ようこそ学園都市へ!

──なんでこうなった。

 それがキイに宿った転生者の現状に対する評価である。


「もちろん。「かわいい」のために、ですよ!」


 白のワンピース姿の少女、キイは船の甲板の上から海を見つめながら力強く答えた。薄い灰色の瞳は海のエメラルドグリーンを反射し、煌めく。白いフリルつきのワンピースが海風に靡き、踊るように広がった。キイは全身で浴びるようにその風を感じていた。

 

 その視線の先にはどこまでも藍色の穏やかな海面が広がっていた。

 

 それは見事な風景であって、底に見える紺色の色から表層に近づいていくにつれ淡い色に変わっていき、コバルトブルーの空に転じている。どこまでも広がる青の世界にいくつか浮かんだ白い雲が印象的だ。


 だが少女はこの大自然そのものと言える景色を見にこの船に乗っているわけではない。

 

 フェリー船の前進方向、水平線近くを見つめれば忽然と人工の建築群が立ち上がる。

 

 それが島の上に建設された「学園アカデミー」だ。

 

 まず見えるのは中心に見える巨大な塔。千メートル近い、正確には九八二メートルの学園を象徴する電波塔がそびえている。それを取り囲むかのように形成されている百メートルを超えるであろう、百を数えるという高層ビルの群れ。洋上に出現するこの島は蜃気楼かのように思えるだろう。


 ユーラシア大陸と日本列島の間にある、東海とも日本海とも呼ばれるこの海の洋上に突如現れる摩天楼群。正確な名前を国連学園自治特区UNAS。通称では「学園都市アカデミー」と呼ばれる場所。ここがかつては佐渡島と呼ばれた島に建設された都市なのだ。


 つまりキイはこの島に「転校」するためにこの船に乗っている。


「そしてお姉さまに会いにです!」


 思い出すのは夏休みに突如家に届いた「入学通知書」という名の「令状」であった。


 その書類にはこう書かれてあった。



********************


 鍵ノ宮 喜衣 殿


 貴殿の優秀な成績と、『転変能力』のたぐいまれな才能を鑑み本校、UNA(国連学園:United Nation Academiy)の入学を推薦します。

 尚、『転変能力者』が通常行政区において活動する場合、強い監視下に置かれます。そのため『転変能力者』であるあなたには本校への入学を強く推奨いたします。

 また、学園から送られるリンクを参照し、入学前テストをオンラインでお受けください。このテストによって入学金・授業料の免除、総合テスト《ACE》への成績の加算を行います。

 そして、この入学前テストにの成績によって9/1付けの転校に際して生徒証明書と学園内通貨『単位(unit)』を発行します。


 貴殿の本学の入学を心からお待ちしております。


以上


   国連学園自治特区 総督  木戸 篤司

   学園連合生徒会  会長  一ノ瀬 真



********************



 ほぼ命令の文体で書かれるこの文書とともに手紙が同時に届いていた。


 キイはその手紙を懐から出し、船の甲板上で空に透かしながらもてあそんだ

 書き手の几帳面で毅然とした性格が容易に読み取れる、整った字が並ぶその手紙をこみ上げる気持ちを抑えながら内容を読み返した。

 

 その手紙は「頼み」の依頼だった。



********************


 わが可愛い従姉妹、キイへ。

 

 君に届いた入学通知書は私の推薦によって発行されたものだ。

 何故、君を本校の入学を推薦したか。端的に述べれば『転変能力』を持っているからだ。

 ここで君は不思議に思うはずだ

君の『能力』の危険度は少ないと想定されていて、通常であれば、簡単な観察で済むはずであることが通知されていたはずだ。

 だから二つ目の理由の方が君を『学園アカデミー』に招待した実情に近い。

 つまり、それは君にある頼みごとがあるからなんだ。

 

 私は生徒会長としてたくさんの仕事を行っていおり、たくさんの生徒たちの協力を受けながら生徒会の運営を行っている。

 高い能力と熱い使命感に裏打ちされた生徒会のメンバーによって日々助けられている限りだ。


 だがそれでも君に「頼み」を必要してしまう事態が発生してしまった。

 

 具体的なことは守秘義務がありこの手紙で伝えることができない。


 学園にやってきたときに会って説明しよう。


   心より愛を込めて

   あなたのお姉さま マコトより

 


