第1話 蒼穹の下で物語は始まる
蒼穹の下で物語は始まる #1
「――う?」
目を開くと彼の目の前に広がっていたのはどこまでも広がる雄大な草原だった。
都会では感じたこともない青臭い草原の臭いに戸惑うと、彼は立ち上がった。
だが……立ち上がると自分に違和感を覚える。
身長が違う、「え?」と声を上げると、今度は声が違う事に驚いた。
裕也は周囲を挙動不審にキョロキョロすると、近くに綺麗な泉がある事に気がついた。
迷わず駆け寄ると、裕也は水面に映る己を見た。
「違う、これが俺……?」
戸惑い、恐怖? 水面に映る裕也は彼が死ぬほど渇望した普通の顔だった。
彼は自分の顔をペタペタ手で触ると、間違いなくこれが転生した自分なのだと理解した。
異世界転生……裕也にラノベやアニメの知識は少々疎い。
ずっと仕事漬けで、家に帰っても飯を食って寝るだけの生活で、娯楽など長らく経験していない。
彼は涙腺に涙を蓄えると、すぐに目を腕で擦った。
自分は……変わるのだ、裕也は女神の前で情けない姿を晒してでも決意した。
もう不摂生が祟り、心臓麻痺で死亡した自分ではない。
ここは間違いなく日本ではなく、ぼんやりと女神の言葉を思い出す。
「ここが……エーデル・アストリア?」
異世界エーデル・アストリア。
剣と魔法のファンタジー世界に、裕也は転生を果たした。
彼の目の前には不可思議が広がっているのだ。
§
彼が雄大な草原に歩き出すと、目の前にある馬車が立ち往生していた。
裕也はその馬車が普通じゃないと気づくが、物怖じせずに駆け寄った。
「だ、大丈夫、ですか!」
「うん? ああ……ちょっとドジっちまってな?」
草原にぽっかり空いた沼がある。
荷台の車輪が沼にハマり立ち往生していた。
その馬車の持ち主なのか、商人風の服装の老人は困り果てていたのだ。
馬車を引っ張っていたのは、一匹のドラゴンだった。
「アギャアス」
「う、ドラゴン?」
「違う違う! こいつはディノレックスさ!」
「ディノレックス? 恐竜?」
翼を持たない獣脚類を思わせる体長四メートルのディノレックスは裕也に興味津々で鼻を寄せた。
裕也はビクリと背筋を震わせると硬直してしまう。
「と、ととと、兎に角手伝います!」
裕也は馬車――もとい竜車の後ろに回ると、荷台を必死に押した。
だが荷台は中々沼から出てこない、それでも裕也は踏ん張った。
誰かの役に立ちたい――子供の頃に格好良いヒーローに憧れた。
ヒーローはいつだって対価を求めない、酷く現実から乖離していたが、今の裕也の原動力になり得た。
「ふんぬううううう!」
「ギャアス……ググ!」
やがて裕也に応じるようにディノレックスは、草原に爪を突き立てた。
少し、少しだけ軽くなったのを裕也は感じると、荷台は勢いよく沼地から飛び出した。
「やった……て、うわあ!?」
裕也はやり遂げたと、歓喜したのも束の間、バランスを崩してバッシャアアアンと派手な音を出して沼に顔から突っ込んだ。
それを見た老人は「カッカッカ!」と笑う。
「助かったぞ! それよりお前さん大丈夫か?」
「……ふぁ、ふぁい」
顔を泥パックしたように真っ黒にした裕也は顔を上げると、老人は思わず吹き出してしまう。
情けない姿を晒した裕也は恥ずかしくて視線を逸した。
「ワシは商人をやっておる、ソロスという」
商人ソロスは手を差し出すと、裕也はソロスの腕を掴んだ。
ソロスは沼から裕也を引き上げると、泥まみれの裕也に荷台から真っ白なタオルを差し出した。
裕也はそれを受け取ると、顔を拭く。
「俺はその……ユウって言います」
どう名乗るべきか、裕也は逡巡した後、新しい名前を名乗った。
もはや榊原裕也は存在しない以上、彼はユウとして生きる事を決断した。
「ユウか、見たところ旅人にしては装備がない……魔法使いにも見えんが?」
魔法? ユウは目を細めた。
やはり異世界、ユウの知識が知らない言葉に強い興味を惹かれた。
