第7話 まだ傷は深く
飲み物を運んで部屋に戻ると、エリオは眠っているようだった。
その寝顔はあまり良いものではない。
目の下には濃いクマがあるし、頬はこけているようにも見える。
元は端正な顔立ちをしているはずなのに酷い状態で、青白い顔もどこか生気のある人には見えなくてゾッとした。
このまま永遠に目覚めてくれないのではないかと、今すぐにでも起こしてしまいたい衝動に駆られた。
でも今は休息が必要なはずだから、せめてその眠りがどうか安らかなものであってほしいと願った。
音を立てないように飲み物をテーブルに置き、その隣にお母さんのブローチも置いた。
見守っていてほしいと、そんな思いで。
普段はこんなことはしないのだけど、今すぐにエリオの生きようとする気力が消えてしまいそうで、怖くて何かに縋りたかったのだと思う。
今は目の前で誰かに死なれたら耐えられそうにない。
それで、部屋を出てお店の方の仕事に戻った。
エリオは、夕食も食べずにずっと眠り続けていた。
もしかしたら、何日もちゃんと寝ていなかったのかもしれない。
疲労が色濃く出ていた顔を見れば納得できる。
何度か様子を見るために部屋に行って、そのたびにちゃんとそこに眠っていてくれることに安堵したのだけど、エリオの様子に異変が生じたのは夜中になってからのことだった。
エリオは、夜中にとてもうなされていた。
誰かに行かないでくれとずっとうわ言で言っていた。
手を伸ばして、その誰かを引き止めようとして。
青白い手がもがくように宙を掻き、自分が代わりに行くからと、死ぬのは自分で十分だと言って。
それを聞いて、私の方が涙が溢れていた。
誰かの代わりに死んでいいはずがないのに、優しい人ばかりがつらい思いをしている。
「エリオ」
その手を握って声をかけると、ビクリと体を震わせたエリオは目を見開いて私を見た。
「起こしてごめんなさい。でも、とてもうなされていたから」
それを伝えると、エリオはゆっくりと上体を起こして片手で顔を覆っていた。
表情を隠すようにうつむいている。
「心配をおかけして、申し訳ありません」
「心配はするよ。たくさんする。それは、あなたに元気になってもらいたいから」
憔悴しきったエリオの手の隙間から、涙がこぼれていた。
この人は今、本当に心も体もボロボロなんだ。
戦場で負った心の傷は、体の傷のように目で見えてはくれない。
エリオがどれだけ辛い体験をしたのか。
戦場が悲惨な場所であるのはわかりきっていることだ。
その戦場でエスティバンさんは命をかけて国を守っていることは理解している。
戦場からは逃げることはできないのに、たった半年で侯爵家から逃げ出した私は、自分勝手だとは思う。
お兄ちゃんの遺言だと言われたのだとしても、自分で決めて、あの人の手を取ったのに。
お兄ちゃんの手紙に、エスティバンさんのことがよく書かれてた。
不器用だけど、いい奴だって。
お兄ちゃんの手紙には、お兄ちゃんが戦場で知り合った人達のことがたくさん書かれてた。
その中でも特に、エスティバンさんとレアンドルさんのことが書かれていた。
レアンドルさんは魔法使いで、すごい人と友人になれたと興奮気味に手紙に書かれていたことを覚えている。
戦場でかけがえのない友人ができたことは、唯一の幸せだって。
それは、私にとっても嬉しいことだった。
兄の葬儀の日、エスティバンさんが来た。
両親を失って家族は兄だけだったのに、もう、自分一人で歩いていけないと思うほどに、深い悲しみの中にいた。
そんな私にエスティバンさんは告げた。
『君の兄の遺言に従って君を迎えに来た。私は君のことを君の兄に託された者だ。これから住む所を失い、財産もまだ自由にできずに苦労することがわかっている君を放置できない。そしてこれは、君の兄への償いの意味もある』
その時は何よりも、誰かに心の支えになってもらいたいと思って、それが兄を知っている人ならと、その手を取った。
お金のことは自分でどうにかできたとしても、一人で過ごしていかなければならないことには心細さがあった。
お兄ちゃんは、本当はなんの心配も無いようにとたくさんのお金を残してくれていたはずだった。
でも、相続によって女性に土地や大金が渡る時、面倒な手続きや時間がたくさんいる。
それには数年かかることもある。
私が成人になったばかりのせいですぐにお金を引き出すことができなかったのに、それを、信じられないことにあの侯爵家の人達が勝手に使い込んで。
侯爵家の弁護士って人が、いつの間にか私の預金を引き出していた。
手数料だと言って、ほとんどの預金を引き出してしまって。
あれも全部、エスティバンさんは知っていて放置したのかな。
私のことを我儘だと言うくらいには、好意的ではなかったのだから。
今頃私を探しているのか、今さら心配はしていないだろうけど、でも、お兄ちゃんの部隊を引き受けたことを考えると、私がいなくなったことが知られると困るのかな。
お兄ちゃんはいい人って言っていたのに……
グッと、私の手が握られて我に返った。
少しだけ考え事をしていると、まだ片手で顔を隠しているエリオには涙が止まった様子はなく、無意識のうちに私の手を握りしめていたようだ。
いけない、自分のことよりもまずは目の前の人だ。
「痛みはどう?スープがあるから、温めて持ってくるけど、食べられる?テレーズさんからお薬を預かっているの。だから、少しでも食べたほうがいいけど」
「……はい……いただきます…………」
弱々しいながらも返事はあった。
「じゃあ、持ってくるね。少しだけ待ってて」
そっと握られていた手を離すと、そこで初めてエリオはそのことに気付いたようだ。
「申し訳ありません」
涙が残る顔を上げて、すまなそうに私を見た。
「気にしないで。先に勝手に触れたのは私の方だから。スープと薬を持ってくるね。辛かったら横になってて。寒くはない?」
「はい。大丈夫です」
「うん。それじゃあ、すぐに戻るね」
エリオの様子を確認して、離れても大丈夫だと判断してから椅子から立ち上がると、急いで階下の厨房へと向かった。
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