附属中学校。戦後すぐに開設した箱崎外国語専門学校を前身とし、理事長の代替わりと同時に高等学校とその附属中学校に組織変更。全国の私立中学の中でもいち早くスポーツコース入学を導入し、あらゆる種目で関東クラス、全国レベルに通じる選手を輩出している、絵に描いたようなスポーツ名門校だ。

「ようやくトリプルスの試合がお披露目できるできるね。腕が……おっ、ほら!」


 ガぅ――ん、ぱぁん、ばぎゅぅぅう……ン!


 すでに奥のコートでは、トリオ同士で打ち合いを始めている。多恵香が見る限り、片方のトリオは三人とも第一箱崎ヒトハコのテニスウェア。奥側のトリオのガンマンひとりだけ、素子が初日に着ていたのとよく似た、ガンマン用のベルト付きウェアだ。

 多恵香たちはひと時足を止め、彼女らのラリーを見る。番地に見せられた社会人大会のビデオVHS以外では、トリプルスの打ち合いを目にするのはこれが初めてだ。どちらのトリオも、左右で後衛のいない方をガンマンがフォローするようなフォーメーションを組んでいる。

 ロブを追って後衛が右へ走れば、ガンマンはそれを避けて左へ走る。後衛のストロークに横から銃弾を合わせて、球の軌道を変える狙いなのだろう。銃を構え、撃つ。だが銃弾ははずれたのか、球の軌道は変わらないまま向こうへ返る。待ち受けていた後衛も、ひるむことなく再び後衛へ打ち返す。

 多恵香と日呂美は顔を見合わせ、無言でうんとうなずく。一週間そこそこの日数ではあったが、素子の教えを元に練習した自分たちの動きと、大きな差はない。そう確かめあう。基本は今まで通りのダブルスのテニスなのだ。ラリーにガンマンが介入してくる割合は高くはなく、ここぞという時の不意ちで球のコースを変える、あるいはストロークを相殺してのチャンスメイク。それがガンマンの基本的な役割だという二人の理解は、どうやら間違ってはいないようだ。

「ていうかさ、加辺中うちにガンマンがもとちゃん一人しかいないから、おわっ……い、今まで考えてなかったけど」

 銃声が上がるたび、多恵香と日呂美はそろってひゃっと首をひっこめながら話す。

「う、うん。相手のガンマンも、こっち狙ってくるってことだよね……」

 素子だけが平然と、ショットや射撃シュートが決まるごとに、訳知り顔でにやにや笑っている。

「さすがに故意にプレイヤーを狙うのはジャッジに引っかかるよ。あくまで撃つのはボール。ガンマンにはそこの判断力も必要なんだよね……っと、ほら見て」

 手前の後衛が、サイドラインすれすれのストレートを打ち込む。高めだが、鋭くかかったトップスピンで球速は遅くはない。奥側の前衛がラケットを伸ばすも、数センチの高さでボールには届かない。だがその先に、ウェアの違うあのガンマンが滑り込み、


 がぎゅぅゥ――ン!


 肘で地面をこするような低い姿勢でマグナムを撃つ。下から弾丸に持ち上げられたボールは、空中で角度を急に変えて、前衛の頭を越えて高く浮く。素早く体勢を持ち直した前衛が、真横に殴りつけるようなスマッシュを真正面に打ち返す。ベースライン際で鋭く跳ねたそのボールは、多恵香達の目の前までぎゅんと迫る。たじろいだ二人の目の前で、ボールはかしん、と音を立てて、ちょうど金網の目にはまり込む。

 おはようございます! 見ていたこちらに気付いたその六人は、一も二もなくまず覇気のある挨拶をぶつけてくる。負けじと三人もネットから一歩離れ、頭を下げながら声を上げる。よ、宜しくお願いします!

