第5話
俺は考えあぐねて、結婚式で会った彼の職場の上司の人に連絡を入れた。メールではなく直接電話を掛けた。メールを私用で使っていると思われたら相手にも迷惑がかかるからだ。
「突然お電話して申し訳ございません。A君の結婚式で御名刺を交換させていただいた江田と申します」
俺はできるだけ礼儀正しく話した。
「ああ。何か?」
相手がそっけなかったので、電話したことを後悔した。
「実はA君の様子が心配だったので、彼の実家の方に連絡したいのですが、連絡先がわからなくて…」
「ああ、A君はもう会社をクビになりましたよ」
「え!」
その人は苦々しそうな口調だった。迷惑をかけてやめたんだろうという気がした。
「無断欠勤して急に来なくなったので…家に電話したら『もう、仕事辞めます!』って言うんですよ。社会人としておかしいでしょ。無断欠勤しといて謝りもしないし」
「そうだったんですか…知らなくて。お電話してしまってすみません。先日Lineで連絡があった時もおかしくて。いつ頃から会社に行ってなかったんでしょうか」
「新婚旅行、行って以来ですね」
もう何か月も経っているじゃないか。彼はとっくに会社を辞めていたんだ。
「そうですか…新婚旅行で何かあったんですね?」
「まあ、そうでしょうね。前から変だったんで、クビになるのも時間の問題でしたけど」
「はあ」
俺の身内ではないが申し訳ない気がしてきた。
「今、どうしているかご存知ですか?彼、生きてますか?」
「はは。知りませんよ。関わりたくないし」
「そうですか…申し訳ありませんでした」
俺はこの件からは完全に撤退することにした。A君は芽瑠ちゃんの幻覚と戦いながら生きていくんだろう。俺にできることはない。新しい薬を続けていれば、幻覚も収まるに違いない。彼から連絡があったら…その時は…。
駄目だ。俺は悟った。俺には彼を支えることはできない。
俺は上司の人との電話を切ってすぐに、A君のLineをブロックした。冷たいように聞こえるかもしれないけど、もう関わりたくなかったからだ。俺だって大変なんだ。誰だってそうだろう?人のことになんかかまってられない。
その後、俺は随分苦しんだ。彼が死んでしまったら俺のせいなんじゃないか。彼に恨まれたらどうしよう。俺が彼の妄想を助長してしまったんだろうか。その思いが延々と頭の中をめぐっていた。仕事も手に付かないほどだった。
電車に乗る時は後ろから彼に突き飛ばされるのではないか。
階段を降りている時に、後ろから押されるんじゃないか。
そんな妄想が頭から離れなかった。
俺はきっと恨まれているんだ。
***
あれからどれくらい時間が経っただろう。A君のことで頭がいっぱいで、片時もその負のループから逃れられることはなかった。
俺は管理職として相変わらず忙しい毎日を送っていた。仕事の間もずっとA君のことが浮かんでは消え、俺は苦み続けていた。すると、急に内線電話が鳴って、俺宛てに電話が来ているということだった。相手はA君だった。面倒臭いから、「出張行ってるって言ってください」と伝えた。そして、「もう、取り次がないでください」とも…。若干の後ろめたさはあったけど、俺も彼の話を聞く心の余裕がなくなっていた。
それから、数日後、内線で再び「Aさんという方から電話です」と伝えられた。
「すみませんが、断ってもらえませんか?セールスだと思うんで…出張って言っていただきたいんですけど」
「いえ…年配の女性の方で。何だかご不幸があったみたいで」
電話に出た人が言った。俺ははっとして電話に出た。
A君が亡くなったんだ。不謹慎だけど、俺はほっとしていた。
「Aの母です。お仕事中、申し訳ありません」
「いいえ。何かあったんですか?」俺は神妙な顔をして尋ねた。声が震えていたと思う。
「Aが亡くなりました」
ああ、やっぱり…。俺は絶句した。
「もしかして自殺ですか?」
「はい」
きっと芽瑠ちゃんの存在に耐えられなくなったんだ。「A君。行ってあげなくてごめん」
俺はさらに追い詰められた。
どうしよう…俺のせいで人が亡くなってしまった。
悔やんでも、もう、彼は永遠に戻って来ない。
ごめん。ごめん。ごめん…。
***
その翌日。彼のこじんまりした葬式に参列した。結婚式同様寂しいもので、親族以外の参列者は一人もいなかった。
俺は出棺の前に、棺に入った彼の死に顔を見た。彼は昔の金八先生みたいな髪形になっていた。つまり、髪を両サイドに垂らしていて、眉毛は細く整えられていた。唇にはピンクの口紅が塗られていた。
「A君変わりましたね」
はっきり言って、似合っていなかった。それがおかしくて、笑いそうになった。
「真人君は最近、女装してたんですか?」
声が震えていた。
お母さんは気まずそうに「はい」と言っただけだった。隣にお父さんが立っていた。どことなく品があって、変な息子に振り回されて来たことが、ますます気の毒に思えた。その人は元財務官僚だったと聞いていた。
「Aは昔から薬やっててね…最後の方は頭がおかしくなって、自分が女だと思い込んでたんだよ」
「おとうさん!やめて」
隣でお母さんがわっと泣き始めた。
「友達だって、江田君しかいなかったし…。あいつのせいで妹もなかなか結婚できなくてね。大学から海外に留学して、あっちで結婚したまま一回も戻って来ないんですよ」
「やめてよ~お父さん、お願い!そんなこと言わなくていいじゃない」
お母さんが旦那を止めようとして裏返った声を上げた。
「男のくせにスカート履いて出かけたりして。近所に恥ずかしかったよ」
「いやぁ…。それは…」
俺は両親を慰めるために、今はトランスジェンダーは普通ですよと言おうとしたが、その時はっとした。
そうか、A君は芽瑠ちゃんに体を乗っ取られてしまったんだ…。きっとそうだ。A君に女装の趣味なんかなかった。お母さんは目頭を押さえながらうつむいていた。俺はどんな顔をしていいかわからなかった。
さっきの変な髪形と、下手な化粧に、スカート!
俺はトイレで一人になった時、大笑いした。
***
あれからどれくらい経っただろうか。
俺はA君のことを一日も忘れたことはない。むしろ、片時も忘れたことがないと言った方が正しい。彼は腫瘍のように、俺の人生の一部になっている。黙っているとA君のことを考えてしまう。だから、常に忙しくしている。仕事の後は、もう一つの仕事を掛け持ちして、くたくたになるまで働く。夜寝るのは騒々しいカプセルホテル。鼾が煩くて寝られない。それでも一人になるのが怖くてたまらないから、そうしている。
***
実は今アメリカのL.A.に来ている。
メジャーリーガーの彼氏が俺にプロポーズしたいらしい。
この後、彼の家に行くことになっている。
その人は日本人なら誰でも知っているような有名な人だから、付き合っていることは誰にも言ったことはないけど、もうすぐマスコミにばれると思う。その時は「あ、これを書いているのはあの人だ」ってばれてしまうだろう。今まで書いたことは、あまりに赤裸々過ぎるかもしれない。
俺たちの結婚がマスコミに出る前に、この投稿は消してしまうかもしれない。そうなったらごめんなさい。
見えない物との結婚 連喜 @toushikibu
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