ルージュの伝言

凰 百花

ルージュの伝言

夫が仕事に出かけてから、洗面所の鏡に伝言を残した。いつも身綺麗を心掛けていて、出掛ける前と帰ってきた時に洗面所の鏡を覗く夫の事だ。帰ってき時にこれを見てどんな顔をするだろうか。そんな事がふと頭によぎっって苦笑いを浮かべた。大きめのスーツケースとともに、玄関を出て鍵をかけた。


 飛行機から電車に乗り換えて、窓際の席から移り変わる景色をぼんやりと眺めていた。色々な事が思い出されてきて、様々な想いが過ぎる。夫の転勤で暮らしたことのない九州で生活して3年が経った。転勤について行くためそれまで勤めていた会社を辞めた時のことを思い出す。

「体には気を付けてね。息子が頼りにならなかったら、いつだって戻ってきてもいいのよ。もううちはあなたの実家にもなるんだから。」

絹子さんが笑いながらそう言うと、

「こっちに戻ってくる時には、私らにも連絡ちょうだいね。坂城さんも頼んだわよ。二人だけで完結しないでね」

職場の他の同僚達もそう言ってくれた。

高校を卒業してからずっと勤めていた職場で、皆にもお世話になった。この職場で知り合った絹子さんは、年の差は大きかったが頼りになる友人でもあった。仕事を辞めることよりも、絹子さんに会えなくなることの方に寂しさを感じていた。

営業成績が一番で面倒見がよく、気さくで職場の人に慕われてた絹子さん。

「あなたに任せとけば安心だもの」

と言ってもらえると嬉しかったし、事務仕事の張り合いにもなった。絹子さんとは、職場では先輩と後輩で、割とよく一緒に食事に行った。皆で行くときもあったが、二人で行く事も多かった。割と気が合ったからだろう。家に帰ってもひとりの私は、一緒に食事に行くのが好きだった。


 いいお肉が手に入ったというのでバーベキューをしようということになり、絹子さんの家に皆でお呼ばれした時に、あの人に出会った。最初の印象は、目元が絹子さん似だなって思ったくらいだった。

美味しい肉に誘われたのかのように紛れ込んできた若い青年を絹子さんが不肖の息子だと皆に紹介した。出かけていたのが、予定よりも早く帰ってきてしまったらしい。年を聞くと私のニつ年下だという。

「幹哉です」

人懐っこい笑顔は、絹子さんにそっくりに見えた。

皆んな、年下の男の子をからかっていたけど、中々どうして上手くくぐり抜けていた。女性との会話になれている様子に見えた。そこら辺を突っ込んだ同僚に

「いや〜、今のバイト先がスーパーなんで、陽気なお姉様方に沢山囲まれてるんですよ」

「そこで、オバサンに囲まれているって言わないのは、評価してあげよう」

 そんな話をして皆んなで笑った。


 その時は、殆ど話していなかったけど、時々、絹子さんの家に遊びに行くようになって、顔を合わせる機会ができた。


そのうち、幹哉さんに誘われて、付き合うことになった。私のほうが2つ上だったけど、気にならないと言われた。


でも、付き合うようになったと絹子さんに告げたときは、少し心配された。

「母親の私が言うのも何だけど、あの子チョット浮気性なところがあるのよ。気をつけて」

付き合っているとき、本当はどうだったのだろう。私は気が付かなかったけれど。


 結婚して幹哉さんの転勤で、九州へ。小さな事務所で事務のパートを見つけて、馴染みのお店ができて、そんな風に日々が過ぎていった。

ある日、気がついてしまった。幹哉さんの浮気に。問いただしたら、最初は誤摩化された。それで証拠を見つけて、突きつけると居直られた。

それでも話し合って、そのお相手と別れるからと言われた。

「ホンの遊びのつもりだったんだ」

 そう言ってたけど。


 一年経った今、別れてないのが判ったのは、お相手からの伝言。出張してきたカバンの中身にあった着替えたワイシャツの背中に付いた口紅のあと。ポケットには小さなカード、

「2つも年上なんでしょう」

幹哉さんて間抜けだわ、そう思ってしまった。


 知った直後は大きく心が揺らいだ。でも、その後は。冷静に考えられたかどうかはわからないけど、私は彼に何も告げずに出て行こうと決心した。

自分の荷物はトランクルームに預けた。


 それから鏡に伝言を残して、側にはあのワイシャツも洗わないまま置いてきた。


 電車で外の景色を見ながら考えている。私はなんであの人と結婚したんだろう。

暫くはホテルにでも泊まろうと思っていた。でも、家を出て絹子さんに連絡をしたら。

「うちに来てね。絶対よ」

そう言ってくれたから。飛行機に乗って電車に乗り継いで、絹子さんの家に近い駅へと向かっている。彼女と駅で待ち合わせをしているから。

 大きなスーツケースをかかえて、駅のホームに降り立つ。改札口へ向かうと、待っている絹子さんの姿が見えた。懐かしい思いで胸いっぱいになる。

ああ、そうなんだ。私は絹子さんと家族になりたかったんだ。


「ただいま、絹子さん」

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