#13 船上での攻防


 ギム……いや、ギムローという男が並以上の使い手であることは最初から分かっていた。昼間の決闘に足を止め、両者を冷静に分析しながら、後から負けた方に言葉をくれてやるような男だ。初めて会った時の力の籠もった握手は、今もまだ手に残っている。今思えばあれは、「近いうちに剣を合わせるかもしれない」という想いがあったのかもしれない。

 エランダもまた、そのことを知っていた。「彼は見せびらかすようなことはしないから」と言って許している風だった。

 とんでもない! この食わせ物が!

 打ち合わせた俺の剣は、しかしまともに噛み合う事もせず、まるで大人が子供をいなすようにギムローの剣によって軽く流されていた。

 それも当然だった。そもそもにおいて武器が違う。まともな打ち合いを避けるのは、細身の剣を持つギムローのペース。それを自分のペースに引き戻せないのは、俺の技量が彼に劣っているからに他ならない。

「今本気を出さずに、いつ本気を出すんだい? 昼間のあれが本気だったわけでもないだろう?」

 そりゃあ、シーザーの時とはワケが違う。あの時は、戦いにすらならなかった。“越えられないもの”を前に、ならば何処までなら届くのかと挑むようなもの。……今はそうじゃない。この船に家族が乗っている以上、勝たなきゃいけない。決して負けられない。

「どうした、ファロン。逃げてばかりでは勝てないぞ」

「それは、お前の剣も当ててない事への負け惜しみか?」

 俺はわざと不敵に笑って見せた。彼はほんの少しムっとしたが、俺の意図に気付いたのか、直ぐにまたいつものペースを取り戻してしまう。

「なるほど、本来君は守りの方が得意なのか。シーザーを前にして二手も仕掛けていたから誤解していたが」

「……生憎兄弟の中じゃあ劣等生もいいところだ。俺に負けるようなら、二度とフィーニを敵に回さない方がいい。……いや、俺達の前に現れないことだ」

 実際この男は細剣の使い手としても優秀だろうけど、兄さん達相手ならばどうだろう? 割とあっさり勝てるのではないだろうか。

 俺がそう言うと、彼は目尻を引き締めてこう告げた。

「君はフィーニでも屈指の使い手になる。劣等生などとんでもない」

「……兄さん達を知らないのか?」

「知っているさ。昼間は街中でさっきは港で。確かにあれらも規格外の強さだ。だが、君はいつかそれを越える」

 そう言って、今度はギムから仕掛けてきた。よほどイライラしたのだろうか。その目からすっかり表情が消えている。

「へぇ…そりゃどうも」

 ……俺はゲラゲラと笑ってはいるけど、内心ではギリギリのところだ。怒らせれば隙ができるかもと思っていたのだけど、完全に当てが外れた。コイツは、怒ると極端に集中力が増すタイプらしい。細身の剣先は吹き荒れる雹のようにあらゆる位置から切り崩してくる。


 そしてついに、彼の剣が俺の肩を掠めた。鋭い痛みに思わず顔を歪ませた。

「ファロン兄!」

「ファロン!」

 いつの間にか、船からは人が出てきていた。真っ先に嬉しそうな声を上げたオルカと、それよりも幾分状況を理解した女性陣達の声。クラレリア母さんと彼女に寄り添うリトラとルアン、そして……

