第三章 第二話
温泉の温熱効果だろうか。翌朝目覚めると、まだ手足がぽかぽかしていた。
「おはよう、スヴィカ」
「おお、おはよ」
天幕を出ると、スヴィカのほうがさきに起きていた。簡易コンロで燻製腸詰肉を焼いて、平べったいパンで挟んだ朝食を頬張っている。
「いま、おまえのぶんを焼いてやるから」
「あ……ごめん。俺はいい」
いつもならば、いいにおいにぐう、とお腹が鳴るところだ。今朝は胸やけがするようで、食欲をそそられなかった。
スヴィカはやや心配そうに、厚い雲のかかった空を眺める。天候はやはり気まぐれだ。夜間のうちにまた、雲のヴェールを空に張ってしまったらしい。
「今日はさすがに、ひと雨来るかもしれない。昼のうちに進めるだけ進みたいから、朝もしっかり食っといたほうがいいぞ」
「うん。……ちょっと食欲がなくて」
「……具合が悪いのか?」
「ううん。体調はいいよ。しばらく動いたらお腹も空くと思う。そしたら携帯食をつまむよ」
「なら、いいけどよ」
野営の後始末をしたあとで荷物をまとめ、ヘイラに向けて出発する。
すこし変だな。ウルルは、違和感を覚えた。今朝、目覚めたときは悪い気分ではなかったのに。いまは頭がぼんやりとする。風邪のかかりはじめみたいな、軽い倦怠感があった。
(どうしたんだろう……。寝冷えなんてしていないはずなんだけどな……)
荷物が普段より重く感じられる。体の芯から、ほてるように熱くなってきた。
(なんか変……)
とうとうウルルの足が止まってしまった。
「ごめん……。スヴィカ、ちょっと待って……」
ウルルは荷物を下ろすと、その場にしゃがみこむ。
「おい、どうした」
スヴィカは振り返り、急ぎ足で戻ってくる。
「やっぱり。朝から調子悪かったんだろう?」
ウルルの隣にしゃがみ込み、気遣わし気に顔をのぞきこんだ。ウルルは首を振る。
「朝は本当に平気だったんだ。ただ、食欲がなかっただけで。歩いているうちに、ちょっと、熱っぽくなってきちゃって」
はた目にも相当、具合が悪そうに見えるのだろう。スヴィカの手に誘導されて、ウルルは荷袋を背もたれ代わりに、岩場に腰を下ろした。地熱であたためられた岩の熱が、下半身からじんわりと体にしみわたり、すこし体が楽になる。
「ひょっとしたら、いまになって聖賛地のヘイラグに当てられたのかもな。すこし休んでいこう。しばらくすれば体が慣れる。俺ももう、頭痛がしなくなった」
ウルルはこくんとうなずく。このまますこし休ませてもらおう。
「顔が赤いぞ。……ヘイラグのせいじゃないのか?」
体温をたしかめようとしたのだろう。スヴィカの手が、そっとウルルの頬に触れた。
その瞬間、体が跳ねた。
「……っと、悪い」
突然触れたので、おどろかせてしまったと思ったらしい。スヴィカは手を引く。
(違う……)
単におどろいたのとは違う。
スヴィカに触れられた瞬間、体に電流が流れたみたいになった。
いやな感触ではなかった。全身がぞくぞくしたあとで、背筋が震える心地よさが、足もとから駆け上ってくる。
もっとスヴィカに触れられたい。ウルルは無意識のうちにふらりと、隣にかしづくスヴィカの胸に体を寄せた。
兎の鼻が鋭敏に、においを嗅ぎ取る。天日干しされた布が、太陽のあたたかさを吸ってふんわりと膨れているときのような、いいにおいがした。
においの刺激に、ツンと眉間が痺れた。体の中心に熱が溜まる。
(な、なに……)
下半身の違和感に、ウルルは腰をもぞもぞとさせた。ズボンのなかが張りつめて痛い。ウルルの雄の象徴が萌していた。
(な、なにこれ……)
ウルルはあわてて上半身を折り、膨らんだ下半身を覆い隠すようにする。発情期のなかったウルルは、これまで性器が勃起することも、精通を迎えることもなかった。けれどいま、ウルルの中心あるものは、解放を求めてふくらみはじめている。
まさか、と思った。熱っぽい倦怠感に、手で触れてもいないのにふくれた雄の芯。この生理現象には、心当たりがある。
(発情期だ……)
全身がほてり、四肢が重だるい。ふくらみきった雄芯の中身をぶちまけたいという欲求ばかりに、頭が支配される。
(嘘だろ……。なんで、いまさら……)
「ウルル?」
地面に手をつき、背を曲げた自分は相当、具合が悪いように見えるだろう。心配混じりなスヴィカの声に、ウルルはそっと顔を上げた。
自分を見下ろす、スヴィカと目が合った。
(スヴィカに触られたら、体が反応した)
愕然とした。発情期を迎えたきっかけは、スヴィカだ。
たぶんそれは――。
昨日の夜、星空をながめながら抱きしめられたからだ。スヴィカの優しさに包まれて、ウルルがそれを心地いいと感じたからだ。
(俺は……)
どくん、どくんと心臓が跳ねる。心音はウルル自身が気づかなかった思いを、声高に主張してくる。
(スヴィカが好きなんだ……)
好き、という感情。だれかと言葉を交わすと楽しくて、体に触れられるとこのうえなく安心して、心地よくて、ドキドキする。もっと触れ合いたくて、たまらなくなる。
これが、好き――。
