第一章 第三話

 メーフェの事務所は、こぢんまりとした個人商店くらいの大きさだった。カウンターで区切られた奥で事務員の女の人が一人、働いているくらい。ウルルとスヴィカのほかには、だれかが訪れてくる様子もない。

 事務員はこころよく、登録者情報をスヴィカに手渡した。通常は事務員が登録者と解呪師の間を取り持つため、おおっぴらには見せてはいけない情報だ。スヴィカの人当たりのよさから、つい対応が甘くなる。

「ありましたよ、ウルル。きっとこの子ですね」

 指し示された登録票を確認して、ウルルはうなずく。

「たぶん、そうです」

 登録票には氏名、年齢、住所、呪いの大きさ、呪いを背負うことになったいきさつしか書かれていなかった。けれどアラネスに住んでいるということと、七つという年齢に該当する登録票はこの一枚だけだったので、間違いなさそうだ。

「この、銀二ってなんですか?」

 登録票の右上の、丸い囲み印のなかにそう書いてあった。

「呪いの強度を示す区分です。呪いは上から、金位きんい銀位しろがねい銅位あかがねいの三つの位に分かれていて、それぞれの位は、さらに五つの位に細分化されています。三かける五つで合計、十五段階に分かれます。上位の区分ほど、解呪が難しくなります」

「そうなんですか。俺、知らなかったです」

「ウルルは、呪力の測定をしてもらったことはないんですか?」

「ない、です……」

 それも掟のためだ。メーフェで呪いの測定をしてもらうのは禁止されている。ブローフ族の呪いは、測定不能なほど強いものだからだ。

 少女は銀の二位だ。ということは、上から五番目の順位に当たる。それほど上位に位置するということは相当、強力な呪いがかかっているのだろう。強力な呪いを持った人に強く恨まれるか、あるいは大勢の人からいっせいに恨まれるかでもしないと、ここまで大きな呪いを背負うことはないはずだ。

 ウルルは、少女が呪いを背負うことになったいきさつを読んでみる。父親が高利貸し業を営んでおり、父に向けられた恨みが横滑りした、とある。

 呪いを向けられた対象の代わりに、近しい人――特に血縁者――に呪いが横滑りすることはままあるのだと、スヴィカが教えてくれた。

 少女はもとはアラネスではなく、ここからすこし北に行った大きな港町に住んでいたようだ。多くの恨みを買った父親から逃れるため、母とともにアラネスに移り住んでいた。それでも、少女の呪いが消えることはなかった。

「報奨金が、かなりの額ですね」

 同じ登録票に記載されている金額をスヴィカが示す。四百五十万クルーナ。ウルルはおどろきで目を瞠った。ウルルの旅費の何年分だろう。

 ウルルは働いていない。労働も封じ子の掟で禁止だ。理由は、働くと否応なしに人とかかわることになるから、だろう。その代わり封じ子であること自体が、ウルルの労働なのかもしれない。対価として、旅にかかる費用は一族が持ってくれる。資金が尽きるころに、口座に送金されてくる。

「信じられない。世のなかにはものすごいお金持ちがいるんですね」

 うらやましさから、ほうとため息が漏れる。

「いえ、銀の二位だとしたら妥当な金額ですよ。銀二はそれだけ、解呪が難しいんです。実績のある解呪師はそれだけ多くの報酬を要求しますからね。現に、見てください」

 少女がメーフェに登録されて以来の、解呪師の派遣履歴をスヴィカが示す。

「いままでに三回、神官が派遣されていますね。いずれも解呪に失敗している」

 聖者のヘイラグでも祓えなかった強い呪いだ。自分に対抗できるのだろうか。ウルルの背中がぞっと震えた。

「できる……でしょうか。俺なんかに……」

 できる、できないとは断言せず、スヴィカは曖昧に笑い、手を挙げて事務員を呼んだ。

「すみません。こちらの依頼、我々に任せていただけませんか?」

「ええ? でも……」

 事務員の、眼鏡の奥の小さな目がさらに細められてきゅっと小さくなった。

 困惑している。スヴィカは聖者だが、メーフェには登録していないらしい。メーフェに身分登録していない者には、依頼の紹介ができないことになっている。ましてや、聖者でも解呪者でもないウルルになど、もってのほかだ。

 スヴィカはさまざまな戒律を守りながら生きる聖者だが、規則に四角四面な人ではないらしい。にっこりと笑い、事務員を説き伏せにかかった。顔立ちがいいだけに、この笑顔に人はたやすくほだされてしまう。事務員がすこしだけ、頬を赤らめた。

