おてて:売れないツンデレデレイラストレーターとデッサン用木製ダウナーハンドモデル


 画力は手堅く纏まってる。

 だけど、どうも今ひとつ印象に残らない。


 あたしが描く絵の評価は、概ねそんなものだった。イラストレーターとしての収入よりもコンビニバイトの収入の方がずっと多い生活を送ること、はや五年。最近では頭の中で“五年程度で弱音を吐くな”ってあたしと“五年やって目が出ないなら才能ないんじゃない?”ってあたしが喧嘩をすることもしょっちゅうで、寝ても覚めてもあまりいい気分じゃない。

 一人暮らしの安アパートの一室にいるとその喧嘩がどんどんヒートアップしていくもんだから、今日はせめてもの気分転換にと散歩に出てみたりなんかして。だけど平日の昼下がり、普通の人なら仕事なり学業なりに励んでる頃合いに、くたびれたスウェットでのそのそ歩く自分が、酷く惨めに思えてきたり。ウィンドウの多い表通りはそれがより顕著に感じられてしまうから、あたしは自分の目から逃げるように、普段は通らない裏路地へ向かっていた。

 それで気付いたら、古ぼけた店構えの小さなリサイクルショップに足を踏み入れていて。近所にこんな店あったんだ、なんてぼんやりした思考は、“それ”を見た瞬間どっかに吹っ飛んでいた。


 何をそんなに心惹かれたのか自分でも分からないまま、切り詰めた生活の中ではかなり手痛い出費も構わずに、これまでの人生でも類を見ないほどの衝動買い。紙袋に入ったそれを小脇に抱えて早足で自宅に戻り、ワンルームの中、小さなデスクの上にそれをことりと置いた今この瞬間に、ようやく冷静になった。


「……なにやってんだろ、あたし」


 最近めっきり増えてきた独り言が、狭い部屋に溶ける。

 これを買う金で、下手すると数週間分の食費は──とても二十代女子が口にするとは思えない限界メシだけど──賄えた。バカなことをしたという後悔が大きく、けれども静かなまま湧き上がってくる。液タブの隣、無造作に転がしたままのペンとメモ帳アナログ用品と一緒に鎮座するそれは、あたしの手よりもほんの少しだけ小さな、おそらく実寸大であろう、木製ハンドモデルだった。


「はぁ……」


 スッパリと切り落とされたような手首を底面に自立する、つるりとした女性の右手。デッサン用でもあり、だけども木目模様や指の節々──球体関節の精緻さは、それ自体が芸術品としての風合いも兼ね備えているような気がする。良い意味で年季の入った雰囲気も相まって、確かに値段相応の価値はあるんだろうと思えた。問題はあたしが、それに相応しい経済状況でないにも拘わらず衝動買いしてしまったということなんだけど。


「……………………とりあえず、描くか……」


 絵の練習にはなる。別に、手を描くのが特別苦手とかってわけじゃないけど──特別上手いというわけでもない──、でもそうとでも思わないと本当に無意味な散財になってしまうから。購入の瞬間、自分の職業すらも忘却してただ魅入られていた……というのは、言わなければ誰にも知られることはない。

 これは未来への投資、意味のある買い物だった。自分すら騙せていないそんな言い訳をしながら、最新モデルと比べるとうんとグレードの低い液タブを起動する。左手で頬杖をついて、手慰みの落書き気分で。とくにポーズも弄らず、袋から出したままの半開きの手のひらを眺め、右手に握ったペンを走らせる。手元の画面とモデルを視線で行き来して。なんとなく、手ではなくこのハンドモデルそのものを──つまり、木目や球体関節もそのまま液晶画面へと書き込んでいく。荒い線で造った全体像、ざっくりと写し取った木の紋様。画面上の、親指の関節にかかる影が気になって、しばらく液タブとにらめっこする。少しだけ修正して、確認のため数十秒ぶりに本物へと目を向けた。


「……ん?」


 違和感。

 画面と本物とを見比べれば、ポーズが変わっていることにはすぐ気付けた。五指全てが少しだけ、先程よりも内側に丸まっている。


「……へたってるのかしら……?」


 関節が。球体関節の構造なんて厳密には分からないけど、それなりに古い品のようだし、あり得ない話ではないだろう。デッサンモデルとしてはいただけないけど。ひとまず書きかけの絵を参考に、ポーズをなるべく元通りにしてから再開する。ちらちらと視線を向けてみても、指が垂れてくる様子はない。