魔法といえば、呪文を唱えたら火が出たり、ゴーレムを使役したり、そんなファンタジーな物を想像する。
「まあいい、もし訳ありなら台車に載るがいい、街まで案内してやるぞ」
「い、いいんですか? ほ、本当に訳ありですよ?」
「構わん構わん! どうせ世の中訳ありだらけじゃ!」
そう言うとソロスは手綱を握り、鞍に乗った。
ユウは恐る恐る荷台に乗り込むと、ソロスは号令を発した。
「
ディノレックスは号令を受けて走り出した。
その一歩一歩は力強く、草原が爆ぜるように抉られていく。
ガタガタと揺れる荷台に裕也は「ワワッ」と慌てた。
荷台の中は狭く苦しい、恐らく商品が詰まっているのだろう。
「ちと揺れるが勘弁してくれよ! 配送が遅れておるでな!」
ソロスは「カッカッカ!」と笑うと、乱暴にディノレックスを操り、荷台は無茶苦茶な揺れに晒された。
老人ソロスは豪放磊落というか、細かい事を気にしない質に思える。
その性格が災いして、沼地に気づかず飛び込んだのだろう。
やがて揺れにも慣れるとユウは荷台から顔を出すと、周囲を覗き込んだ。
異世界は何もかもが物珍しい……だが、ユウは妙な事に気がついた。
「なんだか寂しい場所、ですね?」
「ここは旧ウォードル帝国の都市じゃった。しかし相次ぐ戦乱で弱体化した帝国は体制を維持できず、内戦で瓦解、そんな中でここは放置されたんじゃよ」
「ウォードルとは?」
「なんじゃなんも知らんのか?」
ソロスは異世界知識の全く無いユウに首を傾げる。
だが仕方がないと、彼に説明する。
ソロス曰く、ここはエーデル・アストリアという世界。
エーデル、なんだかあの女神の名前に似ていると思えたが、女神がエーテルで、世界がエーデル?
思わず首を捻るがユウに答えは出せなかった。
異世界エーデル・アストリアにある大きな大陸があり、その大陸東部こそがウォードル帝国領と呼ばれた地域だった。
帝国は諸侯が乱立する強大な国家だったが、今や分裂に分裂を重ね、戦乱で荒廃した土地が放棄されてしまったらしい。
ここもそんな遺跡の一つで、今や自然に侵食された様から、その戦乱も久しいのだと分かる。
とはいえ人々は住んでいた国に居残った物も多いのだろう。
ソロスのような陸運に携わる商人の需要は大きいことがわかった。
「つまり、お主記憶喪失と?」
「まあそんな所です」
あんまり質問するのも申し訳ないが、ユウは異世界に対して無知すぎる。
現代知識でチートすると言っても、それを活かせる舞台が無ければ、結局は遭難者と何も違わないのだ。
そんなユウの境遇に憐れんだソロスは涙ぐむと、ユウに言った。
「よっしゃ! それならユウはワシが面倒見てやる! どんと頼るが良い!」
「え? あの……そこまでは……」
「何々! 気にするな! 助け合いじゃ、カッカッカ!」
ソロスはかなりお人好しだろう。
ユウは思わず困ったような顔をするが、やがて諦めた。
実際右も左も分からないのは事実なのだ。
どうすればいいかも分からない中、ソロスの存在はありがたかった。
ユウはふと、空を見上げた。
空はあの女神の髪を思わせるような蒼穹に染まっていた。
――貴方を必要とする世界があります。
あの女神の言葉が再生される。
「自分を必要とする……か」
ユウは己の手を見た。
この取り立てて特別感のない普通の手、――それでさえ榊原裕也にとって欲しくても手に入らなかった物だが――、一体自分になにが出来るのだろう?
必要とされている……嬉しい事ではあるが、今まで己で選択した事がない。
果たして大丈夫なのか、期待よりも不安の方が大きいのは事実だった。
ガタンガタン、竜車の揺れに慣れる頃、前方に猥雑な都市が差し迫った。
旧帝国領、キリス公爵の支配する都市アシリスである。
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