********************



 こみ上げる思いそのままに、少女は読み上げた手紙を抱きしめる。


「今行きます。お姉さま!」


──しかし「頼み」って何なんだろうな。マコトにできないってことは相当重大な事態だと思うのだが。


「そうですね。あのお姉さまに手を煩わせる出来事。わたしにそんなものを対処できるのですかね?」

 

──ただ、彼女ならできないと思うことをキイには頼まないだろうな。

 

「それもそうですね!」


──だが、『学園』《アカデミー》は命の危険性があると聞く。気をつけて生活したいところだ。


 そうだ。この学園の悪名高さは、その在学中の致死率10パーセントという統計データに集約される。退学率ではなく、致死率だ。五体満足で円満に学園を卒業できるものは入学者のうち三分の一ほどしかいないという噂はこの学園を語る際に避けて通れない。


 だから学園の転校は死への片道旅行であり、「三途送り」と呼ばれるのも道理だ。


 キイはまさにその三途の川渡り、いや海渡りの真っ最中であるというわけだった。


 そのとき、行く手の不隠さを象徴するかのように、淡く青い海面が黒い影に染まった。


 「なんですかね?あれは」


 キイは海面の一転を指した。

 

 何かが浮上してきている。海面が白に転じた。気泡だ。


──生物?


 それは巨大な海獣の影であり、気泡は生きものが発する吐息によるものだった。


 浮上するごとにその生き物の体型が露になる。


 この海洋生物のスタイルは胴長で、クジラを思わせる。しかしその体躯はクジラのそれではない。この中規模なフェリー船と比べても同等の体長を誇っていた。


 つまり優に百メートルの大台を超えるその身体は、船と競い合うことができるほどであった。


 フェリー客の誰かが叫ぶ。


「浮かんでくるぞ‼」


 海面が沈み、気泡で満たされる。船が大きく揺れる。水しぶきが柱となって上がる。そしてその巨体を海上へと急速に浮上させる。そして。


 舞った、空を。


 目を疑わざるをえない光景だ。


 てかてかの体表を持つクジラに似たその巨大生物のすがたが空に浮かんでいることもそうだが。


 頭部の二対の、つまり四個の眼球。細長の胴体に横付けされたこれまた二対、四本の翼のようなヒレ。そして極めつけは頭部下部の、つまり地球動物にあてはめれば口にあたる巨大な穴。


 身体的特徴、そのどれもが地球上の生物の進化樹のどこにもあてはまらないことを如実に示している。


 この巨大生物は雄大な躰を見せつけるかのように船の上空を通過していく。

 

 着水までの数秒の瞬間、乗客たちの視線の先は一匹のものに支配されていた。


 大きな衝撃。それは海に再度ふたたび海獣が戻ったからで、船は反対側へと揺れ、甲板には大量の海水が落ちてくる。


 他の客と変わらず、キイの服もびしょ濡れとなった。

 彼女の特注品オーダーメイドの服は台無しになってしまった。このことを嘆くべきであったが、それに反応することができないほど驚愕していた。


 その服装はいま空を舞った巨大生物ほどではないにしても、奇抜だ。


 身長150センチを達しないであろう体を纏うその服装は、各部にフリル、レースがあしらわれたファンシーと表現できる白ワンピースだ。袖口、裾口ともに歩けなくならない程度に大きく広がり、ひらひらと装飾されている。


 色素が抜けたような銀の長髪を留める、白レースの髪飾りと黒の紐。今にも折れそうな首、控えめな胸の下、締め付けられたような腰に付けられた黒のベルトとリボン。


 彼女の服装はゴスロリ、それも白ロリと呼ばれるタイプのものだった。


 「死地」とも呼ばれる『学園』に向かう船に乗ってる人間としてこれほど似合わない格好もないだろう。


 自身の特注服が濡れたことに彼女が気づき、落胆に似た気持ちでその服を持ち上げようとした時だった。


 ふたたび、クジラのような生きものは浮上し宙に舞った。

 キイはよろめき、甲板に伏せる。


「おっと、大丈夫か?」


 手を差し伸べられて助けられた。


「ええ、助かりました」


 相手を見上げれば、キイの頭二つ分高い、身の丈180センチを超えるであろう男。一見柔和な印象を持つがその身はがっしりと鍛えられている。そのことが胸板の盛り上がり、腕の引き締まり、脚の筋肉からうかがえた。