「ギム! ファロン! 止めて! なんでこんなことを……!」

 一番悲しそうな顔のエランダ。

 みんないる。みんな無事だ。決闘の最中、俺はそのことに胸を撫で下ろしていた。

「オルカ、手を出すなよ。これは決闘なんだからな」

 こうでも言わなきゃ、オルカは丸腰でも加勢しようとするだろう。そうなったら、今度はオルカが怪我をするかもしれない。

「う…あ……でも、……コイツら、みんなグルだったんだ。モーディア商会の奴らも」

「ああ、知ってる」

 俺がそう返事したことに応えるかのように、船の周辺が騒がしくなった。停泊していた他の船が動き始めたらしい。

 伝令を受け取ったウィノン母さんとイサリア母さんに違いない。港にある全ての船を使って、このトッド・モーディアを包囲しようというのだ。

「じきに助けが来る。どうやっても逃げられないぞ」

「………簡単に逃げられるとは思ってないさ」誰よりも真剣な表情でギムは呟いた。

「坊ちゃん!」

 マストの上から声がした。それは、モーディア商会で下働きをしている二人の内、小さい方の声。

「帆を掛けますぜ! 畳んだままじゃ速度が足りねぇ!」

「そうだね。もう隠れている意味もない。あとはメイザに従ってくれ」

「よしきた!」

 太っちょの声がマストの下から聞こえた。二人とも、既にギムローに取り入っているらしい。そして社長のメイザも。……知った顔の裏切りに、無性に腹が立った。

 それを自覚した時、自然と体が動いていた。

 最速を以て踏み込む。そして、大上段の振り抜き。―――――しかしこれは容易くかわされる。

「どうした? 振りが大きくなったぞ」

 笑っている間も与えない。奴が受けてこないのはこっちも予想済みだ。抜けた勢いを殺さずに、壁を蹴り上げ、反転する勢いで剣を振り抜いた。

「っ!」

 これを、初めてギムローが受けた。……と言っても、咄嗟に武器で受けたに過ぎない。刃は届いては居ない。だけど、奴が今まで忌避してきた手を、初めて引き出した。

 俺は直ぐさま彼の腹に真っ直ぐ蹴りを叩き込んだ。ギムローは立ち位置を大きく後退させることで、その勢いを相殺しながら同時に間合いを離した。

「目が変わったな……ようやく本気を出したかな?」

 渾身の打ち込みと蹴りとを受けても、ギムローはまだ余裕そうに笑った。そして、仕掛けて来る。

 雹の剣戟。だがしかし、剣を握るのが右手だけである以上、次に来る位置を読むのは容易い。俺はそれを剣で受け、時に間合いを離してかわし、逆にこちらから牽制することで剣筋を逸らした。やがてタイミングを見て、最も隙だらけな彼の脚を払う。

 しかしそれを彼は読んでいた。足払いの勢いすら利用して身を翻して着地すると、身を低くした俺の頭上から、柄での打撃を交えた切り込みを仕掛けてくる。

 受け続けては、いつかは屈してしまう。そう思った俺は、一発目はなんとか剣で受け、二発は剣戟を受けるのを覚悟で、真上へと蹴り上げた。脚に切り傷が走り、蹴りはすんでの所でかわされる。だが、それでいい。ギムローはそれ以上を踏み込めず、俺は蹴りの勢いで背後へと転がった。間合いは再び離れる。だけどそれを見逃すギムローでもない。

 俺が姿勢を正す前に直ぐに追い撃ちが来た。俺は体勢を整えられないまま、追撃をなんとか剣で受けながら、後ろへ、後ろへと退くしかなかった。やがて、縁が背に当たった。

「そら! 追いつめたぞ!」

 直ぐさま縁を蹴って真横へと逃れる。だけどそれは、余計に俺の逃げ道を塞ぎ、追い込まれてゆく。やがて船首へ上がる段差にぶつかった。

 ギムローが狙い澄ましたひと突きを引き絞る。

 俺は彼の目の前の甲板へ、まるで楯にするように剣を立て、それを軸に腕力だけで宙を跳んだ。

「――――っ!」

 ギムローの渾身の突きは丁度俺の両腕の間を抜け、俺はその上を飛び越えながら、ギムローの利き腕の肩に渾身の踵を落とした。だが……ギムはそれに一瞬驚いたような表情を見せただけで、まるで「肩などくれてやる」と言わんばかりの形相で、空いているもう一方の腕で未だ宙に浮いている俺の脚を掴み、そして払い上げた。

 今度は俺が驚愕した。蹴った反動も重なって俺の体勢は見事に崩され、後方へと派手に吹っ飛んだ。


 そして、浮いた身体はそのまま船の欄干を越えてしまった。


 咄嗟に突き出した左手が、なんとか縁をつかみはしたが、片腕だけで昇るには辛い。利き手に持った剣を捨てるべきかどうか、俺は考えあぐねていた。

「く……っ!」

 マズい。



「ファロン兄っ!」

 上ではオルカ達の悲鳴が聞こえてきた。

「近づくな。さっき“お兄さん”にも言われただろう。これは決闘だからとかなんとか。おとなしくしていれば、後にでもフレスガノンに返してやる」

「信用できるか!」

「してもらうしかない。それとも死んでおとなしくなる方が良いか?」

「やめて、ギム!」

 これはエランダの声。彼女はもはや、どうしていいのか分からないと言うような様子だった。

「こんな風に戦うのは無意味だって、あなた言ってたじゃないの!?」

「そういうわけにもいかなくなった。指輪の力があまりにも強くてね。こんな中で、探すどころじゃないだろう?」


 指輪……!

 初めて生きた人間の口から、指輪という単語を聞いた。やはり彼はこの一件の元凶に違いなく、そして……

(あの亡霊どもと同じか……!)

 指輪の為に、平気で自分の家族すらも殺してしまえる、あの亡霊ども……!

 心を通わせた恋人の家族であろうとも、容赦するつもりはないのだろう。あるいは、エランダのことすら、ただの海賊の一味としか思っていなかったか。

 狼狽えることすらなく、ギムローは続ける。

「この中の誰かが持っている。それは間違いないんだ」

「じゃあ、今すぐファロンを助けなさい。ファロンが持っているかもしれないんでしょう!?」

 聞こえるのは声だけだが、エランダの言ったその台詞にギムローがキョトンとしているのが分かった。

「引き上げたら、彼は僕を殺すかもしれないぞ」

「なら、二人とも剣を捨てればいいでしょう?」

 エランダの言葉からは、この戦いを止めようとしているのが分かった。彼女だって馬鹿じゃない。だから“二人とも”と言う。そうすれば、戦わなくて済むと。

 だけど事はそう単純ではない。もう、母さん達の船がトッド・モーディアを包囲し始めている。例え俺達が剣を捨てたとしても、この船は逃げられず、母さん達に捕まるだろう。自分達だって絶体絶命なのは当然分かっている筈だ。

 ギムローはどうするつもりなのだろうか?



