チェンジ・バトル・アカデミー
@daisonkyu
序
閉じた扉は
開かれなくてはならない
内と外を繋ぐために
開かれた扉は
閉じなくてはならない
内と外の境界となるために
ではお前は
では私は
扉に対する
鍵であろうか
閂であろうか
竜を見たことがある。
重々しい翼をトカゲのような乾いた皮膚の胴体からどうにか動かして、これまた重々しく飛んでいた。
幻想世界の住人であるこの生物は、私達の日常に白昼堂々、突如侵犯してきた。しかし、空の王者として絶対王政の君臨者になると思われたこの存在は、私達の現実に存在すること、物理世界を捻じ曲げて浮遊していることが激痛を伴っているように見えた。その動きのひとつひとつが痛々しかった。
よく見ると竜は実際に傷を負っていた。体のあちこちは裂傷が走り、血をぼたぼたと垂らし、片方の足があるはずの部位にはただれた肉片を残すのみだった。血と肉片はとめどなく落ち続け、地面に巨大な血痕と肉塊の沼を作っている。
これだけの手負いでありながら、竜は絶対者たらんとした。咆哮を上げ、その口から炎を噴出させていた。
空を切り裂く音がした。
自衛隊のヘリが編隊を組んでこの竜を追っている。
警察、消防、自衛隊の隊員と思われる制服の大人たちが「危険です!「逃げてください!「近づかないでください!」と叫ぶ声が聞こえた。
竜の咆哮が再び響いた。
異様な風景だ。
だというのに人々の反応は弛緩して恐怖の感情を伴っていない。「おいおい、これじゃあ約束の時間に間に合わんぞ」と誰かの声が聞こえた。「今年何度目だよ」と苛立ちの声が聞こえた。「あちゃー洗濯物を入れてなかった」という間抜けな心配の声が聞こえた。テレビ局のクルーだろうか、肩に担いだカメラを竜を向けながら「この画じゃあ、一分も持たないな」というの声すらも聞こえた。
そして誰かの「ミサイルだ!」という悲鳴というよりは歓声のような声を聞いた。
誰もが空を見た。
空に二本の白い線が走っていた。
それは竜に向かって発射されたミサイルの噴煙だった。二発の弾頭のうち一発は翼に、もう一発は胴体で爆発した。推力を得ることができなくなった竜はバランスを崩し、弱弱しい咆哮を響かせながら堕ちていった。
───…んだ…
声が聞こえた。
どこから?
ベビーカーの中に座る赤子、キイは不審に思った。
この声はとても近い位置から発せられている。
それはベビーカーの外なら絶対にありえないと判断されたし、キイ自身の耳の中、鼓膜の内側から発せられているとすら判断された。
───なんだこれは?
それは脳内からだった。
声を認めた瞬間、流れ込んでんだのは情報の濁流だった。
キイの幼い意識が感知したのは、知らない人間の人生経験と大量の知識の集積だった。
男として生まれ、都市に育ち、中高一貫校に入学し、国立大学に入学する。名の知れた大企業に就職し、学生時代から付き合ってきた彼女との結婚に至る。
だが順風満帆に満ちたその生涯は突如閉じられている。
迫りくるトラックの影。耳をつんざくブレーキ音。通行人か誰かの悲鳴。目が合わさった運転手の瞳孔が開いていく―――
死んだ。
そのはずの男の記憶と意識がキイの精神、心で動いている。
──転生。いや、憑依か?
「だれ?」
──ふむ、そうか。あまり考えずらいがそうとしかとらえられないな。
「だから、誰なの?」
──ああ、お嬢さん。どうやら君の魂に間借りするようになってしまったものだ。よろしく頼む。
「……なんで?」
──それは私にもわからない。きみこそ何かわからないものだろうか?
「わかんない……」
この時、起こっていたことは二つの人格の対話というよりは相互方向の情報の交換だった。
幼いキイは急速に知識を吸収した。
憑依者である男の知識は彼女のものとなった。
目の前の現象がかつての男の人生にとってはありえないものであることが理解できた。
──竜。あんなものはフィクションの中にしかいなかった。
男の記憶に残るコンテンツ群のデータ。それが示すのはここが現実世界ではないという事実だった。
──しかし異世界ではないようだな。ここは中世風の街並みでも、深い大森林のなかでもない。携帯電話、飛行機、車があるところを見ると科学が発展した現代の街だ。しかも私が暮らしていた日本の景色だ!
現実と幻想が混じったちぐはぐな様相。それに加えて赤子に宿った自身の意識。混乱をきたす要因はそろっている。
それでも転生者の順応はゆっくりと確実に行われた。
──だが、ゆっくりやっていこうか。こんな異常なこと、じっくり考えても仕方がないんだからな。
転生者は意外とマイペースだった。
キイの精神的成長はこの転生者によってすさまじい速度で進んだ。
7歳の時すでに微積分を理解し、いくつかの哲学書を読むまでになった。社会情勢に興味を持ち、行動のひとつひとつに深い知識と洞察に裏打ちされていると周りの大人たちに感じさせる女の子。神童と言って何一つ差し支えないその才能。
親に親戚、保育士に教諭たちの、キイへの奇異の感情。それは畏怖に近かった。
だから仕方があるまい。『転変事象』の一つとして彼女が受け入れられたのも。
かつてあった『大転変』によって書き換えられた世界の物理法則たち、その影響の一つとして扱われたのも当然と言える結果だった。
疎外と言える扱いの中でもしかし、転生者だった彼の興味は違うところにあった。テレビのニュース・特集。新聞の文面。社会を少しでも語る本の記述。歴史を少し調べれば発生している、巨大な差異。第二次世界大戦の敗北によって北日本と南日本に分割統治されていた歴史。北日本、満州、朝鮮半島、沿海州、カムチャッカ半島に及ぶ地域に存在したソビエトの一員であった極東人民共和国。日本民主国と名づけられた、アメリカ統治下にあった資本民主主義国家である南日本。この二つに前世の東西ドイツ、南北朝鮮のようにその領土が分割させられていたのだ。
極東人民共和国の領域に起きた『大転変』とともに、既に破綻をきたしていた北日本は最後の一線を超え、崩壊する。南北日本に築かれた長大な壁は壊され、日本民主国への吸収合体という形で統合されたのだ。
故にこの国は、特に地方はその統合の余波によって、治安が悪い。
北海道に至って、いまだ準軍事行動を可能にする、テロリストと傭兵のどちらにも分類されるグループによって時折、数十人の「事件」がおこされるぐらいだ。
それに本土でも起こる『転変事象』と呼ばれる異常事態のあまりの多さ!
異獣の発生に、物理法則を無視した異常現象。
そのために、自由を基盤にした民主主義国家でありながら、どこか統制と束縛を感じさせる治安システム。
そして、特に異彩を放っているのはかつて北の国の最南端都市であったニイガタの洋上に浮かぶ『学園都市』だ。
この異名で呼ばれる学校はその『大転変』の発生源。いまなお『転変事象』の中心地として有名な場所。そして『転変能力者』の集約地、隔離の学園。
感じざるを得ない。キイは強い因縁を。この少女の成長とはこの場所へと近づいて過程に似ていた。
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