 その男が問う。


「あんた転校生か?」

「そうですね。ですけど、どうしてそう思うのですか?」

「あいつ、あの生物はニセクジラと呼ばれているんだけど、学園の生徒なら船の中で震えて待つか、奮起してブッ倒そうとするからだよ。君は呆然と眺めている」

「ブッ倒す、ですか? 倒せるのですか。あんなものが」


 彼は少女の安全を確認して、掴んだ手を放した。そして「ニセクジラ」の方へと視線を移し、手すりに触れる。


「そうだ。そもそもこの海域は“門”の影響を受けているんだが、島の内部よりは弱いんだ。“門”がどういう現象を引き起こしてるかわかるか?」


 キイは釈然しないまま答える。


「“門”の向こう側は物理法則が違い、こちら側の“門”の周辺は向こう側の物理法則が流入し、こちら側の物理法則が捻じ曲げられ、不可思議な現象が起こりやすくなります。誰でも知ってる知識ですね」


 そう誰でも。


「そう、向こう側の法則が流入する。だが、その時に向こう側に所属する存在でもこちら側の法則は無視できないんだ。つまり流れ込んでくるときにこちらのものと無理にでも混ざって存在を維持しようとする」


 少年はまた空に舞ってるニセクジラを指さした。


「あれの場合は、特に混合が上手くいっている例と言えるんだ。ここはほぼ“こちら側”と言える場所だからね。例えばその推進方法なんか見事なもんだよ。前方の口と言える部分から尻の排出口になっている部分まで一本のトンネルになっていて、そこを海水が走り、体内に筋肉に当たる部位を動かして、圧力をかけて排出することで反動を得て推進しているんだ。まさにウォータージェット推進だぜ」


 青年は楽しそうに解説を始めた。


「そういう風にこちら側の物理法則と折り合いをつけてるんだけど、やっぱり無茶なんだ。百メートル超える巨体を空中に射出できる生物なんて土台無理な話ってことだ。無理にこじつけた、しわ寄せはいたる所に出る。象や普通のクジラってせわしなく動き回らず、基本的穏やかに過ごす印象があるだろう? 巨大な生物ってのは少しの動きを行うだけで大量のエネルギーを消費するから、基本的に動かないんだよ。でもニセクジラは違う。エネルギーの需要に対して供給がたりてないんだ。するとどうなるか。海の中で空気が足りなくなった人間はどう動くと思う?」


「手足を動かしてもがく」


 キイには話が見えた。


「つまりあれは苦しみの中でもがいている最中であり、その手足がぶつかる先がこの船だったということですか」


「そう、そして…」


「息切れの真っ最中であるわけだから、見かけほど強くないし、小突いてやればぶっ倒れる、と」


 彼は自分の言葉をとられたことに眉が曲げながら、うなずいた。


「その通りだ」


「だが攻撃を当てるにも、人間の間合いじゃあ足りないし、どう見ても内臓を守っている体組織は分厚いし、有効打を与えられるもんなんですかね?」


「まあ、見てな」


 彼は偶然通りがかった船員に声をかけた。捕まえられた船員は、顔をしかめて「今、忙しいんだぜ」と今にも言わんばかりの顔をしたが、声をかけた人物を確認して満面の喜色へと変化させ、甲高い声を挙げた。


 「おう、タクミか! 今回もやってくれるのか助かるよ」


 タクミは船員に救命胴衣と信号弾と発煙筒をもってくるように言いつける。その船員はすぐに注文した品物を用意した。


 それらをロープで彼は体に括り付ける。

 深く踏まえて構え、息を大きく吸った。


 タクミと呼ばれた男がまなこを向けた先はニセクジラ。


 いくつもの発声器官を持っているのか鉄琴を軽妙に叩いた時の高い音の連続と汽笛のような伸びた重低音が混じったニセクジラの鳴き声。悠々と大空を埋め尽くす壮大な響き。水しぶきと破裂するような水音みなおと。影が甲板に落ち、天を塞がれる。

 

 彼はニヤリと笑い、宣言する。


───【筋讃美曲マッスル・アンセム四重奏カルテット】!


