230407-2

【2022年5月某日】



これは約1年前……俺たちがまだ中学生だった頃の話。



 2泊3日の修学旅行2日目の朝、旅行という非日常だからか、俺は普段よりもだいぶ早く目を覚ました。


「ゴホッゴホッ」


 まだ夢の中にいる同室のクラスメイト達を起こしてしまわないように細心の注意を払いながら乾燥しきった喉を鳴らした俺は飲み物を買うために部屋を抜け出し、自動販売機が設置してある旅館1階へ向かった。


 幸運にも、見回りの教師陣の就寝時間に目が覚めていたようで、部屋を出てから自動販売機のある1階ロビーまでは誰とすれ違うことなく向かうことができた。


 しかし、幸運というものはそう長く続かないもので、目的地である自動販売機の前に人影があった。


「あ゛ぁぁぁ~」


 雄叫びのような低い呻き声をあげたその人影の声に俺はどことなく聞き覚えを……不思議なことに馴染み深さを感じた。


千花ちはな?」


「あ゛?」


 目を細め、ジッと俺を見つめる千花の姿は普段の彼女からはとても想像することの出来ない素行の悪さが溢れ出ていた。


「……」


 相手を刺激しないように声を出さずにずうっと見つめていると千花の方から視線を逸らし、前後左右に舟をこぎ出した。


「そんな所で寝たら風邪ひくぞ~」


 千花にそう声を掛けるが、


「ん゛~」


 動きを止めてという唸り声を出す以外のレスポンスが帰ってくる事は無く、10秒とかからずに千花は再び舟をこいだ。


 そんな彼女を可愛らしく感じながら、俺は財布から300円を取り出してミネラルウォーターを2購入した。


「ったく」


 幼馴染として、クラスメイトとして、そして一人の男として、1ヶ月も年下の少女を夜明け前の旅館のロビーに一人残して部屋に戻るなんて事が出来るはずもなく、俺はそおっとベンチに座り込んで相変わらず舟をこいでいる千花の横に座った。


「隣、良いか? まぁ、もう座っているけど」


 千花は小さく頷いた。それが返答なのか、偶然前に舟をこいだだけなのか、俺にはわからないが……。


「んじゃ、遠慮なく」


 千花にピタリと身体を接触させて、寄り添うようにして座ると、千花は前に、後ろに左に舟をこいで、最終的に俺の左肩に収まった。


「すっげえ寝癖」


 俺の左肩を枕にしてスウスウと寝息を立てて眠る千花の艶やかな黒髪は至る所がうねり、重力に反し、それは、それは芸術的な寝癖が出来上がっていた。


「こんな姿はとてもじゃないが人には見せられないな」


 俺の肩で気持ちよさそうに眠っている姿もそうだが、芸術的な爆発を見せている寝癖は恥ずかしくて、愛おしくて、とても人には見せたくないし、見せたくはなかった。


「んっ」


 眠っているのを良いことに俺は無許可で大爆発している千花の髪に触れた。


 なまめかしい声を漏らした千花に俺は少しだけゾクリと感情が高ぶるのを感じたが、心に無を描き、手櫛で治すことの出来る最大限まで千花の髪を整えた。


「はい、おしまい」


 自分でも驚いてしまうほど優しい声色でそう告げた俺は二度ぽんぽんと千花の頭に手を触れた。


 ただ、その行為は不覚にも千花の眠りを少々妨げてしまったようで千花はゆっくりと目を開いた。


「……ありがとう」


 同級生には見せるのに俺には滅多に見せてくれない優しい顔で微笑んだ千花はすうっと俺の顔に近づくと、俺の唇に自身の唇を


 その行為が俗に キス と呼ばれているものだと気が付くまでに俺は数秒の時間を要してしまった。


「ち、千花!?」


 恐々とする俺のことなど気にする様子などなく千花は相変わらずニコニコと笑顔を見せたまま俺をジイッと見つめていた。


じゅん……好き」


 俺の身体に向かって倒れ込んできた千花は俺の耳元で溜息を吐くように優しくそう呟くと俺の胸元で再び……


「どわっ!?」


 一体何が起きたのかすぐにはわからなかったが、ベンチに座っていたはずの俺が床に倒れ込み、両手を突き出した千花が目を大きく見開いて俺を見つめている姿から俺は一瞬の間に千花に突き飛ばされたのだと理解した。


「えっと……とりあえず、コレ飲むか?」


 俺と共に床に突き落とされてしまったらしいミネラルウォーターを手に取り俺は千花に差し出した。


「ありがと。いただきます」


 数年前までは自力で開けることの出来なかったペットボトルのキャップを難なく開けた千花はコクコクとそれはそれは可愛らしい音を立てて喉を潤していた。


「楯は、さ。どこまで聞いた?」


「聞いたって……な、何の事?」


「とぼけなくていい。寝ぼけてはいたけれど、自分の言ったことは、言ったであろうことは、言ってしまったことは、はっきりと覚えているから……」


 顔を紅潮させながらそう告げる彼女を見て、言葉を聞いていなかったことにすることはとてもではないが出来そうになかった。


「聞いたよ、聞こえた。それはもうしっかりと。千花からそんな言葉を贈ってもらえるなんてすごく嬉しかったけど、同時にすごく……した」


 こんなことを言ってしまっても良いのか俺は考えた。しかし、考えがまとまるよりも先に言葉が出てきてしまった。



「実は、告白されたんだ。あいから」

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