第4話

 俺は足元で芽瑠ちゃんに見られているような気がしながら、わざとらしく猥談に花を咲かせていた。思い込みというのは重要だ。俺はキャバクラにいるような気分になって、我を忘れて喋り倒していた。傍にかわいい子がいると感じて、勝手に興奮していた。時々、芽瑠ちゃんが座っているクッションを見た。足元にショートパンツのかわいい子が座っている気がした。


 俺はうぶな子に猥談を聞かせるという嫌がらせを気が済むまでやって、もうキャバクラに行く必要なんてないと錯覚し始めていた。


 そして、家に帰ってからは、続きをやりたくて、好きな女優と手錠で繋がれているさまを想像してみた。酒を飲み一人で壁に話しかけた。これからは、A君と同じように始終一緒にいるんだと意気込んでいた。


 しかし、すぐに酔いは冷めた。俺にはそんな現実離れした空想は無理だった。俺の目の前には何もない。足元にはフローリングの床があるだけだ。質感も、質量も、匂いも、何もない。やっぱり俺にはイマジネーションが足りなすぎる。一般人が芸能人と付き合うなんて所詮無理だから、想像すらできないでいるのだ。


 俺はすっかり空しくなった。俺みたいな凡人に芸能人や二十代の子は釣り合わない。そろそろ身を固めたいと思っていたから、三十代後半の普通の女性と普通に結婚して、一緒に暮らすことを想像してみた。婚活サイトで出会った地味目のOLさん。


 残念ながら、まったく楽しくなかった。それが俺の現実だった。しかし、まだそれを受け入れられないでいる。だから、これからもずっと一人に違いなかった。どうしたらA君みたいになれるんだろうか。あんな風に能天気でいられたらどれほど気楽だろう。


 A君は結婚してからのろけ話しかしないから、もう、連絡しなくなっていた。しかし、実はA君のことばかり考えていた。張り合っていたのかもしれない。俺の方がイケメンで背も高い。それなのに、先を越されてしまった。納得がいかなかった。


 そう言えば、彼の家に遊びに行った時、来月、新婚旅行に行くんだと言っていたっけ。いいなぁ…。

 

『芽瑠ちゃんは外から見えないから、航空券代も食事代もかからないんだよ』


 A君はどや顔で話していた。ということは、一人で飛行機に乗り、食事も一人で黙って食べるんだろ?一体何が楽しいんだよ。俺は心の中でA君を論破してみた。


『飛行機は膝に乗って、食事は見つめ合いながら食べるんだ。一緒にいられれば十分楽しいよ。芽瑠ちゃんがイタリアに行ってみたいんだって。新婚旅行と言えばイタリアだよね』


 俺は悔しかった。仕事をしながら、今頃はヨーロッパに新婚旅行かと俺は想像していた。自分は休みをいつ取ろうか…。一緒に旅行に行く相手なんかいないのに…。親が亡くなっているから、実家に行くという選択肢もなかった。


 お盆が近付いて来たある日。俺が仕事をしていると、A君からLineが来た。俺にはLineがほとんど来ないから通知を切っていなかったのだ。オフィスに通知音が鳴り響いた。まずい…。俺は管理職なのに。オフィスは静まり返っていた。普段から友達がいないと馬鹿にされているから、今なら見せつけてやれる。俺は迷わずスマホを手に取った。


『今、芽瑠が寝てるからLineしてみた。仕事中、ごめん』

「久しぶり!新婚旅行どうだった?」

『今、大変なことになってるんだよ』

「何で?」

『飛行機の中で芽瑠がおかしくなってさ』


 面白い展開になって来たと、俺は微笑みながら返信した。


「どういうこと?」

『今、全身膨れ上がって、関取みたいになってるんだよ』

「つまり、すごいデブになってるってこと?」

『うん』

「でも、太っててもかわいい子っているじゃん」

『顔も太って別人なんだよ。肉に押しつぶされてるっていうか…』

「ダイエットしてもらえば?」

『それが無理なんだよ』

「でも、妄想なんだろ?痩せさせればいいんじゃないの?」

『無理。芽瑠は僕には現実だから😢』

 なるほど。彼女が太ってしまったのか…。いい気味だった。

「外見は変わるから仕方ないよ。ずっとかわいいままじゃいられないし。幸せ太りじゃない?」

『もう好きじゃない。別れたい』

「じゃあ、考えないようにするとか」

 長くなりそうだったからトイレに立った。非常階段の踊り場で俺は笑いながらLineを打っていた。

『でも、ずっと付いて来るんだよ』

「俺もどうしていいかわからないから、精神科の医者に相談すれば?」

『うん。そうする…でも、芽瑠ちゃんが反対するんだよ』

「何か適当な理由をつければ?」

『何て言えばいいかなぁ』

「二人のためになるって風にすれば?子ども作ろうとかさ…」

『うん。考えてみるよ。でも、このままだったら僕、死にたい』

「やめろよ。きっと痩せるよ」

 あんなに自慢してたのに、太ったくらいで別れたいって何だよ。俺は腹が立って来た。外見が変わったくらいで愛情が変わるなんて、そんなのもともと愛してなかったということだ。彼は幼稚な人間だ。まともな女性が選ぶような相手ではなかったのだ。