「……」


 そのうちに気にすることも忘れて、意識はまた作画にのみ向き始める。木目の細部をもう少し凝りたい。親指の付け根──母指球にある大きな年輪模様の、その楕円の具合がなかなかしっくりこない。描いては消し描いては消し、そのうちにこれはどうかという線が引けたので、顔を上げて本物と比較。


「…………んー?」


 角度が変わっている。

 関節がどうこうとかじゃなくて、明らかに、手首そのものの向きが動いている。手のひらがこっちを向くように置いていたはずのハンドモデルは今、目算でおよそ60度ほど左方向に回転していた。


「…………無い、わよね……」


 手に取って持ち上げ、底面に車輪などは付いていないことを確認。いや、買った時点でそんなの無いって分かってはいたけれど……でも、確かめずにはいられなかった。見た目には歪みや傾きもなさそうな真っ直ぐな底面を再びデスクの上に置く。描きかけの絵のとおりにこちらを向かせ、しばらく睨みつける。


「……」


 机が傾いてるわけでもなしに、どんな理由で向きが変わったのか。数分間見つめ続けても原因はさっぱり分からなくて、なにか妙な雰囲気を感じながらも、結局あたしは作画に戻った。画面上に線を引き、合間合間にモデルを見やる。観察しているのか監視しているのか自分でも分からなくなってきながらも、だんだんと絵は完成に近づいていった。勿論、作品として凝り始めればこんな程度じゃすまないけど、まあ、手慰みの落書きだし。


 一旦ペンを置いて、画面の中の白黒の手とモデルを交互に見比べる。顔を離して俯瞰で見ると気になる点も出てきて、例えば小指の長さなんかは、落書きとはいえ修正したくなってしまう。すぐさまペンを取り直し、また背中を丸めれば意識はまた液タブへと向かっていく。少し考えてから、一旦小指を根本から全部消した。それからざっくりと長さの当たりをつけて……もうちょっとか?……いやこれは長すぎるか……これ、これくらい……かな。

 確認のために、本物の方へと視線を上げる。


「……っ!?」


 ペンを持っていた。

 あたしじゃなくて、ハンドモデルが。隣においてあったボールペンを握り、今にもメモ帳に何かを書き込むかのようなポーズで静止している。異様な光景にあたしの体は硬直し、だけど全身が総毛立った。


「なに?は?どうなってんの……?何なのよ、これ」


 独り言は自分でも分かるくらい震えていて、応える人なんて誰もいないはずのそれが、まるで合図だったみたいに。


 かりかりかりかりかり。

 

 って、ペンが走り始めた。勿論あたしのじゃない。そいつはもう、隠す必要もなくなったとばかりに、堂々とメモ帳へ何かを書き込んでいる。年代物の木製ハンドモデル。そんなギミックなんて仕込まれてるはずもないただの木の塊が、独りでに、明らかな意思を持って動いている。全く信じがたく恐ろしい光景は十秒足らず続いて、何かを書き終えたらしいそいつが、人間の手と遜色ない動きでペンをデスクの上に置き。メモ帳の上一枚を千切る。紙切れを手にしたままの手首からだがくるりと動いて、こちらへと向き直った。


「っ」

 

 こんな得体のしれない存在に意識を向けられている。恐怖以外想起し得ない状況に、それでもあたしの両目は、そいつが持った紙切れの方へ行ってしまう。尋常ならざる怪異が一体何を書き記していたのか、それは見てしまって良いものなのか。そんな脳内の警告なんてまるで無意味に、視線が吸い寄せられて──


“おててだよー”


 くそちょっと可愛いな。




 ◆ ◆ ◆




 まあ要するに付喪神的なノリのやつらしい。この動く右手ハンドモデルは。

 直立してポーズを取り続けるのは疲れるとかいう理由でデスクに寝そべっているこいつに、悪心がないことはすぐに分かった。うつ伏せ──手の甲を上にして、尺取り虫のように指を動かし這い寄ってくる姿は、愛嬌があると言えなくもない。


“ふつうは気味悪がると思うよ”


 液タブの端にそんなことを書かれた。まるであたしがおかしいみたいな言い草。失礼な、と返す間もなく描いた絵を覗き込まれ、少し背筋が伸びてしまう。まさかハンドモデルのデッサンを当人に見られるだなんて、思ってもみなかった。


“ふつう”


「失礼な」


 流石に声が出た。この右手、痛いところを突いてきやがる。


“わたしのセクシーさがぜんぜん表現されてない”


「セク……シー……?」


“あなただって、わたしに見惚れて買ったんでしょ?”


