第三章 第四話

 夜明けより数時間まえ、ウルルとスヴィカは再び聖門のまえに立つ。

 まだランプをかざさないと、暗くて外が見えない。この時間に門番はいない。扉の真正面でウルルはガラスの棒を構えた。

 ウルルの手先から肘くらいまでの長さの、ガラスの棒だ。なかは空洞になっており、扉の鍵とは逆配置で色石を並べて、蓋をしてある。

 宝石の指揮棒を、鍵の代わりにする。

 事前にスヴィカに教わったとおりに、ウルルは手順を踏む。

 まず、心の鍵を開き、呪いを連れ出すイメージをする。ここまでは、力を解放するときと同じだ。儀具を用いるときはそのさきが違う。力の向き先が、儀具になるよう誘導する。

 もし、ブルーガにおそわれたときのように力が暴走したら……。恐怖の記憶が、ためらいを生む。

「祝福も呪いも、この世にはない。あるのは、人の心の在り方だけ」

 宿で施錠やぶりの準備を進めていたとき、かつて師匠から習ったという言葉を、スヴィカがいま一度口にした。その言葉を思い出し、ウルルは気持ちを落ち着かせる。

「この言葉が、師匠の受け売りってのは本当だ。神学校で習った言葉のなかで俺が唯一、いまでも好きな言葉」

 逆配置とした宝石を、ガラスの棒に詰めながらスヴィカは語る。その手もとを見つめながら、ウルルはスヴィカの言葉に耳をかたむけた。真正面から説教のように口にされないぶん、逆にすーっと頭に入ってくる気がした。

「神さまはな、悪いことをしている人を裁いちゃくれないし、困ってる人を助けちゃくれない。だから俺は、神さまなんて信じない」

 スヴィカが無神論者になる気持ちは、ウルルにもわかる気がした。

 ウルルは、まだ神の存在を信じている。けれどブローフ族の呪いを放っておいて、自分にそっぽを向き続ける神を、ずっと信じ続けるのはつらい。助けてくれないのなら、いないのと同じだ。それに苦しみだけを与える存在を、はたして神と呼ぶべきなのか。

「エイラがヘイラグになるか、それともバルブンに転じるのか。要はそいつの気の持ちようってことだ。ヘイラグもバルブンも、人の心が発生させるもの。神からの祝福でも、罰でもない。自分の行きさきを決めるのは、自分の心だ。だから必要以上に、バルブンをおそれるな。おまえのなかにある呪いの行きさきは、おまえが決める。必ず、おまえが制御できる」

 色石を詰め終えたガラスの棒をウルルに手渡しながら、スヴィカはそう励ましてくれた。ウルルを信じる心の力強さを、その瞳に宿らせながら。

(そうだ。あのときみたいにはならない。俺が必ず、制御できる)

 黒い帯が何本も飛び出して、ウルルの胸から螺旋を描いて立ち上る。

(この力を……儀具に……!)

 バルブンを向かわせるさきはガラスの棒だ。人の生命力、あるいは呪いという、バルブンの好む餌ではないぶん、力を誘導するのが難しくなる。ウルルは意識のなかで必死に、バルブンの方向を捻じ曲げる。

(頼むよ。俺に協力してくれた、スヴィカの気持ちに応えたいんだ……!)

 てんでばらばらの方向に向いていたバルブンが、向き先をウルルの持つガラス棒に変えた。しゅん、とガラスのなかになにかが入り込んだようになり、腕が重くなる。

 入った。

 ウルルは扉めがけて棒を振り、力を放つ。色石の入ったガラスの管が、鍵へとその機能を変える。

 ばあん、とバルブンが扉にぶつかり、バチバチっと稲妻が走ったようになる。見えない力に押され、扉は静かに、左右に開いた。

「やったぞ! 走れっ!」

 二人ぶんの荷物を抱えたスヴィカが扉に突っ込みながらウルルを急かす。ウルルも開いたすき間から、扉に飛び込んだ。

 二人を飲み込むと扉は、またゆっくりと閉じていく。

「……やった……!」

 ウルルは扉を振り返り、成功をかみしめる。

 呪いが暴走する感じはない。必要な力だけ儀具に移ったあとで、すかさず心の鍵を閉じる一連の動作に、寸分の狂いもなかったおかげだ。再びウルルの心に封じられた呪いは、そのまま沈黙した。

「ようこそ、聖賛地ヘイラへ」

 わざとうやうやしい口調で、スヴィカがおどける。

「なかにさえ入っちまえばこっちのもんだ。扉の鍵がぶっ壊されたって、朝になったら大騒ぎになるだろうけどな」

 宵闇に、町はしんと沈んでいる。再び浮かび上がるまでにはまだ、朝日が遠い。

 聖門にほど近いところに、中央に大きな噴水を擁した円形の広場があった。半円形をしたガラスのドームに覆われた広場だ。その隅にあるベンチに座り、交代で仮眠を取りながら朝まで過ごした。

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