 と、練習を再開する第一箱崎ヒトハコの生徒を見て、多恵香が思い出したようにあっと声を上げる。

「たえ先輩、どしたの?」

「奥の二人、四ツ頭よつがしら春地はるちペアだ。うわあ……」

「なに、強いの?」

第一箱崎ヒトハコの、一番手。え、ちょっと……まさか、トリプルスに一番手ぶつけてくるなんて……」

 ひとり言のように多恵香。そんな彼女たちの話し声が届いたのか、当の向こうのトリオが二、三何事か話したかと思うと、ウェアの違うそのガンマンだけが、ひとりこちらへ小走りでやってくる。

「ああ、やっぱり、三團さん」

 厚みのある長い黒髪と、据わった吊り目。ハスキーな声。今まで感じたことのない独特な空気をまとった彼女に、多恵香は少し気圧される。呼ばれた当の素子は「おー!」と嬉しそうに声を上げ、

「あとちゃんだー、久しぶり! 今年は第一箱崎ヒトハコに来てたんだね」

 多恵香たちにするのと変わらず親し気に、彼女に笑いかける。

「いえ、ここの三年に編入しました。総体連の準特待生より、ここのスカウトのほうが条件が良かったんで」

「えっ、まじで! 新レギュレーションにも抜かりなしってことか。さすが名門校」

「ええ、もう高校生のソフトテニス部とも練習しています。私が教えるガンマン候補の部員も追加募集しているので、トリプルスでもじきに強豪校って呼ばれるでしょうね」

 あとちゃんと呼ばれたそのガンマンは、口調こそ丁寧ではあるものの、少し鼻につくものを多恵香は感じた。日呂美とはまた違ったタイプの、勝気な性格なのだろう。それとも素子に対して何か、並ならぬ感情や因縁を抱いているのだろうか。

 そんな彼女が匂わせる何かを、相対する素子自身は少なからず知っているのだろう。その上でなお、ひるんだり態度を変えることもせず、

「ふふん、でも今回は勝たせないよ。い・ち・ごちゃん?」

 余裕の口ぶりで彼女のファーストネームらしき名前を呼ぶ。苺ちゃん? 呼ばれた彼女は一瞬だけかっと顔を赤くし、ふいと背中を向けて仲間の元へ去っていく。見た目と口調から思いもしなかったかわいらしい名前に、多恵香と日呂美は思わず目を丸くする。

安登岩苺あといわいちごちゃん。私と同じ特待生の後輩で、いろんな中学を回ってたガンマンなんだけどさ、コトあるごとにああやってつっかかってくるから、かわいいんだよねえ」

 固まっていた多恵香たちに、素子はさらりと紹介する。ただごとでない敵対心をかもし出していたその苺ちゃんに比べて、素子のあくまで自然体なこと。

「やっぱアレかな? もとちゃんの宿命のライバルってやつ」

「ああ、そうかも。荒野の決闘ならぬコートの決闘」

「そうそう、あの丸い草みたいなやつ転がって来てさ!」

「いやいやいや。ヒロちゃんもたえちゃんも、なんでそんな楽しそうなの」

 多恵香が思い出したのは、父の趣味の西部劇映画。きっとそれと同じような映像が、やはり日呂美にも浮かんでいるのだろう。イメージの共有ができるような仲になれたことをうれしく思いながら、招かれた全校の合流場所であるグランドへ向かって再び歩き出す。番地の自家用ライトバンで先行した利佳子たち三年生は、既にグランドでウォームアップを始めているはずだ。と、

「まあ、その、なんだ」

 少し早足になった多恵香と日呂美の後ろから、素子が口を開く。

「特待生の席だってそう多いわけじゃないから、どうしても取り合いって起きるんだよね。それにほら、やっぱりこう、お金の絡むことだから、さ」

 後ろを振り返り、練習を続ける安登岩の方に目をやりながら、素子はぽそぽそと話す。珍しく口ごもる素子に、多恵香も日呂美もどう返せばいいか、思いつかない。サンバイザーでわずかに陰った素子の表情が気になったまま、多恵香たちは広大なグランドにたどり着いた。

「おほう!」

 再び日呂美が嬉しそうな声を上げる。加辺中カベチューの三倍はあろう広いグランド全体に、招待された各校がテニスコートを組み立てている。地面に打った杭とワイヤーで支柱を支え、ネットを張る。その数、二十以上。コート同士の間隔も十分広く取られ、服装の違う他校同士の部員が協力し、ボール止めの衝立ついたてを運んで次々に設置している。

「お前らトリオ、ちょっと遅いぞ!」

 先に多恵香たちに気付いた番地が声を張る。着替えや荷物置き場の確保も済んでいない利佳子たちを見るに、着いた時間はそんなに変わらないと多恵香は思ったが、

「すみません、コーチ!」

 広い空とグランドの開放感で、普段よりも大きな声で気持ちよくそう言えた。

 今までただのあまりもの・・・・・だった自分も、こんな大会にも劣らぬ規模の練習試合に、ようやく来ることができたんだ。少し前まで抱いていた、利佳子たち他の同級生への嫌な気持ちも、もうほとんど残っていないみたいだ。多恵香はそんな自分に改めて気づいた。