 

 いい気味だった。俺は気分が良くなって、ランチはいつもより高い店に行った。

 

 そして、それから二週間後くらいだった。また、仕事中にA君からLineが来た。実は彼からLineが来るのを待っていたのだ。彼がどんどん転落して行くのが楽しみだった。

『今、大丈夫?』

 大丈夫な訳なかった。まだ三時で仕事の真っ最中だったのだ。俺はトイレに行くふりをして非常階段の踊り場に行った。

「大丈夫☺」

『相談したくてさ…忙しいのに、ごめん』

「何かあった?」

『病院行って薬を飲んだんだけど』

 どうなったか…早く聞きたかった。

 俺はニヤニヤしながらLineを打った。

「どう、幻覚消えた?」

『それが、逆効果でさ。薬飲んで何にちかしたら、芽瑠ちゃんの全身がヒキガエルみたいにイボイボになって、肌も茶色みたいな変な色に変わってて。もう人間じゃない感じになってるんだよ』

「それはこわいね」(爆)

『うん。全然喋らなくて、ずっと鼾かいて寝てるんだよ』

「じゃあ、いいんじゃない?寝ててくれるんだったら」

『鼾がすごくて寝れないんだよ』

「病院に相談したら?」

『芽瑠ちゃんが重くてさ。歩けないんだよ。トイレ行くのもやっとで😢』

 助けてあげたいけど、身体的に手助けすることはできても、問題はそこではないだろう。

「大丈夫?」

『もう、無理っぽい』

「病院に相談すれば?それか、親とか」

『でも、親はもう呆れてて助けを求められそうにないんだよね』

「そっか…」

『江田君、うち来てくれない?』

「ごめん。俺、今、大事な案件抱えてて。無理だな…忙しいんだよね。本当にごめん」

 そんな物はなかった。だってお盆だし。一年で一番暇な時期だった。もしかしたら命がかかっているような重大な事態だということはわかっていた。しかし、親族でもない相手を助ける必要があるか?

『そっか。ごめん』

「地区活動支援センターって言うのがあるみたいだから相談してみたら?」

 地区活動センターというのは、厚生労働省がやっているサポートセンターだ。精神疾患のある人は相談できるとYouTubeで言っていた。

『うん。わかった』

 そうだ、行政に任せるのが一番だ。俺は自分の判断が正しかったと悟った。俺は精神科医でもカウンセラーでもない。専門的な勉強をしている訳じゃないんだから、彼を助けれるはずはないのだ。


 俺はA君の存在が次第に重荷に感じ始めていた。


 それから一月後、また、午後の時間にA君からLineが来た。本当はブロックしたい。でも、恨まれるのが怖くてできなかった。

『芽瑠ちゃんが、私を消そうとしてるの?って俺を責めるんだよ』

 ありそうな展開だった。

「大変だね」

 俺はそんな時、どう対処していいかわからない。正しい答えなんて誰も知らないだろう。俺は仕事を中断して彼に付き合った。

「話し合えない?」

『無理だよ。芽瑠ちゃんは消えたくないんだ』

 そりゃそうだろう。

「でも、消えないんだろ?」

『先生に言って薬を変えたら、芽瑠ちゃんが見えなくなったんだよ』

「すごいね!先生ナイス😲」

『でも、時々ふと現れるんだよ。幽霊みたいに、部屋から出た瞬間に目の前に立ってるんだよ』

「こわいね」

『うん。すごいびっくりする』

「やせた?」

『うん。前の姿になったよ』

「じゃあ、いいじゃん」

『でも、普段見えないから。薬飲まないと前の姿に戻りそうだし、飲むと消えちゃうんだよ。幽霊みたいに透けてるんだ』

「難しいとこだね」

『うん。芽瑠ちゃんが怖くてさ…。僕を睨んで来るんだ』

「恨まれてるんだ」

『うん。この間、首を絞められて』

「じゃあ、実体があるんだ」

『そうかもね。幽霊じゃないと思う』

「狂暴化してるんだ」

 穏やかな話じゃなくなっている。彼の身に危険が迫っているんだ。しかし、他人事であることには変わりない。

『さっき、包丁で刺されたんだよ!』

「まじ?」

『僕。殺されるかもしれない』

「大丈夫だよ」

『芽瑠が来たらどうしよう』

「親に連絡しなよ」

『うん。今からする。僕、死ぬの怖いよ』

「気をつけろよ。実家に帰れよ。タクシー呼んでさ」

『実家に帰ったら殺すって言われてるんだよ。助けて!』

 芽瑠ちゃんは本気だ。喋る腫瘍を切り取ろうとして自分が死んでしまう。昔そういうホラー漫画があった気がした。彼も今殺されそうになっているんだ。

「警察呼べば?」


 何だか深刻な展開になっていた。結末を知りたい。しかし、俺は仕事があるからと言ってスマホを鞄にしまった。すると、仕事終わりにスマホを見た時には、メッセージのやり取りがすべて消えていた。俺ははっとした。あれは幻だったんだろうか?俺は白昼夢を見ていたのか…。嫌な予感がした。


 俺は心配になって、彼の実家に連絡することにした。しかし、連絡先がわからない。そのまま、三日ほど経ってしまった。


 ***


 

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