「む……」


 そう言われてしまえばまあ、そうだ。あの瞬間に感じた抗いがたい魅力をあたしの絵が表現できているとは、確かに思えない。それがセクシーとやらかどうかはさておいて。


“じゃあはい、もう一枚描いて”


「……なんであんたに命令されなきゃいけないのよ」


 とか言いつつ、あたしの手は勝手に動き出していた。ハンドモデルからペンを奪い取って、今のページを日付だけのタイトルで雑に保存し、新しい白紙のページを用意する。もっと描けと言われて、悪い気はしなかった。


「ほら、適当にポーズ取って」


 言えばそいつは、ごろりと身を翻し手のひらを上に向けてくる。デスクの上に寝転がったまま、仰向けに体をさらけ出すようなポーズ。くたりと投げ出された五指からは、なるほど確かに色気を感じなくもない。流石はハンドモデルなだけはあって、本気で描かれるモードに入ったそいつは、全く微動だにせずその場に佇んでいた。いや、それが普通なはずなんだけど。でもそれでいて、こいつに意思があると知っているあたしの目には、生きたモデルを相手にしているときのような息遣いまでもが視えている。ただの形ではなく、“生きた手”を描き表すこと。それを久方ぶりに思い出した気がして、ペンを握る手に力が入った。




 ◆ ◆ ◆



 

 それからしばらく──数時間とかじゃなくて、何日もって意味で──は、ひたすらこのハンドモデルを描くことに時間を費やした。週五のコンビニバイトが終われば、可処分時間のほとんどをそれに費やす。悔しいことにあたしは本当にこいつに魅入られているらしく、口ではぶつくさ言いながらも手は怖いくらいに勝手に動いた。こっちからポーズを指定したり、逆にあっちから“これで描いて”と求めてきたり。とにかく何枚も何枚も、一心不乱に描き続ける。その内に自分でも(多少は上手く描けてるかな?)というものができ始めたから、それをSNSに載せてみたりもした。ぽつぽつとだけど、反応があった。「どこか色気を感じる」「妖しい魅力がある」「この絶妙な脱力感がえっち」「日に日に上手くなってますね!」。描き続けて、載せられる絵が増える毎に、そういう声も増えて行って、まあ、嬉しかった。モデルの方もどこか誇らしげだったし。


 そんなこんなで自信とか承認欲求とかが程々に満たされつつ、とはいえ経済状況は貧窮したままのある日、久しぶりにイラストの依頼が来た。個人の方から。差分ナシの一枚絵で、シーツの上で恋人繋ぎに指を絡めている女性同士……の、片手の肘から先だけ。つまり“手”の依頼。


「当方、こういう手だけで情事を匂わせる描写が大好きなのですが、SNSに載せられているイラストを拝見して、ぜひお願いしたいと思いまして……!」


 分からないでもないが、それ一点だけを欲しがるのは流石に珍しいというか、へきの強さを感じるというか。とはいえ腕を見込まれての依頼、それもここ最近の成長を加味してのものとなれば、嬉しいし断る理由もない。すぐに期限や代金の話を詰めて正式受領した。


「……で。あんたもやる気満々なのは結構だけど」


 声をかけた先はいつものデスク上──ではなく、ベッドの上。白いシーツの上で仰向けに寝転がるハンドモデルの横には“かもん♡”と書かれたメモ用紙が。

 ……まあ。確かに。依頼に沿った絵を描くならそうなるだろう。指をくねらせてこちらを誘うこいつに、あたしの左手を重ねて、それを写真に撮ってモデルにすれば良い。あたしの方だって、最初からそうするつもりだった。でもいざするという段階になると、なんだか妙な気恥ずかしさが浮かんでくる。いやいや木製のハンドモデルに変な気を起こす方がどうかしてる、自分にそう言い聞かせて、やたら扇状的に身を捩るそいつを努めて冷静に見下ろす。


「……すぅ……」


 一息吸って、四つん這いでベッドに上がり、左手を近づける。ふざけた煽りの書かれたメモ用紙をわきにどけて、なんでも無いことだって手を重ねた。


「…………」


 手のひらに伝わってくる、硬い感触。そりゃもちろん木製なんだから、柔らかくもなければ人肌の温もりなんてものもない。ひんやりというほどではないが、あたしよりは明らかに冷たい。よく磨かれつるりとした中に、球体関節と、それからほんの僅かに残った木目の凹凸が、ひどく鮮明に感じられた。