「お願いします。メーフェの規則に反することはわかっているんですが……。ヘイラへ向かう途中でにこの町に立ち寄ったのも、なにかの縁ですので」

「ヘイラ……? まさか聖者さま、祈念大祭に行かれるのです……?」

「そのとおりです」

 ヘイラ、祈念大祭。招かれた聖者。限られたキーワードだけで、スヴィカが相当に徳の高い神官であることがわかったのだろう。事務員はあわあわと、登録票の住所を手もとの紙に書き写した。

「直接訪ねていらして。この時間はそうね……。外出中かもしれないけれど」

 そう言われてウルルも壁かけ時計を確認する。午後二時に差し掛かるところだった。

「それからメーフェの公の記録にはできないので、成功した暁には、報酬について直接交渉してくださいな」

「ええ、承知しています」

 スヴィカは紙を受け取った。報酬は一度メーフェが受け取り、手数料を差し引いてから依頼を受けた人に支払われる。正規の手順で支払いができない代わりに、同じ金額をもらえないか打診してみよ、ということだろう。

「助かりました。ありがとう」

 スヴィカは二本指で挟んだ紙を振り、最上の笑顔を向けた。事務員の女性は今度こそ、ぽーっと見とれてしまい、その呆けた顔を隠そうともしなかった。

「ここから二つさきの区画……。教会のはす向かいですね」

 ウルルには土地勘がないのでまるでわからなかったが、スヴィカは通りに掲示されていた市街地番号とメモの住所を突き合わせて、簡単に場所を特定してしまった。

「いまから、すぐ向かうんですよね」

「ええ。ちょうどいいところに教会がありますし。解呪の場所は、ここにしましょう」

 解呪なんて、どうやればいいのか。スヴィカが助けてくれると言っていたけれど――。

「ウルルはこれまで、呪力を解放したことはありますか?」

「あ……えっと……。実は、一度だけあります」

 それは、思い出すのも苦しい記憶だ。

「俺は、ブローフ族です。ほかの獣人族には、ブローフ族を目の敵にする人たちもいるんです。呪いを背負うことになるなんて、獣人の恥だって」

 そのときの出来事を思い出すと緊張して、ウルルは両手でズボンの太ももをきゅっと握りしめる。手に汗がにじんだ。

「俺はうかつでした。人前では隠していたんですけど、だれもいないところでつい油断して耳と尻尾を丸出しで歩いていて。それで一度、狼の獣人に目をつけられて、追いまわされたことがあります。そのときに――」

 恐怖心から心の鍵がゆるみ、呪いが体外へと漏れ出した。

「危うく、俺を追いかける人たちを呪い殺してしまうところでした。なんとか逃げてくれたからよかったものの……」

 黒い霧のようなものが体から飛び出し、四方八方へと散らばった。霧は自分では制御できず、周囲にいた人たちに無差別でおそいかかる。

 黒い霧が逃げ去る獣人の足首につかみかかり、転倒させた。あわてて駆け寄ると、その獣人は口をはくはくとさせて、顔面は蒼白になっている。まるで縊死する寸前の人の顔だと思った瞬間、ウルルは声ならぬ悲鳴を喉の奥で発していた。

 ウルルが悲鳴を上げると呪いの暴走は止まり、狼の獣人はなんとか逃げ切ることができたけれど、その一件はウルルの胸に深い恐怖を刻みつけた。自分の手でだれかを、殺しかけたというおぞましい恐怖を――。

 時おり、呪い殺されそうになった人の、死ぬ寸前の顔が頭によぎる。ウルルは叫び声を上げながらしゃがみこみ、もう二度と出てこないでと、泣きながら呪いに訴えた。

「なるほど。自分から解放したことはないんですね。でも、大丈夫ですよ。私の言うとおりにすれば、力を制御しながら、解放できます」

「……本当ですか?」

「はい。私が頼りないから、心配ですかね。これでも、千年都市では何百人も浄化した実績があるんですよ?」

「いえ、決して、そんなことは……」

 ノールリオスや呪いに関する豊富な知識、的確な説明。これまで言葉を交わしただけでも、スヴィカが優れた聖者だとわかる。実力を疑っているのではないかと思われたくなくて、ウルルは両手を顔のまえで激しく振って否定した。