 さあ、やるぞ。すでに心地よい緊張に満ち始めていた空気を吸い込んで、多恵香たちはコーチのもとへ駆けていく。


 コート設営を終えた直後の全校集合ミーティングで、第一箱崎ヒトハコの顧問らしき若い男性が、トリプルスの試合には常設コートを使うよう言い伝えた。短く、だが力強い「じゃあ今日はよろしく!」という挨拶で解散した後は、事前に配られた進行表通りの組み合わせで試合を繰り返す流れだ。

 後で行く、とコーチは言い、多恵香たちを常設コートへ送り出した。自分が先輩なのだから、と多恵香は前へ出て、普段部長の利佳子がしているように、ベンチにいた第一箱崎ヒトハコの顧問に「よろしくお願いします!」と深く頭を下げた。二人ももちろん、続いて頭を下げる。

「五校六組で二面使って、ひたすらトリプルス。いいじゃん、めったにないチャンスじゃん!」

 とりわけ気合いの入った様子の日呂美。そして、重そうなバッグからプラスチックの弾薬ケースを取り出し、おなじみのマグナムに鼻歌交じりで装填している素子。初めての形式の練習試合で緊張のほぐれない多恵香にとって、彼女たち二人は誰よりも頼もしく感じる。

 ウォームアップもそこそこに、さっそくコートに出る三人。そして対する相手三人は、公式大会でもよく見かける、別の市の公立中学校。ラケットトスでサイドを決めて、各々のポジションへ。グレーのウェアの背中には、刺繍で描かれた「堀出軟庭ほりでなんてい部」の勇ましい筆文字。

「サービスサイド堀出ほりで中学、レシーブサイド加辺穴かべあな中学。ファイブゲームマッチ・トリプルス、プレイボール!」

「さ、来ぉーい!」

 加辺中カベチュー女子ソフトテニス部で受けつがれてきた、レシーブサイドゲーム開始時の掛け声。気持ちよく揃った三人の声に、多恵香の神経が研ぎ澄まされていく。本当に久しぶりの、試合モード。

 日呂美はレフトコートで、サービスダッシュがかけられるよう身構える。素子はその数歩真後ろで、ホルスターの真上に手を浮かせて待つ。

 高く上がるトスに、多恵香は意識を集中する。相手のラケットから放たれたのは、コート外側へ向かってカーブするスライス気味のサーブ。強くはない、低いバウンドにだけ気を付けて、十分腰を落として、多恵香のフォアストロークはクロスへ伸びる。

 深い返球。後ろへつんのめった相手の後衛は、辛うじてラケットに球を引っかけて浮かばせる。ネットを越えて入りそうだ。すでに日呂美が前へ走っていたが、さすがにノーバウンドには間に合わない。相手のガンマンもベースラインから球を追って走る。少しでも球の近くで撃って当て、打球を加速させるつもりだ。

 自然とこちらを睨むマグナムの銃口。だが日呂美は身を低くしてなお前へ出る。先にトリガーを引いたのは相手のガンマン、銃声は鳴れど球の軌道は変わらない。ワンバウンドしたボールを、ラケットで下からこすりあげるように打ち返す。体勢を崩した後衛の足元をさらに狙うトップスピン。空中での球威は無いが、バウンド時に大きく前へ伸びる球種。さらに、そこへ。

「もとちゃんッ!」

「あいよ!」


 がぁァん――!


 素子の銃弾が浮いた球の上をかすめる。より強い縦回転を伴ったボールは急角度で落下し、バウンド直後にぐんと加速する。後衛は身体の中心に迫ったそれをさばき切れず、顔をそむけて避けてしまった。

「ぜ、0‐1ゼロ・ワン!」

 ベースラインへ戻る日呂美が、待っていた素子とハイタッチする。堀出中の前衛が小さく「まじかよ」とつぶやいたのを、多恵香は聞き逃さず思わずうれしくなる。日呂美と素子が練習していたコンビネーションは、相手にとって十分に脅威のようだ。