いままで知らなかった。ウルルが人を好きになるのははじめてだった。――好きになるほど、長く時間をともにする人ができたのがはじめてだったのだ。
「ウルル? どうした? 吐きそうか」
見当違いの心配をするスヴィカに、ウルルは涙目で訴える。恥ずかしかったが、自分ではどう処理すればいいのかわからない。
「スヴィカ……。あの、発情期が来ちゃった……」
「……ん……? はあっ……⁉」
スヴィカは目を剥き、大声で吃驚する。
「でもおまえ、昨日、発情期はなかったって……」
「だから、いまになって来たあ……」
ズボンのなかに屹立が押し込められて、ずきん、ずきんと疼痛がする。
「あ、あー……。立ってんのか」
ようやく事態を理解したスヴィカは、ぼりぼりと頭を掻く。
「ほら、その。あそこにちょうどおっきな岩があるだろ? その陰にでも隠れて抜いてこい。俺はしばらく、遠くのほうに行っててやるから」
スヴィカが立ち去ろうとしたところで、ウルルは服の裾をつかんだ。
「どうしたらいいのか、わからない」
「はあっ? どうしたらって、手でシコれば終わりだろ」
「俺、一回もしたことないんだよ……。だから、やり方がわからなくって……」
情けない声とともに、兎の耳がてろん、と下向きにうなだれた。
「うそ、だろ……。その年になるまで、一度も⁉ 精子が詰まって、あそこが病気になるだろ‼」
「そこが、人間とは微妙に違うところなんだよ……。発情期が来るまで、俺たちは性欲を感じないんだ……」
屹立が脈打つたび、服の圧迫でずきずき痛み、泣きたくなってくる。どうしたらいいのか、ウルルは途方に暮れて、うなだれるしかない。
「あああ、ったくもう。仕方ねえなあ」
背後にまわったスヴィカが荷物をどかす。ウルルはスヴィカを背もたれにするような格好で、足の間に抱えられた。
「兎の特別なお守りが発生したって、依頼主に割り増し請求だな」
ぶつくさ言いながらスヴィカは、ウルルのズボンのまえをくつろげる。ウルルが静止するまえに下着のなかから雄の芯を取り出し、服の抑圧から解放した。
「教えてやるからちゃんと覚えとけよ」
「え、ちょ……。す、スヴィカ、待って……!」
ウルルの訴えを無視してスヴィカは右手で屹立を握り込み、根本からさすり上げる。
「……っひっぃ……!」
求めていた刺激が与えられて、体がびくりとした。先端からとろりとこぼれる蜜を潤滑剤代わりに、スヴィカの手は滑りを増す。
「どこがいい? 裏筋のとこか、先っぽか」
同じ男の体なので感じるところは知り尽くしている。ウルルの悶絶するところを指がかすめるのに、内側のマグマが煮えたぎっていった。
「ぁ……あぁっ……。そこぉ……あああ……」
「いいだろ? なんか出そうな感じするか?」
さきほどから体の奥がむずむずして、いまにもなにかがせり上がってきそうな感じがする。でもはじめてなのと、手淫を施されている羞恥が手伝って、もどかしさだけが続く。決定打に欠けていた。
「もうすこし……なのに……」
はじめて味わう感覚を体で受け止めるのがやっとの思いで、解放するのに躊躇する。困り果てたウルルは、ぐずぐずと鼻を鳴らした。
「慣れてないうちは、とにかく優しくな。それと、普段抜くときからあんまり力入れ過ぎてると、自分の手以外じゃいけなくなるから気をつけろよ」
スヴィカが耳もとで響く。べつに愛の言葉をささやかれているわけではないのに、声色を甘く感じた。
「スヴィカ……」
好きな人の手で、導かれている。そう考えただけで、頭が熱くなる。
「ウルル、横向け」
素直に顔をかたむけると、額と頬にキスが降ってきた。
「体がこわばってる。俺に抜かれるのはいたたまれないんだろうが……。いまは余計なこと考えないで、力抜いてろ」
ウルルのこわばりを解きほぐそうとしたキスだ。スヴィカの唇が頬や耳たぶを掠めるたびに、悦楽で全身がぞくぞくする。
「スヴィカぁ……。こっち、も……」
口が勝手に開いて、小さな舌が誘うように唇の端からのぞいた。
「いや、そっちはさすがにまずいだろ」
「いやだあ……。スヴィカ、お願い……。スヴィカのキス、気持ちいい……」
切なそうに目を閉じて、スヴィカを誘った。ウルルは誘い方なんて知らない。ただ本能に突き動かされていただけだ。
「……⁉」
返事の代わりに、口内にぬるりとしたものが差し入れられた。スヴィカの舌だとわかり、陶然とした。巧みな嘘を口にする唇は、いまだけはあこぎな習性を忘れてしまったように、ウルルの熱っぽい求めに真摯に応じる。スヴィカの大きな口が、ウルルの小さな唇を食む。
(あ……あ……あ……)
捕食するようにねっとりと舌を味わいつくされながら、指できゅっとくびれをこすりあげられた瞬間、白濁がぴゅるっと噴き上がった。
「ふぅ……ん……んん――!」
スヴィカの唇で口をふさがれ、ウルルはうなり声を発した。
何度かしごかれてすっかり中身が出尽くす。その間、快楽の残滓に脚ががくがくと震えっぱなしだった。
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