「それと、ウルル。提案があるのですが」

 スヴィカの提案を聞き、ウルルはおどろいた。おどろくのと同時に、そんなことをして大丈夫だろうかと不安にもなった。

 スヴィカはにっこりと笑うと、片眼鏡をはずして聖衣のポケットにしまい込んだ。


「はい、どちらさまですか」

 呼び鈴を何度か鳴らすと、少女の母親が玄関口にあらわれた。

「どーも。フィヤトリさんですよね? お嬢さんのことでお話が」

「はあ……」

 スヴィカにそう切り出された母親は、戸口に立つウルルとスヴィカをうろんげに下から見上げる。

「お嬢さんの呪い。俺たちなら解けるかもしれないっすよ? だからここ開けて、一度話を聞いてくれませんかね?」

 軽薄そうな口調で持ち掛けるスヴィカに、母親は目を見開く。そのやり取りを、ウルルは横ではらはらしながら聞いていた。

(スヴィカさま……。さっきまでと声も態度も全然違う……。演技がうまいんだな)

 どうしようか逡巡していた母親は、まだ訝しむ顔をしつつもドアを開けた。

(これなら嘘ついてること、ばれないかも……)

 スヴィカに続いて、ウルルも室内に足を踏み入れる。親子二人だけで暮らす質素な家だ。居間と台所が狭い空間にきゅっと詰まっている。居間で人形遊びをしていた娘がふと、顔を上げて興味深そうに二人を見つめた。

「俺たちはメーフェ登録外の解呪屋です。ま、野良の解呪屋って言い換えてもいい」

 台所の椅子にふんぞり返るように座り、スヴィカはぞんざいに身もとを明かす。マグカップで出された紅茶を遠慮なくすすった。

「いままでに三回。メーフェから派遣された聖者が解呪に失敗している」

 スヴィカがそう言い添えると、少女の母――ノルティはびくりと肩を震わせた。

「俺たちはそういう、正規の解呪者が失敗した呪いを専門に請け負う業者です。成功報酬は、メーフェに登録されている金額の一割増で請け負います」

 メーフェの聖者は解呪に失敗した。母親は聖者に相当、不信感を抱いているだろう。聖者のスヴィカがいくら呪いを解いてやるからと説得しても、聞く耳を持たないに違いない。ならば――ひと芝居打とう。それがスヴィカの提案だった。

 ウルルとスヴィカはアラネスに立ち寄った野良の解呪師という設定になっている。聖者らしく見えないよう、スヴィカは隠しボタンできっちりと喉もとまで閉めていた黒衣のまえを開き、ベルトで裾を短くたくし上げて、服装を崩している。

(なんだかスヴィカさま本当に……。野良の解呪師みたい)

 スヴィカのなりきりぶりに、ウルルは心底感心した。徳の高い人はなにをやらせても才能があるのだな、と思う。

「メーフェのやつらはだめだ。あいつら、素人っすよ。解呪ってもんをわかっちゃいない。お定まりのお行儀のいい手順しか知らねえんだから」

 このなりきりぶりならば、ノルティもきっと話を信じてくれるのではないか。現に、家に招き入れたときには険しかった表情が徐々にゆるみ、相手を信じすがるような顔つきに変わっていく。

「あなたが……解呪をするの?」

「いーや。俺じゃなくて、こいつが」

 スヴィカはウルルを親指で示す。

 相手が話に乗ってきたら耳を見せなさい。事前に言われていたとおり、ウルルはそこでフードを下ろした。飛び出た青い耳に、ノルティがあっと息を飲む。

「ご覧のとおり、こいつは兎の獣人、ブローフ族です。ブローフ族。ご存知でしょ? この世で最強の呪いを背負った封じ子のいる一族です。……こいつは封じ子。こいつのなかに眠る呪いは、目覚めさせればたちまち、どんな強力な呪いでもねじ伏せる」

 ウルルは遠慮がちにちょっとだけ頭を下げた。耳がわずかにゆれる。

「俺らがメーフェに登録できないのは――そういうわけです」

 封じ子は忌避されているのでメーフェには登録させてもらえないと言いたいのだろう。スヴィカは曖昧に言葉を濁して、また紅茶をすすった。この場合はくどくどとした説明を避けたほうがなんとなく、信憑性があるように聞こえるから不思議だ。

「どんな解呪師でも、かなわない呪いをこいつは秘めている。どうです? 試しに俺らに任せてみるっていうのは」

 テーブル越しにぐいっと身を乗り出し、スヴィカが最後の一押しをする。ノルティは――すでに陥落している。その目つきはうろんげな客に対する疑いから、自分たちを救ってくれる救世主を信じる確信へと変わっていた。

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