 よし、いける。三人がひとつになって得点した、初めての、確かな手応え。今度はライトコートで、日呂美が相手のサーブを待つ。

「さ、来ぉーい!」

 声を上げると、また見事に三人揃う。うれしくなってくる。そうだ、二人の攻めを支えるのが自分なんだ。高揚と緊張感を楽しむように、多恵香は軽くステップしながら2ポイント目に意識を向ける。


 4点先取の1ゲームを3ゲーム先に取ったトリオが勝利となる、ファイブゲームマッチトリプルス。奇数回ゲーム終了時にチェンジサイズ、偶数回ゲーム終了時にチェンジサービスが行われる。ガンマンの持つマグナムは六発装填のもののみと決まっていて、再装填リロードはこのチェンジサイズおよびチェンジサービス時にのみ行うことができる。つまり、1ゲーム中に使える弾丸は六発のみということだ。

 レシーブゲームを1‐4ワン・フォー0‐4ゼロ・フォー、サービスゲームを4‐2フォー・ツーで奪い、多恵香たちは堀出中に勝利した。多恵香が左右に打ち分けて後衛を振り回して崩し、日呂美がボレーで決める。そのダブルスとしてごく基本的なゲーム運びを、素子がトリッキーにアシストする。初試合ながら息の合った多恵香たちは、危なげなく3ゲームをストレートで先取したのだ。

 連携がうまくいくごとにはしゃぐ日呂美と素子だったが、それを見ながら多恵香は、特待生ガンマン三團素子の頼もしさを改めて感じていた。どのゲームでも4ポイントを取るまでに、素子がリボルバーの弾丸を六発を撃ち尽くすことは一度もなかったのだ。

 恐るべきは、その命中率の高さだ。彼女のマグナムがひとたび鳴れば、打球の挙動が必ず変わる。最初の1ゲームでそれを思い知らされた対戦相手は、その後ずっと戸惑いの中でプレイしていたように多恵香には見えていた。

 相手の後衛が打ち込んだ渾身のストレートコースを、素子がマグナムで迎え撃って真上へ上げ、その間に走って追いついた多恵香が余裕あるフォームでさらに深いストロークを返す。日呂美が前へ出る時間を稼ぐためにロブを上げれば、空中でかすめた銃弾がボールの着地点を大きくずらす。

 攻守にわたり翻弄され続けた対戦相手は、もはや自分たちの戦い方を見失っていた。加えて、向こうのガンマンはまだ撃つこと自体に慣れていない様子だった。素子の技術はもちろん、素子からトリプルスの戦術の基礎をしっかりと学んでいた多恵香たちと比べて、トリオとしての実力の差があからさまに表れた一戦だった。

「今日さ、なんかすごい、いい感じじゃね」

 まだまだ動き足りない様子でそわそわしながら、日呂美は嬉しそうに言う。

「ヒロちゃんともとちゃん、練習よりぜんぜんうまくいってるね」

「やーヒロちゃんがあんまり練習熱心だからさ、今月結構弾薬費使っちゃっ……」

「え、だ、弾薬費……?」

 耳慣れなさに聞き返した日呂美に、素子は「あ、いや」と気まずそうに目をそらす。おや、と思い多恵香は、

「えっと、やっぱりお金かかるんだよね、銃の弾って。あ、でも特待生ってことはそのへん……」

 嫌味にならないよう言葉を選びながら訊ねるが、素子は困ったようにあははと笑うばかりだ。多恵香も日呂美も、素子の様子に首をかしげ顔を見合わせはしたが、それ以上何も聞こうとはしなかった。

 多恵香はついさっき、第一箱崎ヒトハコのガンマンと会った時のことを思い出す。少しだけ素子が口にした、特待生の席の取り合いのこと。ひょっとしたら、お金の話にはあまり触れてほしくないのだろうか。だが、多恵香がそう気を使って、別の話題を探そうとしているちょうどその時に、

「相変わらずいい調子ですね、さすが特待生」

 したくない話を真っ向からふっかけてきたのは、当の第一箱崎ヒトハコのガンマン、安登岩苺あといわいちごだった。

「お互いさま……って、お、ひょっとして次の相手、あとちゃんかな?」

「ええ。そういえば、特待生交流会以来ですね、私たちが撃ちあうのは」

 朝と変わらない、安登岩の落ち着いた口調と挑むような目。ネット前ですでに待ち受けているのは、第一箱崎ヒトハコの三年生二人、四ツ頭よつがしら春地はるち。ひと試合終えてすぐのはずなのに、息ひとつ乱していない。そして。