「……、……」


 互いの指をゆっくりと絡めていく。指と指のあわい、人間あたしにはある水かきの名残りのような僅かな薄膜が木製のこいつにはなくて、そこが一番の違いかもしれないと、頭の片隅で思った。硬質な細指で、そこが軽く圧迫される。躊躇なく曲げられた五指が手の甲をぎゅっと抑え込んで、こっちも反射的に、同じように。シーツとこいつとのあいだに指を滑り込ませ……ようとしたら、こいつは自ら手の甲せなかを浮かせて、指を曲げやすくしてくれた。いっちょまえな気遣いに、妙な気分がまた湧き上がる。


「……」


 冷たかったはずのこいつが、少しずつ温くなってきてる。勝手に発熱する機能もなかろうに、あたしの手から熱が移ってるんだろうか。熱が伝わりにくいはずの木材が、こんなにも早く温もりを帯びていく。つまりそれだけ、あたしの手が、体が熱くなってる。気付いてしまった瞬間、さらに全身がかっと火照った。額と背中と、そして手のひらから、汗が一気に吹き出すのを感じる。咄嗟に、密着していた手のひらを浮かせる。だけどがっちりと絡められた指を振りほどくことができず、一瞬だけ離れたあたしの手のひらは、こいつの硬いそれにまた押し付けられた。ぱちゅっという肉を叩く音、あるいはほんの小さな水音が、じんじん痺れるあたしの耳に届く。自分がそんなに濡れてることが恥ずかしいし、気持ち悪くないのか、離すどころかより強く握ってくるこいつの考えがさっぱり分からない。

 不意に、こいつの人差し指が動いた。浮き上がっていたあたしの血管を一筋、撫でるように。ぞわぞわするような感触と、硬い指先に押され青い管がひしゃげていく光景が、あたしに大きく息を吐かせた。


「……っ、写真、とるわよ」


 このままじゃまずい。そんな気がする。だからとにかく、本分を。

 茹だった頭でなんとかそう判断し、右手でスマホを構える。四つん這いだったところを片手を浮かせる形になったのだから、当然、残った左手が体重を受けて沈み込んだ。握ったこいつを、ベッドに押し付けるみたいに。バランスが変わったからか、掌底を起点にあたしの手が僅かに反り上がる。指が少し浮きかけて、だけどお互いに離れがたく結びついたまま。

 スマホの画面越しに見るそれは絡み合う生き物同士そのもので、シャッターを切る指は震えていた。数枚、角度を変えてまた数枚、ピンチアウトなんてできるはずもないから、スマホの方を直接近づけて、さらにもう何枚か。最近のスマホの手ぶれ補正の凄さには感謝しかない。撮った枚数もよく覚えていないまま、もう限界だと訴えてくるあたしの中のなにかに従って、スマホを放り投げた。


「っ、はい、おわりっ、離すわよ……っ」


 なんとか声に出して伝えれば、今度はこいつも、ちゃんと手を離してくれた。指が解かれ、指を引き抜き、ベッドにへたり込む。見ればあたしの左手のひらには、目視で分かるほどに汗が浮かんでいた。その惨状に思わず、あいつの方にまで目を向けてしまって。シーツの上で弛緩するそのからだが、あたしのに塗れててらてらとぬめりを帯びている姿が、否応なく脳裏に焼き付いた。




 ◆ ◆ ◆




「いやもうほんとにもう最高ですもうほんとにありがとうございます!!!!!」


 納品してすぐ、そんな感じのメッセージが届いた。

 双方了承のうえでSNS上にあげてみたところ、なんか自分史上見たことないくらいの反応があって、“めちゃくちゃえっちな百合手繋ぎを描く人”としてちょっとバズった。以降それ方面の依頼もいっぱい来るようになった。


 まあ、絵を褒められるのは嬉しいし、仕事が来るのは良いことだし。相変わらずモデルの方もノリノリだし。おかげさまで懐事情も徐々に改善されつつあって、最近では“未来への投資”ってのもあながち間違いじゃなかったかもと思い始めている。

 なんにせよ依頼を貰えるからには、できる限りのことはしなくちゃならない。それにあたしはまだ、こいつに感じた魅力の全部を描き表せてない。もっといっぱい、描きたい。だから、ほら。


 

「──今回のは“あごクイしてる指先のどアップ”ですって……その、ほら、やるわよ──」




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 長らく間が空いてしまってすみません。

一応少し前に本シリーズのちょっと長い話を別作品枠で投稿していたりしまして、もしよろしければそちらの方もどうぞ↓


「ダウナーダイバー×テンタクル 〜逆恨みでダンジョン深淵層に落とされ隻腕になったS級探索者さん、ツンデレデレ触手ちゃんと出会いなんやかんや頑張る。あと配信とかもする〜」

https://kakuyomu.jp/works/16817330662948638581


あとできれば今月中にえっち版の方も更新します頑張ります。

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