第6話 罪悪感

 部屋に案内したエリオに、最初にベッドに座るように促した。


 顔色が酷く悪いので、立っているのも辛いはずだ。


 遠慮がちではあったけど、エリオは移動してそこに腰掛けてくれた。


「怪我の手当をさせて。お医者さんにはみてもらっているの?」


 でも、それにはすぐにやんわりと断りを入れてきた。


「お嬢さんに見せるものではないです。それをお借りできれば、僕が自分でしますので」


 エリオは表情を曇らせている。


 赤の他人に自分の体を見せたくないのも当然だ。


「どうしても見られたくないとかなら無理強いはしないけど、お兄ちゃんがよく、怪我をした人をうちに送ってきていたの。それでやり方は自然と覚えて、大きな怪我には慣れているし。いいかな?」


 エリオが頷いたのを確認して、服をめくった。


 露わになったのは、胴体に巻かれた茶色く汚れた包帯だ。


 その汚れた包帯を外すと、悪い状態ではないけど、完治とは言えないじゅくじゅくとした腹部の傷口があらわになった。


 刃物によるものだ。


 元がよほど酷い傷だったようで、大きな傷の方は治りかけてはいたものの、一部がまた開いて血が滲み出ているようだった。


 その隣には、治ったばかりのような傷もあって……


 火傷の痕のようなものまであるし……


「酷い……あなた、すごく我慢してたんじゃないの?」


 今でもかなり酷い傷だった。


 これでは兵役中でも戦線からは離されたはず。


「こんな状態で動いたら辛かったんじゃない?」


「そんなことはありません……こんな傷なんか大したことではないのです」


 それも気になる言い方だけど。


「普通の傷薬で治るかな……貴方には、休息と栄養が必要だね。お願いだから、これ以上の無理はしないでね」


 薬を塗って、新しい布をあてて、包帯を巻く。


 それだけでもエリオには痛みを与えてしまっていたようだった。


「夕食までは休んでて。痛み止めの内服薬がいるかな?テレーズさんに相談してみるね」


 背中を支えてあげると、エリオはゆっくりとした動作で横になってくれた。


「生きなければならない人から死んでいって……僕なんかが……」


 天井をぼんやりと見上げながら、そんなことを呟いている。


 自分が死んだほうがよかったって言いたい口ぶりだ。


 以前にも似たようなことを聞いた。


 部隊の人が全員戦死して、自分だけが生き残って、自分には家族はいないのに、どうして自分が真っ先に死ななかったのかと、その人は言っていた。


 それを聞いて、酷く胸が痛んだのを今でも覚えている。


「戦争のせいで悲しいお別れはどこででもあるよ。自分が生き残ったことを責めないで。私は貴方が生きていてくれて嬉しいよ」


 少しだけ話すつもりで、椅子を移動させてベッドサイドに腰掛けた。


「生きてる価値を問いたくなるような本当に酷い人って、もっと別の場所にいるんだから。聞いてくれる?私には、お兄ちゃんが遺してくれたお金があったんだけど、知らないうちに知らない人に全部持っていかれたの。お兄ちゃんを知らない、血が一滴も繋がっていない人達が全部持っていっちゃったんだからね。さすがに怒りたくもなるよ。本当に酷い人って、そんな人達のことを言うんだよ。でも、見て。これだけは守ったの」


 肌身離さず持っていた真珠のブローチ。


 それを手に取ってエリオに見せた。


 お母さんのお気に入りで、よく似合っていたものだ。


 お兄ちゃんが出征する数年前に、両親は事故で二人同時に他界してしまった。


 こっちが恥ずかしくなるくらい仲の良い両親だったから、最後まで一緒だったのはせめてもの救いだ。


「これはお母さんの形見で、お兄ちゃんが出征する日に私にくれたの。結婚する時に、両親がお揃いで作ったんだって。これを見てたらお母さんに見守られているみたいで。お兄ちゃんともまだ繋がっている気がして。頑張って生きなきゃって。お兄ちゃんにこれ以上、心配かけられないから。お父さんの物が対であるのだけど、そっちはお兄ちゃんが御守りとして持ってたから…………」


 って言ったところで、目の前の人が涙をボロボロこぼして泣き出したから、焦った。


「何か、あなたが困るようなことを言ってしまったかな?お母さんのことを思い出させてしまった?」


 年上だと思う人がこんなに泣くのはよほどのことだ。


「あ、でも、無理して泣き止まなくてもいいんだよ。感情を吐き出すのは大切なことだから」


「ごめんなさい……申し訳ありません……」


 エリオは、それを繰り返しながら顔を覆って泣いていた。


 ハンカチで涙を拭ってあげても、エリオの辛そうな嗚咽はしばらく漏れ聞こえていた。


「落ち着いたかな?」


 泣き続けるエリオの頭をずっと撫でて、見守ることしかできなくて、それでようやく嗚咽は聞こえなくなった。


「みっともない姿をお見せして……申し訳ありません…………」


 今は涙は止まったようだけど、私が渡したハンカチで目を押さえて表情を隠している。


 きっとしばらく泣くこともできなかったのだろうから、私がそれをみっともないだなんて思うことはないけど、成人男性からしてみれば人に見られて平気なはずはない。


「何か飲み物を持ってくるね。ちょっと待ってて」


 ちょっとだけ席を外す方がいいかと、エリオが頷いたのを確認してから部屋を出た。


 みんな、色々とつらい思いを抱えている。


 でも、戦場で負った心の傷は時が解決してくれるのを待つしかない。


 早く戦争が終わってほしい。


 いくら戦時中の特需で景気が良いと言っても、エリオのような人がたくさん増えれば、どこかに悪い淀みはたまっていく。


 会ったばかりの私が大したことはしてあげられないから、せめてエリオには温かい飲み物を届けてあげようと、お店の調理場へと急いだ。





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