「悪いけど、三團さん。あなたのことは私の相方たちに、しっかり話してありますから」

 それだけを言い残して、ネットの向こうへ悠々と歩いていく安登岩。

「もとちゃんのこと……?」

「へへ、怖いねえいちごちゃん。まあまあ、さっきの調子で行こ、ね」

 声の調子を上げようとするも、素子の笑顔は固い。否応なしに高まる緊張感。そうでなくとも、相手はおそらくは今県下で、いや、関東でも指折りの力を持つ三人だ。

 不安を振り払うように「よし」とひとりつぶやく多恵香。そして二人と共に、多恵香は戦いのコートへと走る。

 

「ファイブゲームマッチ・トリプルス、プレイボール!」

 さ、来ぉーい! 多恵香たち三人、声も気合いも揃って高い。サーブを打つのは名だたる第一箱崎ヒトハコ一番手の後衛、四ツ頭。どんな速いサーブを打ってくるのだろう。多恵香は普段よりサービスラインとの距離を広く取り警戒する。が。

「たえ先輩、前!」

 横からかけられた日呂美の声に、はっとなる。四ツ頭は両脚の幅スタンスを広く取り、深く腰を落とし、手刀で水平にボールを切るようなスイングでサーブを打った。アンダーカットサーブ! 多恵香は慌てて前へ走る。

 アンダーカットサーブとは、頭上から打ち下ろすようにラケットを振る一般的なサーブと異なり、腰程度の高さから打つ。その際ラケット面でボールの下をこするように打つことで、ボールに強烈な横~後ろ回転をかけてバウンドを低くし、レシーブ側に強打をさせないことを狙った球種のサーブだ。

 球速の遅いアンダーカットサーブが浮いている間に、前衛の春地はサービスライン近くへ、そして打った四ツ頭自身も前へ走り、ベースラインとネットの中間程度の位置についてレシーブを待ち受ける。ダブル前衛フォワードフォーメーション。低いレシーブはボレーでブロックされ、生半可なロブを上げようものなら、スマッシュの格好の餌食となるのだ。

 空中でカーブしサービスエリアに落ちてきたボールは、多恵香の左手側に低くバウンドする。前につんのめるようにしながら辛うじて拾う多恵香。間に合った! 多恵香は浮かせたボールを目で追いかける。だがその先にはもう、

「もらいぃ!」

 ネット前に余裕の表情で身構えている相手前衛、春地。ごちそうさまと言わんばかりに、短く切りそろえた前髪を揺らしてボールを叩く。多恵香の手の届かないサイドラインの上を跳ねて、ボールは向こうへ転がっていく。

「どんまい! 今のは……しょうがない!」

 日呂美の励ましに、短く「ごめん」とだけ返す多恵香。トス前の相手をしっかり見ていなかったせいだ。多恵香は小走りでボールを拾いに行きながら、自分の反省点を素早く見つけることで、気持ちを切り替えようとする。

1‐0ワン・ゼロ!」

 スコアのコールとほぼ同時に、レフトコートに立った四ツ頭は再びアンダーカットサーブを打つ。考える時間をこちらに持たせないことで、試合のリズムを持っていくつもりだ。多恵香は相手の意図に気付き、出遅れないよう神経を研ぎ澄ます。

「そら!」

 左手側へのバウンドを読んで、さらに大きく回り込んで迎える日呂美。ステップでボールとの距離を調整しながら、ネットに対して鋭角になる軌道で短いボールを返すツイスト。上手い! 一度前進を止めた四ツ頭が再び前へ走ろうとするのを多恵香が見た、その時。


 ズギュゥゥ――ん!


 安登岩の銃が火を吹いた。日呂美のレシーブのフォームからコースを読み、効果的な位置にボールが返るのを銃弾で遮ったのだ。

「うっそ!」

 ネット直上の空中で跳ね返ったボールは、足を滑らせた日呂美の目の前を通り過ぎ、十分な球速で多恵香の足元に迫る。日呂美が体勢を戻す時間を稼がないと。サービスエリアで待ち受ける二人の前衛の位置を気にしながら、多恵香はやむなくロブで返す。高さも深さも十分なはずだ。日呂美も立ち上がり、スマッシュを警戒しながらじりじりと下がる。だが。


 バギュゥ――ん!