 それは『転変能力スキル』の発動の掛け声だ。その声とともにその足は膨張し、そして弾ける。


 風が起こった。キイの顔に宙を舞い踊っている海水の滴が叩きつけられる。


 甲板から消えた彼の姿を追いかける。空にいた。


 大きな大きなニセクジラの鳴き声ともに叫び声が聞こえる。


「おおおおおぉ!」


 空中に打ちあがったその男は巨大生物に拳を突き出す。


 そしてまたも響く。あの声が。『能力』使用の宣言だ。


───【筋讃美曲マッスル・アンセム五重奏クインテット】!


 クジラと跳躍者が接触すると見えた。瞬間。


 爆ぜた。クジラが。


 巨鯨が肉片に変わった。

 花火となった。


 青色の液体と緑じみた塊が放射状にばらまかれ、ぼたぼた降ってくる。


 その液体と肉塊はどろりとした粘性を持ち、異常な臭気を放っている。甲板は一気に地獄の様相と化した。


 では一方彼は?

 自由落下の真っ最中だ。肉片のシャワーの中でただ一人命ある存在として。


 そして海面に落ちる。ニセクジラの水しぶきよりは小さいが水柱を作って。


 すぐに、オレンジ色の閃く球体が尾を引きながら上がる。信号弾だ。


 その根元に、赤黒い肉塊の中に、黄色の救命胴衣が浮かぶ。


 エンジンが切られ船に少年を引き上げられる。船員たちが海水と海獣の血肉で汚れた彼に賞賛の声を浴びなせながらシャワー室へと案内される。


 その後ろ姿を見送っていると、少女の耳には船内放送が入ってきた。荒っぽい船長らしき男の声だ。

 

「あ、あ~、本船はくそったれなニセクジラに襲われて入港が遅れているわけだが、今こいつ倒してくれた勇者がいる。まずこいつに拍手を」

 

 船に万雷の拍手が響き渡った。


「で、本船は学園の港に入る。お乗りのお客様は荷物をお忘れないように。お客様の皆様には遅れたことをお詫びします。乗組員のてめーらは接岸準備だ! 20分後に到着させる!」


 船はスムーズに入港準備に移った。

 やがて、船は無事港内に入り、接岸した。キイは服を着替えてから、荷物を下ろし、港のターミナルビルに入る。人のまだらなラウンジに彼がいた。 


「お見事でした」


 このタクミと呼ばれる青年は精悍で静かな印象を崩さないものの得意げなのがキイには見て取れた。


「ありがとう」


「私はキイです。よろしくお願いします」


 片手を差し伸べると両手で返してきた。


「おれはタクミだ! よろしく! ……ってあんた?」


 彼は何かに気づいたようで手を握ったままこちらを見つめた。


「会長が言っていたキイ?」

「もしも会長が一ノ瀬真であるならば、私の従姉妹ですね」

「そうか、やはり。実はマコト…… 会長からあんたの案内を頼まれてるんだ」

「では、あなたはお姉さまとお知り合いなのですか?」

「お姉さま……? まあ、彼女とは縁があってね」


 キイはかつてのあの人に抱いた憧憬を思い起こす。

 心の描写空間ではここに至ることになった彼女の幻影を呼び起こしていた。


 ラウンジの入り口近くで人々のざわめきが聞こえた。


 二人のボディーガードと思える筋肉質の男を連れた有名人かのように入ってきた人物は「生徒会長!」などと呼ばれている。

 臙脂と深緑に彩られてた制服を着た毅然としたこの美少女に場の雰囲気は支配された。

 

 背にかかる整えられたすべらかな黒の長髪に、強い輝きを燈し、星のようなその瞳。真白とは言わないまでも色白で健康そのものの肌。

 見る者は誰でも認めざるを得ない美の体現者。


 キイの目は驚きで点になる。

 

 この美少女こそがマコトだ。


 マコトから声をかけられた。


「久しぶりね。キイ」

「お姉さま!お久しぶりです」


 キイは弾けるようにうれしさを表現するしかなかった。


「よく来てくれた。感謝するわ」


 マコトは側近に合図してキイの荷物を回収する。


「行きましょう。キイ。あとタクミ! 出迎えしてくれたのね。お礼を言うわ。借りていくわよ」

「ああ、わかった」


二人の美少女がラウンジから去ってタクミは呟く。


「まったく。とんだお騒がせなお姫様たちだ」

 


 



 

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