南の森にて
朝日の強い光がカーテンから漏れ、キイの頬を照らした。寝起きの重い身体を起こしベッドから出る。
ここは学生寮だ。〈
だが眺めは抜群だ。
カーテンを開けると、南向きの窓からは他の寮棟に遮られるものの、『
電波塔に、中央通り周縁の高層建築物、港に空港、そして円形の体育館。
街並みを眺めていると、携帯に着信があった。
「おはよう。早速だがモンスター討伐に行かないか」
タクミからの電話だった。
「おはようございます。しかし、どうしてあなたが突然誘ってくるんですか?」
「簡単なことだ。君の姉君、この学園の生徒会長殿じきじきに依頼があったんだ。我が愛しい妹にこの学園を案内してほしいとな。オレは戦闘にしか能がないから、学園の教育部分はあまり教えることができない。だからせめてモンスターの討伐について教えようと思ってな」
「お姉さまからの依頼ですか。わかりました。行きましょう。どこで集まれば良いですか?」
「南側広場だ。今から一時間後に集まろう」
島の南北を縦断するモノレールに乗り、島の南側にそびえる山のふもとに向かう。路線案内にはその名の通り「南側広場」と表記される駅があり、そこで降りた。
駅前から直接つながる、広場は活気に満ちていた。あちこちに人だかりがあり、学生たちが雑談に興じていた。広場の中心に噴水があり、ベンチと芝生が設けられている。
整備された公園を南へと向かっていくと、しかし雑然とした様子を孕んでいき、魔気のような熱を帯びた空気へと変わっていく。そのまま進んでいけば、一層人だかりが出来ている場所があった。そこには
そこを中心にして武器、防具、医療品に何やら怪しげな興奮剤。聞けばここぞというときに使えば、そこらの学生でも狂暴化した狼を倒せるようになるんだとか。そんな雑多なアイテムを声高らかに商品を紹介する出店たちが立ち並んでいる。
そしてこの混沌を一応の管理している団体も存在するようだ。
異獣討伐委員会というらしい。広場の一部に大きなテントが張られ、同じ制服を着た生徒たちが対応する場所が設けられている。異獣討伐のクエストの受注を行い、クエストが達成されたのであれば、その受付、報酬の支払いを行うようだ。
その光景はMMORPGにおけるロビーや、まさしくファンタジー作品に出てくる冒険者広場のようだ。
「キイ、ここだ」
かけられた声の方へ振り向くと細長いながら筋肉質の身体、迷彩のズボンに黒のシャツサスペンダーベルト、そして薄茶色のボーディアーマーの男──タクミが立っていた。
「おお、この子がキイ? めっちゃかわいいやん」
タクミの後ろから声がした。その生徒はショートヘアで褐色の肌、深い紺に白の直線が走るジャージを着ている少女で、まさにスポーツ少女という出で立ちだ。上半身の長袖と対照的に短パンの下半身に伸びる小麦色の肌が特徴的に映った。しかし、その容姿で最も目を引かざるを得ないのはずっしりと肩に乗った重厚な
キイとしては戸惑わざるをえない。
「ええと……」
「うちはユウカ。そんでこっちがカノンや」
「……よろしく」
快活で開放的なユウカと対照的にカノンという少女はおとなしく静かだ。
彼女は三角にとんがった大きな帽子、黒いマントを羽織っていて、大事に抱えているその背丈を超える杖を持っているとあれば、その姿は魔女そのものだ。
「こいつらは探索部と言って、まあ、その名の通り学園の探索を行う部活に所属しているんだ。今日の討伐の手伝いをしてもらうことになった」
「タクミ先輩の頼みやったら、どこでも自分ついていきますやん」
ユウカはタクミにすり寄って甘めな言葉を出した。それは後輩が先輩に対して抱く好意よりも強いものをキイに感じさせた。
タクミはそれを受け流すことにしているようだ。なんでもないように、会話を続けた。
「ありがとう。では、キイ、簡単なミーティングといこう。この南側の森は“門”から遠ざかるために比較的温厚な異獣たちしか現れない。学園に入ったばかりの一・二回生でも多少の訓練で倒せるやつらだ。だが、気を付けなくてはならない、やつらは異獣で飢えた獣だ。その身に牙を宿し、目の前の人間に対してその力全てで倒したいという意思で動いている」
声を重く、低く変えながら異獣の脅威をタクミは語る。
「だから対策しなくてはならない。まずは防具だ。鎧のようなものとボディアーマーのようなものどちらもあるが、その性能は見た目からは比較できない。なぜかわかるか?」
「『
「その通りだ」
キイの答えにタクミは頷いた。自身の着けていたボディアーマーを外し、地面に置いた。
「こういう風に一見、防御が薄いと思えるでも、強化することで通常ありえないような防御力を発揮することができる」
見てろ、とキイに言うと、ポケットからナイフを取り出し、凄いスピードで突き立てた。
「見ろ。傷一つない」
本当だ。
「『能力』はどんな軽い素材の衣服であっても強化することで攻撃を無力化、軽減することができる。もしも鎧のような重い防具であれば装備重量を減らすことが可能なんだ」
「で、君の服だが……」
キイは昨日同様、フリルのついた白ワンピースだ。比較すれば昨日の服よりは装飾量は減って、身体のスタイルに沿った服ではあるが、これからの行動が異獣討伐であることを考えるとありえないと評価できる。
「ええ、この服で行きます。わたしの『能力』は「かわいい」を纏うこと。この服がわたしの勝負服です」
「概念武装としてのファッションというわけか」
キイは強く首肯した。
「え~おもろいやん。まあ、あんたのようなかわいい子、大事に守ってやるで、お姫様」