 安登岩が、今度は空に向かってトリガーを引く。空中で勢いを殺されたロブは、その落下地点をネット近く、いや、ネットまで近寄っていた四ツ頭の頭上まで戻され、格好のチャンスボールになる。

「んんッッ!」

 飛び上がるようにして繰り出した四ツ頭のスマッシュは、豪快なミート音の直後、日呂美の足元に突き刺さった。日呂美の真後ろへ高くバウンドするボール。だが。

「まだッ!」

 素子が大きく後ろへ下がり、マグナムを腰だめに構える。一度バウンドして尚勢い余る、鼻先一メートル弱まで迫ったボールを、


 ガアァ――ン!


 素子の銃が撃ち返す。まだボールは生きている。多恵香と日呂美は浮いたボールに集中する。だが弾丸がボールの中央を捉え損ねたのか、返ったボールの球威は無い。再び目の前に届いたボールを、四ツ頭が叩く。警戒する日呂美の足元を狙う、全く同じコース。

「くそっ!」

「オーケイ!」

 再び素子がフォローに走る。コートのベースラインより二、三メートル後ろまで下がってから、やはりボールを十分引き付けて狙い、


 ズガアァ――ン!


 二発目の銃弾を使わされ、撃ち返す。だが今度はさらに球威が足りず、ネットよりはるか手前で落ちる軌道が多恵香に見える。返球までに打っていい回数は一打半。ならば。

「取るよ!」

 多恵香は自分が手を出す意思表示をして、日呂美とのお見合い硬直を避ける。そして後ろからのボールをノーバウンドで打ち上げて飛距離を稼ぐ。これで何とか。いや、ヤバい! ボールが返ったのは、ネット前まで迫っていた春地の、右肩付近。絶好の位置に浮いてきたボールを、

「っしゃ!」

 春地が見逃すはずがなかった。まるで意趣返しでもするかのような、多恵香の前でほとんど真横に跳ねてコートの外へ転がっていく、ツイストコースのスマッシュ。ここまで辛うじてラリーに食いついていった分、三人の脱力感は大きかった。

「わりぃ、もとちゃん。でもナイスフォロー、マジで百発百中だな!」

 出来るだけ空気を重くしないよう、日呂美が素子を素直に褒める。自分が取り逃した、後衛の手も届かない球でも、後ろから生きて返ってくる。それは従来のペアでは感じえない驚きと頼もしさだった。

 だが。

「はあ……はあ、う、うん! 後ろは私に任せてさ、ヒロちゃんはどんどん前……前出て……」

 大きく息を乱している素子に、多恵香と日呂美は顔を見合わせた。

「もとちゃんごめん、任せっぱなしで……疲れちゃった?」

「おいおい、まだ1ゲーム目だぜ。大丈夫か?」

 心配する多恵香と日呂美に素子はぎこちない笑顔を返すも、その額には脂汗までにじみ出ているように見える。どうしたのだろう。多恵香は不振に思う。

 確かにこの2ポイントの間に、素子は急激なダッシュを余儀なくされた。それだけではない。日呂美との連携や彼女のフォローの為、あるいはロブを追って走ってきた多恵香に位置を譲りフォーメーションを取り直す為、素子も二人に引けを取らないほど走ってはいる。ラケットと比べてトリガーを引く回数が少ないからといって、決して素子の運動量も少ないわけではないが、それにしてもこんなに息切れするほど走り回ったとは思えない。

「へ、平気だって! とにかく次、返そう、次!」

 素子はそう言ってベースラインの後ろ、日呂美の背後から始まるいつものポジションに戻る。

 そうだ、次は何としても取り返さなきゃ。得体の知れない不安を抱きながら、多恵香はごくりと息をのむ。


 その後も四ツ頭の強烈なアンダーカットサーブを起点に、なすすべなく4ポイントを先取され、多恵香たちはおののく。さすがに、違う。多恵香たちの表情から、楽しむ余裕が削れていく。

「ゲーム、0‐1ゼロ・ワン!」

 コース選びや正確さ、球の伸び。それぞれの要素がことごとく多恵香たちを上回っている、第一箱崎ヒトハコのペア、四ツ頭と春地。ダブルスでまともにやりあっても、勝利はもとより1ポイントを取れるイメージすら、多恵香の頭には沸いてこない。