 その時、船の側面に突然矢が突き刺さった。

 位置としては片手で宙吊りでいた俺の脚の側……勿論俺を狙ったものではない。

 誰が撃ったのか、あまりにも遠くからなのでよく分からない。だけどそれが見慣れた矢であることが分かったとき、その矢の放たれた思惑を俺は一瞬にして悟った。

 矢は弓矢に使われるような細いものではなく、機械弓用の太いもの。そして、矢羽の一部には見覚えのある赤いメッシュが入っている。それは、フィーカ姉さんの放った狙撃用機械弓の矢に違いない。


 『赤羽根のフィーカ』 その二つ名は、フレスガノンの男達の間では半ば笑い話の種に、半ば恐怖の象徴として語られる。彼女の初恋が13歳の頃、当時憧れだった年上の美男子に告白し、念願叶って付き合うようになったのだけど、その一年後、粘着質な彼女の性格から逃げるように、男の方は余所で女を作り、それがフィーカ姉の耳に聞こえてきた。

 ……彼女はこの時に初めて狙撃用機械弓を手に取ったという。

 あとは推して知るべし。結局その恋は長続きせず、フィーカ姉はその後どんな男性と付き合うことになっても、その度に男は逃げるように浮気に走り、彼女は自分自身の証である赤羽根の矢を撃ち込み、裏切りの代償として恐怖を植え付けた。

 元々彼女には狙撃の才能があったのだろう。いつしかフィーカ姉は、フレスガノンで知らぬ者はいない狙撃の名手として(本人不本意ながら)知られることとなり、彼女の元には浮気に怒る女性から、「代わりに無念を晴らしてほしい」という“依頼”が(やはり本人不本意ながら)来るようになった。こうして彼女の使う赤羽根は、フレスガノンにおいて不貞を働く男達の恐怖の象徴として語り継がれることとなり、……ベアフォーリ兄は常にフィーカ姉の狙撃に怯える日々を余儀なくされたという。なんでも一番依頼が多いのがベアフォーリ兄に対しての制裁なんだとか。


 そのフィーカ姉の矢が、俺の足元に刺さっているのだ。……別に俺が浮気をしているというのではない。彼女は、この矢を足場にしろと言いたいのだろう。肯定するように、次の矢がさっきとは反対側の少し上に突き刺さる。その次はまた反対側のさらに少し上。……順番に足場を作ってくれているせいか、俺の身体に当たるかもと言う恐怖がほとんどしない。揺れる船の上にいながら、本当に姉さんは良い腕をしている。俺は姉さんに感謝の言葉と、ついでに「この先恋人ができても絶対に浮気はしません」という誓いを胸の内に呟きながら、見事に出来上がった矢の足場を昇り、反撃の隙をそっと窺っていた。



 甲板では言い争いが続いている。

「このままじゃ、話し合いだってできやしないわ。ギム、あなたは喧嘩しに来たの? それともただの強盗?」

 エランダの言葉はいつも強気だ。だけど、そんな彼女の声が、ふっと力を無くした。

「……はじめから、指輪が目的で私に声をかけたっていうの……? あなたが言ってくれた言葉は、みんな嘘だったの……?」

 静寂が、辺りを包んだ。クラレリア母さんがそっとエランダの名を呟くのが聞こえた。

 こんな弱気なエランダなど、俺の記憶する限り見たことがない。……エランダは、本気だったんだな……

 そのエランダに、ギムローが告げる。

「……僕はまだ君を諦めてはいない。だから君をここに連れてきたんだ。君を連れ去るために」

 彼の声もまた、本気だった。……朧気ながら俺にはそれが分かる。

「迷惑よ」

「僕は絶対に君を不幸にはさせない。最高の富と権力を君と一緒に手に入れるからだ。このギムロー・クロウォルトが、君をこの国の一番の高みに連れて行く」

「やめて! 聞きたくない!」

 狂乱するエランダ。彼女は、この男の本名を知っていたのだろう。

 クロウォルト。それはここ最近よく名前を聞く侯爵家だ。

「私の家族を殺して、私を浚って、……そんな人を好きになれる筈がないじゃない!」

「君がそう言うなら殺しはしない」

 ギムローが身体の力を抜いたような気がした。俺はその隙を突くために直ぐさま船の縁へと手をかけた。しかし……

 その手を、ギムローが踏みつける。

「あぁっ、ぅぐ……っ!」

「だが、君の家族は僕を殺そうとする。君は、それでも平気なのか?」

 奴の靴は鋲でも仕込んであるのか、突き刺すような痛みが走る。だけど、この手を放してはいけない。放したら、今度こそ本当に落ちる……! 俺は必死に堪えた。

「エランダ。家族か僕かを選べとまでは言わない。だけど、僕はこの状況から逃げ切らなきゃいけない。それくらいの理解は欲しいな」

 ギムローの声に動揺は無い。そう言われることも当然分かっていたと言うように、冷淡に、エランダへ……いや、この場にいる俺達やモーディアの船員達へ告げた。

「あなたは悲しい人」

 その時、場違いなほどに静かな声が聞こえた。

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