「ありがとうございます。ですがわたしでやれることがあるならば協力させていただきます」
キイは三人に対して頭を下げた。
「ええて、ええて。うちら今から仲間や。仲良くしようや!」
「よし!オレが先頭を行き、次にキイ、カノン、そしてユウカの順で進む。モンスターに遭遇したらオレがまず対応する。カノンが後方から補佐して、ユウカはキイを守りながら全体の隊形維持を任せた!」
「了解!」です」……」
初夏の森は、キイにはかつて歩いた避暑地の森林だと思えた。木々の間から漏れる光はまるで鮮やかな色彩のキャンバスのようだった。
森の中を歩いていくと、小さな花が咲き誇り、蝶々が舞い、小鳥たちの鳴き声が聞こえた。
木々の姿は、まだ青々としていて、葉っぱの色が濃く、元気に茂っている。風が吹くたびに、木々の葉っぱが揺れ動き、涼し気な風が吹き抜ける。
どこかトレッキングともいえるほどの雰囲気だ。ユウカの口は止まることを知らなくて、その口ぶりはどんどん陽気になっていく。
「……そのときだったんや、タクミは~」
音がした。
タクミが手で合図を送り、静かにすることを求めた。
木々の奥で動きがある。葉が揺れ、そしてその正体が見える。
小柄で痩せた人間かと思えたその存在は、緑色のただれているかのように見える荒れた肌。獣のような顔つき。目は赤い光を孕み。鋭い歯を剥き出しにしている。耳は大きく、その先端は尖っていた。
三体いる人型の異獣は典型的なファンタジーに出てくるゴブリンのイメージと寸分と違わない。
手足は細く、指や爪は鋭く曲がっており、こん棒を持っている。凶暴性がこれでもかと伺えた。
「
そういってその小鬼の前に飛びだし、威嚇をする。
小鬼たちは気づき、こちらに向かってくる。
───【
拳が
「昨日も見ただろうがこれが『
タクミの右腕は筋肉が隆起し岩のように固くなっている。その腕から発熱によってだろうか水蒸気が立ち上がっている。
「この『
力を失ってぶらりと垂れ下がるのみになった右腕を押さえながら、タクミは休憩だと三人に伝え、近くの木の根に座る。
「だが世界の書き換えに何らかの制限がないはずがない。オレの場合、『
左手で動かなくなった右手を保持し、それを膝の上に置いた。
「まあ、こんぐらいの威力と使用時間であれば、数分あれば回復する」
タクミは視線を腕から上げ、
「さて、こいつらも『転変事象』の一例だ。つまり彼らもまた世界を書き換えてここに存在していたんだ。だが、それは能動的にではない。かつて書き換えられた法則に従っていると言える。これは何も彼らだけでなく、40億年前に発生したアミノ酸の結晶構造とその転写システムにおれたちが定義されているようにな」
タクミは息を大きく吸い、立ち上がる。未だ痺れ続けている右の掌を三度、開閉し、こちらに見せることで大丈夫であることを示した。
「異獣たちもまた、この世界に存在するためにいくつもの制限が設けられている。まずひとつ、島の外で活動できない。こいつらの存在を許す
ふたつめは、島の内部でも制限の濃度がある。“門”を中心に段々と制限が濃くなっていく。逆に言えば“門”の近くは無制限、無秩序の状態が広がっているというわけだ。ここは“門”から離れているから制限が多くなり、外の法則と似通っている。それ故に異獣たちは活発に動けないし、弱いというわけだ」
タクミはナイフを取り出して小鬼の亡骸に突き立てた。赤黒い肉塊が緑色の体液とともにだぼだぼと零れ落ちる。
「見てくれ、こいつには複雑な体組織を持っていない。動物に存在する内臓はほとんどなく、心臓と胃を含む簡単な消化器官がいくつかあるのみだ。そしてこの緑色の体表は葉緑体で構成されていて光合成を行っている。まるで進化の系統樹を無視して発生しているように思えるな。だがそんな、こいつら
タクミはユウカに聞いた。
「北の方はこんなお行儀のよい異獣たちじゃないだろ。教えてやれ」
「せやな。あっちじゃ、竜は当然のように炎を吐くし、重力を捻じ曲げて空を飛んだり、無から有を出してきたのような現象が起こったりするんや。いちいち起こっている現象を真面目に考えていかんのや。想像するということがどれだけ無力で無意味かをありえへんほど思い知らされるで」
キイは一つ疑問がわいた。
「ではこの世界の
「一つ考えられるのは『転変事象』が確固たる実体として現前に存在するためには世界からの承認が必要になるんだ。つまり簡単な説明で言い換えると人間の観察とそこから生まれる説明と理論が彼ら、異獣を成り立たせるんだ。そしてなぜこの異獣はゴブリンの形をとっているのか。それはファンタジー作品として広く知れ渡っているこの姿を取ることで認識されやすく、承認されやすくなることで、存在強度を高めているんだ」
「……その理論は私たちにも適用できます」
か細く低い女の声が響いた。今まで沈黙を保っていたカノンのものだった。
「私が魔女のスタイルを取ることで、魔女の
カノンは小声ながら滔々と語り続ける。
「ここは渚です。あるいは汽水域のようなものです。海と陸の境目にあって、同時に混ざり合ってます。そのグラデーションの多寡によって多様性が生まれる。その表現形は決して安定した平穏なものではなく、それぞれが自己の生存をかけた競争の結果としての得られる一種の均衡状態と言えるんです」
カノンという少女の説明というよりは独自の解釈の語りを三人は聞いていた。
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