 その上さらにガンマン安登岩が、ベースライン中央で常に銃を構え、前の二人が空けた中央と背後を守る狙撃手と化す。ただでさえ攻め球を返しづらいアンダーカットサーブを、この要塞のごとく立ちはだかる相手にどう打ち込めば有効なのか。多恵香も日呂美も正解を見つけられないまま、いいようにされてしまっていた。

 このアンダーカットサーブからダブル前衛フォワードフォーメーションへ持ち込む戦術は、後に日本ソフトテニス連盟で「肩から下で打つサーブの使用禁止」が検討されるほど、一般的かつ強力な戦法として普及する。

 禁止が検討される最も有力な理由としては、観客から見た試合展開が非常に地味になりがちなことが挙がる。深くテニスを知らない一般観客が期待するのは、コートをフルに使ってのワイルドなストロークの応酬や、強烈なスマッシュとそのリカバリー。硬式テニスのパワープレイヤーが見せるような、わかりやすい爽快感が、このアンダーカットサーブからの展開には期待できないのだ。

 無論、有効なカットサーブを打つにも、不利を作らずにそれを打ち返すにも、相当な技術を要する。だが、弱まったレシーブをボレーやサーブで決めてしまう、ラリーを経由しないポイントが増える。あるいは真逆に、ネットを挟んで球威のない球を拾いあいミスを待つという、非常にこぢんまりとした見た目のやりとりが行われる。

 ソフトテニスのオリンピック競技入りを目指す連盟にとって、「地味なマイナースポーツ」というイメージの払拭は急務だった。トリプルス導入もその為の打開策のはずだったが、第一箱崎ヒトハコの一番手ペアが選んだ作戦は、既に完成に近づいていた「ダブル前衛フォワード」を、ガンマン安登岩という強力な砲台でバックアップにすることで、より強固にすること。堅実と言えば聞こえはいいが、弱く打たせて奪って終わるソフトテニスならではの地味な展開それ自体を、いっそう崩しにくいものに仕上げてしまったのだ。

 サービスゲームを確実に取るしかない。多恵香は自分の動揺を必死に押し潰すかのように、ボールを握りしめる。向こうと同じ、カットサーブを狙ってみようか。だが多恵香は自分自身がカットサーブの、そしてボレーやスマッシュといったネットプレイの練習をあまりしてきていないことを理解している。

「ファーストぉーッ!」

 気合いを入れなおすように、多恵香たち三人は声を張る。浮かせて確実に取る第一箱崎ヒトハコの戦術は、レシーブ側に回っても十分に脅威だ。そうだ、相手に自由に打ち返させないためにも、ファーストサーブで攻めるしかない。多恵香は高くトスをあげる。ここに来てもう、サーブが苦手なんて言っていられない。日呂美と素子にフォームを見てもらいながら練習しなおした、ただまっすぐに振りぬく基本のサーブ。ガットの中央でボールを捉えた手応え。相手のバックハンドを攻める、センターライン狙い。

「はいッ!」

 四ツ頭は難なくストレートに返してくる。センターマークからやや日呂美寄りに切り込んでくる、十分に深いドライブ。だが、これならまだ負けない!

「いくよ!」

 日呂美は短く言い残し、ボールを多恵香に任せて前へ走る。ダブル前衛フォワードの形を作らせる前に、何としても決めてしまいたい。まだサービスラインまで出てきていない春地を狙って、多恵香も渾身のバックストロークで打ち返す。だが。


 ズギュゥゥ――ン!


 またも中央の砲台が、待ち構えていたように火を吹いた。

「うおっ!」

 見えない壁に跳ね返されたように、ボールは走っていた日呂美の眼前に迫る。反射的に振り上げたラケットは、辛うじてボールをかすめるも、それはコート外のあらぬ方向へ高く飛ぶ。

「まかせて……っ!」

 残り半打での返球に賭け、ボールを追って素子が走り出した――かに見えた。

「……もとちゃん?」

 日呂美と多恵香の目の前で、素子は動かしかけた足を止めてしまった。生きているボールを追うのをやめてしまったのだ。そして。

 ほんのわずかの間、自分の胸を手で押さえて、不規則な呼吸を苦しそうにした後で。

 テニスコートに張られたネットが、ワイヤーをぷつんと切られたように。


「――もとちゃん!」


 素子はその場に、へたり、と倒れ伏したのだ。

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